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(え?)
目を見開いた私の前で、奥さんが長い髪をかき上げた。
「私、まだ籍が抜けてないんですよ、前の夫と。離婚調停が長引いてて。住民票も、遠藤さんのマンションじゃなく実家だし……これじゃ事実婚とはいえませんよね」
(――どういうこと?)
立ちすくむ私を気にすることなく、遠藤さんの「奥さん」は淡々と、自分は現在離婚調停中で、四歳の娘を都内の実家に預けているのだとナースに告げた。
その後、病院から遠藤さんの実家に連絡がつき、今度こそ私が失礼しようとしたときだった。
「あなたには、夫の家で見られちゃったのよね」
時間外出口まで私を送ってくれた奥さんが、不意に薄暗い廊下で立ち止まった。
「覚えてるでしょ? 先月出前を頼んだ高橋の家」
「……あ」
思い出して、私は口を覆う。
倒れた遠藤さんに気を取られて、すっかり忘れていた。奥さんのダブル不倫疑惑。
あの人影と車は、やっぱりこの人だったのか。
でも。
「『夫』?」
つぶやいた私に、
「そうよ、夫の高橋」
奥さんが顔をしかめた。
「ちょっと前まであの家で暮らしてたの、私」
「――ああ!」
ようやく理解して、私は思わず声をあげる。
ダブル不倫じゃなかった。
奥さんは、高橋さんに不倫された側!
(ていうか)
私は気づく。
(遠藤さんじゃなくて高橋さんの「奥さん」だったんだ、この人。本当は)
ややこしい話に、頭がこんがらがりそうだ。「奥さん」じゃなくお名前聞いておけばよかったな、この人の。
(それに、いくら離婚調停中っていっても、子どもを置いて夫以外の人と半同棲って)
もやもやする気持ちが顔に出ないよう、私は必死で表情筋を抑える。
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