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元不良の警備員はご主人さまを守れない
1か月前。警備員の関根(せきね)がいつものように庭を巡回していると、彼の雇い主が噴水の前でスマートフォンを見ていた。
「日光浴ッスか、燈次(とうじ)さま」
「ドラマを見ながらな」
そう言って燈次は画面を見せる。映像の中では男と女が登山をしていた。尾根を歩きながら、男は自信満々に言う。
『俺はお前のためなら死ねるぜ!』
関根は呆れたように言う。
「恋愛ものスか?」
「推理モノだ」
「こんなクサいセリフ吐くってことは、この男が被害者ッスか」
「こういうセリフは嫌いか?」
「噓くさいッショ」
声を上げて笑う。燈次も一緒に笑った後、彼はふっと言った。
「俺は関根のためなら死ねるぞ」
「……へ」
「お、探偵役が登場だ」
燈次の興味はドラマに映ったらしい。
燈次は短い足をパタパタさせる。彼は成人した大人だが、背が低いせいで、子どものようにも見える。
関根は庭の見回りを再開した。
そのときのことを、関根は何故か、今になって思いだした。
今日の関根は休日だった。タバコをふかしながら競馬場に向かっていた。川原のそばを通るのが近道なので、今日もその道を使っていた。河川敷や、大きな橋によって、道路からは死角になりやすい場所だった。
橋の下に差しかかったときだった。
関根は突然、4人の高校生に囲まれた。不良っぽい見た目の学生たちだ。
不良のひとりが興奮気味に言う。
「思ったより怖い見た目だな」
「オレに言ってるんスか?」
「正直に言え。お前、伝説の不良の関根だな」
「伝説って」
「あんたを倒して、おれたちの名をとどろかせるんだよ!」
関根はひたいに手をあて、やれやれと首を振った。
「オレがヤンキーだったのなんて20年以上も前のことッショ。よくオレを見つけられたッスね……」
そう言ったものの、関根は見つかった理由に何となく気づいていた。金髪とか、ピアスとか、いかめしいネックレスとか、ヤンキースタイルを今も続けているからだ。
不良たちは突然、ポケットからマスクを取りだした。全員が律儀にマスクを装着する。
「風邪の流行る時期ッスからね。……お?」
ぐら、と関根の視界が揺れた。足に力が入らなくなり、バランスを崩しかける。
関根は足を踏んばり、不良たちを睨む。
「オレに何かしたッスか」
すると、物陰から白衣を着た少年が現れた。
「ただの催眠ガスですよ」
「催眠……?」
関根は口に手を当て、慎重に呼吸をする。白衣の少年がクスクス笑う。
「本当の強者は知能で勝負するんです」
関根は片膝をついた。すると、不良たちが武器を取りだした。金属バットとか、鉄パイプとか、小型のナイフ、さらにはトンファーらしきものまで。
「ドラマの悪影響みてェな武器ッスね」
不良たちは一斉に武器を振りおろす。ナマケモノのパンチみたいな速度だが、フラフラになっている今は少々手ごわい。関根は間一髪で避けた。
「反撃しないんですか?」
「子ども相手に振りおろす拳はねェよ」
関根は攻撃を避け、受けながす。しかし着々と催眠ガスの効果は現れる。闘い中にふっと意識が途切れたり、頭がふわふわして上手く考えられなかったりして、苦戦した。
不良のひとりの持つナイフが、別の不良の頬をかすめた。マスクのゴムが切れ、口元が露わになる。
催眠ガスを吸ってしまったのだろう、その不良は力なく目を細め、その場に立ちどまった。すると、別の不良の鉄パイプがその不良の頭に当たりそうになる。
関根は慌てて腕を伸ばす。関根の腕には直撃したが、不良には当たらなかった。
「味方に影響出しといて、何が知力で勝負ッスか」
白衣の少年は安全な場所に立ったまま、ニヤリと笑う。
「でもお陰で、あなたに怪我をさせられた」
「こんなの怪我に入らねえッショ!」
関根は鉄パイプを掴み、川のほうに投げる。ドボンと音が鳴り、水しぶきが立つ。
関根の視界がぐらりと揺れた。世界が回っているように感じる。
殴られた腕に触れる。赤くなり、ジンジンと痛みを放っている。
ヤベェ。早くケリをつけねェと……。
やはりトップを黙らせるのが一番だろうか。
白衣の少年に向かって走ろうとしたとき――関根はついに、その場に倒れた。半身を起こしたそのとき、背後から金属バットが迫ってくる。
関根は攻撃に気づいたが、避ける余裕はない。覚悟を決め、歯を食いしばる。
すると、河川敷から何かの陰が飛びこんできた。
関根の背後で、バシッと強い音が鳴った。硬い物で肉の塊を叩いた音だった。
関根の背から、ごろりと何かが落ちた。
振りかえると、見知った顔が倒れていた。
「燈次さま……何でここに」
幻覚かと思って目をこすり、それに触れてみる。たしかな熱を感じる。
「せ……関根」
「燈次さま!」
「お前、怪我は」
燈次が力なく笑うと、関根の身体がカッと熱くなった。頭に血がのぼり、わけが分からなくなる。
燈次を攻撃した不良の胸倉を掴み、拳を振りかざす。
燈次が力ない声で言った。
「やめてくれ」
「でも!」
「子どもを殴ったら一生後悔するぞ」
燈次は関根の腕の怪我を見て顔をしかめる。そしてゆらりと立ちあがり、ゆっくりと白衣の少年に向かって歩いていく。殴られて痛むのだろう、燈次は腕を回して脇腹を押さえている。
白衣の少年は余裕の笑みを浮かべている。燈次は白衣の少年を真っ直ぐ見つめる。
「お前がリーダーか」
「だったら何か?」
燈次は目を逸らさない。静かな、しかし激しい怒りをその瞳にたたえている。
燈次は橋の支柱を殴った。ゴツ! と鈍い音が鳴る。
燈次の拳から血が流れる。柱に変化はない。燈次はまだ白衣の少年を睨んでいる。
白衣の少年は目を泳がせた。
遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。燈次が呼んだのかもしれない。
不良たちはおろおろしている。
関根は深く息を吸い、燈次とは別の支柱を蹴った。コンクリート製の太い柱が大きく凹む。
不良たちは全員、腰をぬかした。
燈次の怪我は大事に至らなかった。
だがその代わり、燈次は数日に渡って寝込んだ。
燈次は元々体調を崩しやすい人だった。でも、だからこそ、関根の罪悪感は増幅した。
燈次の部屋の前でメイドのさとがドアをじっと眺めている。関根は少し離れた場所から、弱々しく視線を落とし、何を言うべきか迷っている。
「関根さん」
「あ、え」
「燈次さまが、関根さんに会ったら聞いてほしいと言ったのですが」
関根は無意識に自分の服のすそを掴んだ。
「どんなことでも聞くッス」
さとは彼の手に巻かれた包帯を見る。
「お怪我の具合はどうですか」
「こんなんどうでもいいッショ」
「でも、燈次さまはとても気にしています」
関根は歯をギリギリと音を立てて噛んだ。
「後戻りできたらどんなにいいことか。燈次さまが無事なら、オレはどれだけ傷ついてもよかったのに」
「燈次さまは後悔なんてひと言も口にしていません」
「オレのことなんてもっと雑に扱えばいいんスよ」
「……燈次さまはこういう方ですから」
そう言われて、関根の脳裏に過去の思い出がよみがえる。
関根がこの家で働きはじめるときだった。
燈次は風に向かって立ち、関根に言った。
「忘れないでいてほしいことがある」
「何です」
「お前は警備員だ。だから給料の範囲で、俺たちを守ってほしい」
「そりゃもちろん」
「その代わり俺は、お前を命がけで守ってやる」
「は?」
わけが分からず問いかえすと、燈次は柔らかく笑った。
「給料の範囲で俺を守れ。そしたら俺は、命をかけてお前を守る」
ひゅるりと風が吹き、どこからか飛来した落ち葉がふたりの間をすり抜ける。
「……ずいぶんキザなんスね」
関根は風上に移動した。燈次を冷たい風から守るように。
「あんなドラマごっこみてェなセリフ、懇切丁寧に守ってんじゃねェッショ……」
関根が呟くと、さとは寂しそうに睫毛を下に向けた。彼女は燈次の部屋のドアにもたれかかる。彼女は優しくドアを撫でる。その手は小刻みに震えていた。
大事なご主人さまが苦しんでいるのだ。彼女も本当は不安でいっぱいに違いない。
それでも燈次とさとは、関根を責めない。そのことが関根は辛くてたまらなかった。
関根はその場にしゃがみこむ。
「オレは自分をずっと強いと思ってたんス」
「……はい」
「高みから見下ろしている気分になって、調子に乗ってた。でも違った。オレは……弱い」
さとは黙って関根に近づいた。
関根の前で彼女もしゃがむ。
「私には何も言えません。何も分かりませんから」
「そう、スか」
「でも燈次さまは関根さんのことを怒っていません。心配しています」
「……そうスか」
「そうだ、スープ作ったんですけど飲みますか。燈次さまにお出しする前に、味見してほしいんです」
さとが優しく言うと、関根の胸の奥が熱くなった。
それから1週間後。
燈次はすっかり元気になっていた。
噴水の前で、トンボを追いかけて遊んでいる。
「なあ関根、トンボの捕まえ方分かるか?」
「……どうスかね」
「顔の前で指をグルグルするとトンボが目を回す、なんて聞くが、嘘なんだってな」
「そうスか」
燈次は視線を落とす。その先にあるのは関根の腕だ。
「まだ痛むのか」
「何ともないッス」
もう包帯は取れていた。指をグーパーしてみるが、違和感はまったくない。元々、回復力は高いほうだ。
しかし気持ちの逆だ。あれからずっと、関根は自分の失態を悔いている。そのせいで近ごろの関根は燈次との会話を極力避けていた。
「だから言ってるだろ。俺のことは気にするなって」
「そうもいかねェッスよ」
「どうしたもんかな」
燈次は大袈裟に肩をすくめた。関根は地面に両手をつき、頭を下げて叫んだ。
「遠慮なんかいらねェッス。気の済むまでオレをいたぶってほしいッス!」
「何だ、極道映画でも見たのか?」
「オレは……そうでもしてくれねェと気が晴れなくて……」
燈次はため息を吐いた。
「うーん。じゃあ、目をつぶってくれ」
関根はまぶたを固く閉じる。何をされても文句は言わないつもりだった。
頬や鼻先に何かが軽く触れる感覚がした。まぶたもかすかに触られた気がする。
「目を開けていいぞ」
そう言われて目を開くと、関根の顔の前には鏡があった。
そこに写る関根は、何故か顔面が不自然に青白い。さらに上下のまぶたは、黒目の上あたりが不自然に黒く塗られている。
「何スかこれ!」
そう言って燈次を見ると、彼も似たメイクをしていた。燈次は腹を抱えてケラケラ笑った。
「不気味の谷メイクだ。ホラーチックで面白くなると話題らしいが、全然上手くいかないな」
黒目の大きな人がやれば瞳が強調され、恐ろしい見た目になっただろう。しかし関根の黒目は小さいので、ちょっと滑稽な雰囲気がある。
「急に何スか」
「何かやってほしいって言ったから」
燈次はスマートフォンをインカメラにし、関根と並んだ状態で撮影をする。どっちもメイクが中途半端で、ギャグのようになっていた。
「何でオレのこと怒らないんスか」
「給料の範囲で俺を守れ。そうすれば」
「命がけでオレを守ってくれる……」
「覚えてるのか」
「忘れたいッスけど」
関根が弱々しく言うと、燈次は関根の頭をワシワシ撫でた。
ふとそのとき、さとが現れた。彼女はキョロキョロと何かを探している。
関根が彼女に問いかける。
「何かなくしたんスか」
さとはふたりの変なメイクに少し驚いた後で言った。
「私が後で食べようって思ってたシュークリームが、冷蔵庫になかったんです」
落としたのかなぁ、と呟く彼女を、関根は不思議そうに見ていた。
何気なく燈次を見たら……彼の頬にクリームがついていることに気がついた。
「もしかして燈次さま」
「俺はマロンシュークリームなんて食べていない」
「誰もまだ味の話してねェッス」
さとが顔を上げると、燈次は目を逸らして口笛を吹く真似をした。
「なあ関根」
「何スか」
「俺の口のクリームを関根の頬につけるのは、給料の範囲内かな?」
「……エ?」
燈次は真面目なのか不真面目なのか、よく分からない人だった。
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