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「予算はこのくらいなので、これで収まるようにお願いします」  背中を丸めた老人が通帳を開いて僕に見せた。そうは言っても全額葬式で使い切ってしまうわけにはいかないだろう。 「では”竹”でご用意させていただきます」 「”竹”ですか。それはちょうど良い。母ちゃんの名前は”竹子”っていうんだ。母ちゃんも喜ぶだろう」  老人は力なく笑った。 「そうですか、竹子さんですか。珍しいお名前ですね」 「兄さんが松男で妹が梅子なんだよ」 「なるほど、それはお目出度い……あ、失礼しました!」  ご遺体を前に「お目出度い」なんて、失言もいいところだ。葬儀屋NGワードじゃないか。 「アハハ、大丈夫。母ちゃんは名前の通り竹を割ったような性格だったんだよ。いつも真っ直ぐで、でも柔軟で。どんな苦労にも笑顔で耐えてきた。私にはもったいないくらいの女房でした」  老人は綺麗に整えられた奥様の髪を優しく撫でた。まだまだ別れ難いようだ。長年連れ添った人生の相方を亡くす気持ちはどんなものなのだろうか。僕にはとても想像できない。ただ、老人が愛おしそうに見つめるその瞳は、何十年も昔の青年の目だ。ご遺体は化粧をほどこしてあるので頬はピンク色だ。でもその頬さえも、愛しいご主人に髪を撫でられ染めたように見える。  年老いてもなお愛し合う2人。こんな夫婦に僕もなりたい。共に白髪の生えるまでという言葉を思い出した。奥様は真っ白で見事な白髪だった。だが老人の頭髪は年齢のわりに黒く、ふさふさしている。怪しいとは思うが、そういう体質なのかもしれない。僕もそうであってくれと祈るばかりだ。  いや、でも怪しい……。
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