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いつもの帰宅時間を過ぎた本町を美南はずっと待ち続け、携帯に連絡を入れ続けていた。
警察に相談することも考えたのだが、彼の顔に泥を塗ってしまうことを案じたのだろう。あと一晩だけ待ってみようと思ったのだという。
それだけ話した彼女は最後ににっこり笑って「でも、よかった。無事みたいで」と泣き笑いのような顔をした。玄関の花瓶に挿された沈丁花が目に入る。本町の中で何かが切れた。
「俺さ、家に帰りたくなくてずっと酒飲んでたんだよ。ついに、会社にも遅刻しちまった……最低だよな。本当はお前もそう思ってるんだろ? 俺のこと怒ってるんだろ、嫌ってるんだろ! いい子ぶってないで言えよ! 」
「……わかってあげられなくて、ごめんなさい」
美南は下を向くと蚊の鳴くような声で呟いた。生唾が湧き上がってくる。胃の中のものが逆流する音がする。もう限界だった。
本町は美南を振り払うと、トイレの中に駆け込んだ。便器の中に顔を突っ込む。違和感も、息苦しさも、嫌悪も全部吐き出してしまいたかった。何度も、喉が痛くなるまで口を開けた。
それでも、こみ上げてきたものはギリギリのところで止まったままだった。甘ったるい匂いが鼻をくすぐった。顔を上げた本町の虚ろな目はタンクの上に置かれていた花瓶を捉えた。そこに生けられた沈丁花は風もないのに花びらをそよがせていた。
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