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Ⅳ じゃない方
うちの店で遠藤さんが倒れたのは、それから間もない十月のはじめの夜のことだった。
あとから来る予定だという奥さんを待ちながら、テーブル席でいつものように機嫌よく私たち店員に話しかけていた遠藤さんが、急に胸を押さえて俯いたかと思うと、そのままずるずると椅子からすべり落ちたのだ。
「遠藤さん?!」
意識を失った彼を救急車に乗せ、奥さんの連絡先がわからないため、とりあえず私が病院まで付き添うことになった。
ストレッチャーで病院に運び込まれた遠藤さんの姿が処置室に消えたあと、廊下で状況をナースに説明したり店に連絡したりしていた私の耳に、急ぎ足のヒールの音が聞こえてきた。
スマホを手に振り向くと、
「すみません、ご迷惑おかけして」
廊下の角から、眉をひそめた奥さんが現れる。
足早に近づいてきた奥さんが、
「話はお店で聞きました。あとは私が」
私に頭を下げた。
「あの、旦那さん、今はあっちで。詳しいことはまだ」
処置室を指差した私を遮るように、
「ご家族の方ですね」
私の隣にいたナースが奥さんに声をかける。
「あのじゃあ、私はこれで」
邪魔にならないように帰ろうと、そっとお辞儀して出口に向かいかけた私の背後で、そのとき、
「家族の承諾が必要なら、山形の彼の実家に連絡してください」
背後から、まるで感情を感じさせない奥さんの声が聞こえてきた。
思わず振り返った私の前で、
「ええっと。遠藤さんの奥様ですよね? 籍は入っていないけど事実婚だとか」
慌てたように早口でナースが尋ねる。
「ああ」
奥さんが、なぜか苦笑した。
「そう言ってるようですね、彼の方では」
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