沈丁花

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 仕事帰りに最寄駅の『やまびこタウン』へ降り立った時、本町は首筋が毛羽立つのを感じた。心当たりはない。  夜10時を過ぎた駅前に人は少なく、閑散としている。整備されたメインストリートに沿って街灯がぽつり、ぽつりとついている。何も変なことはない。いつもと同じ光景だ。  強いて言うなら、歩道沿いに植えられた木々……沈丁花の木々が薄桃色の花をつけ始めたことぐらいだろうか。その甘い香りは心地よくこそあれ、不快ではない。  本町は首を振って違和感を吹き飛ばした。今日は課長にしこたま怒られたから、疲れているんだろう。せっかく念願のマイホームを買ったんだ。早く帰って美南を喜ばせてやろう。   本町が妻の美南と共に『やまびこタウン』に移り住んだのは2週間ほど前のことだ。  この街は山を切り崩して建設された新興造成地だ。都心から離れ、周囲の街にも出づらい不便な土地だが、私鉄の特急が出ているので通勤には困らない。  駅から歩いて行ける距離にショッピングモールが併設されているので、必要なものはほとんど揃う。気軽に飲みに行けるような店がないのは少しばかり寂しいが、変な繁華街がない方が夜道も安全だ。  そして、街のいたるところには緑の鮮やかな常緑樹が植えられている。 剪定された木々の織りなす緑は、ビル群に疲れた目によく沁みる。何より、都会に比べて空気がきれいだ。
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