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(閉店間際の花屋。客の男と、パート店員の奈緒)
奈緒:いらっしゃいませぇ。何をお探しですか?
客 :あー、えっと…バラの花束を…
奈緒:プレゼント用ですか?
客 :はい、108本(「結婚してください」の意)で。
奈緒:(やる気がない調子で)あー…今、在庫ないですね。
(店の戸を閉める音)
奈緒:ありがとうございましたぁ。
奈緒:――あんな冴えない男でも、プロポーズする相手がいるのかぁ。
(前後のモノローグにかぶせて)
奈緒:店長、これ、廃棄に出しておきますね。
店長:須藤さん、時間でしょ。
片付けたら、もう上がっちゃって。
奈緒:はーい。
奈緒:――誰かに喜ばれることも、綺麗に飾られることもない、
ただ消費されていくだけの華の無い人生。
悪魔:(被せるように)…楽しかった。幸せだった。美しかった。
またあのときに戻れたら…なんて、思うことはございませんか。
奈緒:えっ…
悪魔:失礼いたしました。
大きなため息が聞こえたような気がしたもので、つい。
わたくし、こういうものです。
奈緒:「株式会社ハッピーライフ――あなたの人生、やりなおせます」
悪魔:はい。
奈緒:…詐欺?それともセミナーとか?そういうのは結構です。
悪魔:きっとお役に立てると思いますよ。
お困りの際には、ぜひよろしくお願いいたします。
(パートを終え、実家に車で帰宅した奈緒。手には廃棄の花)
奈緒:ただいま。
美岬:遅かったね。何かあった?
奈緒:…何もないし、逆に何があるって言うのよ。
美岬:それならいいけど。
なんかあったら、すぐ母さんに言いなさいね。
奈緒:…。
美岬:あら、お花。珍しい。売れ残りの?
なんでそんなもの、持って帰ってきたの。
奈緒:…別に。
美岬:(奈緒の返答を遮って)あーあ、花なんて、消耗品ね。
キレイに咲いてるうちしか、価値が無いんだもの。
…昔、プロポーズに花を贈ってくれた人がいたけどさ、
結局あんなの、都合のいい夢をみせるための小道具ね。
奈緒:それって、別れたお父さんのこと?
美岬:ねぇ、それよりさ、これ(紙オムツ)、替えてくれない。
気持ち悪くって。
奈緒:…ヘルパーさんがいるときに済ませておいてよ。
美岬:いやよ。他人に頼らないといけないなんて。娘がいるのに。
奈緒:向こうは仕事でやってるのよ?
美岬:みんなそうやって表では言うけどね、内心どう思ってるかなんて
わかんないの。
特にあんたは騙されやすいんだから。
ほら、前もあったじゃない。結婚するってさ…
奈緒:お母さん…やめて。
美岬:まだ覚えてるわ。すっかり舞い上がっちゃって。
母さんが婚約破棄してやらなきゃ、どうなってたことか。
奈緒:…やめてってば。聞きたくない。
美岬:あんたのために言ってるのに、なに、その言い方。
そういう性格だから、その歳になっても結婚もできないんでしょ。
いつまでも過去のことを、グチグチ言って。あぁ、恥ずかしい。
奈緒:…誰のせいで、結婚できなかったと思ってんの!
(衝動的に母に手をかける奈緒)
美岬:(喉を締められ苦しむ声)
(美岬の遺体を車に詰め込む)
奈緒:…はぁ…はぁ…
奈緒:お母さんが…悪いんだ…
お母さんのせいで、好きなこともやらせてもらえなかった!
結婚も就職も、全部、横から口を出されて、取り上げられて。
なのにこんな終わり方なんて…!
(遺体を遺棄するために、車で移動。森で遺体を埋める穴を掘っている)
(どこからともなくセールスマンが現れる)
悪魔:失礼ですが、何かお困りではありませんか?
奈緒:…!あんた、昼間の…
悪魔:おっと、お静かに。
わたくしはお客様の味方です。
人助けのつもりでお話をさしあげているのですよ。
奈緒:騙そうったって無駄よ。家にお金なんてない。
母の介護で、生活はギリギリだったんだから。
悪魔:お母さまの介護も、お金のことも、しっかり管理されていたのですね。
おひとりで抱えて、さぞお辛かったことでしょう。
奈緒:そうよ。私が何もかもひとりで…うっ…(泣き始める)
悪魔:今からお話しすることは、きっと悪い話ではございません。
さぁ、こちらの資料をご覧ください。
(説明が続く。しばらく間)
悪魔:…というわけで、弊社はお客様の「人生のやり直し」を
承っております。
奈緒:じゃあ、過去に戻って…例えば結婚もできるってこと?
悪魔:もちろんでございます。
奈緒:…でも、また失敗したら…。
悪魔:万が一、やりなおした人生にご納得いただけない場合は、
クーリングオフも可能でございます。
承れるのは、やりなおした人生が、今日に到達するまでの間。
奈緒:でも、そんな都合のいい話があるわけない。
悪魔:はい。大変申し上げにくいのですが、
このやりなおしは、慈善事業ではございません。
あくまで契約でございますので、相応の代償を頂きます。
奈緒:代償?
悪魔:ふむ、代償は…「お母さまのご遺体」でいかがでしょうか。
奈緒:え?
悪魔:弊社とご契約いただければ、証拠も痕跡も、跡形もなく全て
回収させていただきます。
奈緒:でも、それじゃ…そんなのが代償に?
悪魔:(遮って)お客様にご満足いただくのが、わたくしの幸せなのです。
差し出がましく恐縮ですが、いままでの人生、
お母さまの強いご意向に素直に従ってこられた結果でございましょう?
もし干渉が無かったら…と考えたことはございませんか?
奈緒:…。
悪魔:お気に召さなければ、クーリングオフで元通り!
お客様が損をすることはございません。
それとも…このままお母さまのご遺体と一緒に、
残りの人生を送る方が幸せだとお考えですか?
奈緒:…わかった。契約する。
悪魔:ありがとうございます。さぁ、こちらにサインを。
そして、やり直しスタートのご希望日は、こちらに。
奈緒:やり直す…日…。いつでもいいの?
悪魔:はい、もちろんでございます!
お客様がこの世に生を受けてから、今この時まで、
お好きな時間をお選びいただけます。
奈緒:…じゃあ。
悪魔:結構でございます。では、心ゆくまでお楽しみくださいませ。
(やり直しの人生 1982年頃)
(BGM/赤いスイートピーが流れる街頭)
美岬:…はっ!ここは…(キョロキョロ)本当にやり直しが…?
恭二:おーい、美岬!(恭二が離れた場所から美岬の姿を見つけて駆け寄ってくる)
美岬:…恭二?
恭二:…(息を切らして)あぁ、待った?
美岬:…わぁ…本物の恭二だぁ…(泣き出す)
恭二:なに?
美岬:うわぁん。本物だぁ。(抱きつく)
恭二:えぇ?そんなに俺に会いたかった?
美岬:会いたかった…ずっと会いたかった!
恭二:大袈裟!
美岬:もう…一生会えないかと思ってた。
美岬:――過去に戻りたいと祈ってた。
楽しくて、幸せで、美しかったあのときに。
恭二と一緒にいた時間は、特別な宝物だったから。
恭二:何ぼーっとしてんの。
挨拶に行くんだろ。お母さんのとこ。
美岬:…うん!
(車で墓地に移動、美岬の母の墓前にて)
恭二:お母さん…初めまして。近藤恭二と申します。
美岬さんとは結婚を前提にお付き合いを…いえ…
(美岬に向き合って)美岬、俺と結婚してください。
美岬:恭二…?
恭二:ごめん。お墓でプロポーズとかムードなくて。
でも、天国にいる美岬のお母さんに、
早く安心してもらいたかったんだ。
美岬:(涙ぐんで)うん…。
恭二:あと、これ…お金なくて今は1本だけど…
いつか、100本でも200本でも花束にして贈れるような男になるから。
それまで、ずっと一緒にいてくれますか。
美岬:ありがとう。最高のプロポーズだよ。
美岬:――女手一つで私を育ててくれた母は、過労がたたり、
私が中学生の時に亡くなった。
優しくて心配性だったお母さん。
今は天国で、私たちと新しい家族のことを
見守ってくれているだろうか。
(妊娠中のお腹をなでながら)
恭二:それにしても、プロポーズから、妊娠がわかるまで、
あっという間だったな。
もしかしてこの子に俺のプロポーズ、聞かれてたかもね。
美岬:うん、まぁ、ちょっと早かったけど…でも、嬉しい。
恭二:(お腹に向かって)
パパは、もっと、ママとラブラブちたかったよー!
美岬:もぉ!甘えん坊のパパでちゅねー!
(笑い声)
(SE:産声)
美岬:――人生をやり直すことで、やっと手に入れることが
できたかけがえのない時間。
幸せってこんなにあったかいんだ…。
(5年後、子どもが遊んでいる公園)
美岬:奈緒ー!そろそろお家に帰るよー。
悪魔:近藤様、ご無沙汰しております。
美岬:(セールスマンに気づき)…あ。
悪魔:やりなおしの人生は、ご満足いただけておりますか。
美岬:あなたは、ハッピーライフの…。あ、奈緒。
(奈緒が駆け寄ってきて、じっと悪魔を見つめている、間)
悪魔:はい。…奈緒様もずいぶん大きくなられて。
美岬:…奈緒、もうちょっとだけ遊んでていいよ。
(奈緒、無言で走り去る)
悪魔:本日がクーリングオフを頂ける最終日となっております。
美岬:あぁ、そっか。そんなに時間が経ってたのね。
…あ、奈緒ー!ちゃんと前見て!転んじゃうでしょ!
悪魔:さようでございますね。
美岬:このやり直しの人生で、恭二と結婚して、娘も産まれて…
傍目にはごく普通の人生かもしれないけど、
でも、きっとこれが幸せ、ってやつなんだと思う。
悪魔:では、このまま、こちらの人生をご希望でいらっしゃいますか。
(奈緒が転んで泣く)
美岬:あっ…あーあー。もう、何やってるの。
(奈緒に向かって、感情的に)
だから危ないって言ったでしょ!
ママの言うことを聞かないから、そうなるの!
悪魔:おやおや。
では引き続き人生をお楽しみくださいませ。
美岬:――夢みていた生活は、5年もたてば日常に色褪せていた。
だけど、一度掴んだ幸せを手放すことはできない。
(恭二、酔っぱらって帰宅)
恭二:ただいまぁ。
美岬:おかえり…って、酒くさっ。
恭二:奈緒は?どこかなぁ?かくれんぼしてるのかなぁ?
美岬:いま何時だと思ってるの。起こさないでよ。
恭二:はぁ?なんだよ、それ。この家のルールは俺だろ!
黙って従ってろよ。(大きな物音を立てる)
美岬:やめて、大きな声を出さないで。
(二人の様子を奈緒が立ち聞きしている)
恭二:(奈緒に気づき)奈緒!ほら、お土産もあるぞ!
美岬:…奈緒!部屋に戻ってなさい。
恭二:…なんだよ。来いって言ってるだろ!邪魔すんな。
(美岬の肩に掴みかかる)
美岬:痛いっ!
恭二:言ってみろよ。
おまえが、今、こんな生活ができるのは、誰のおかげだ?
(壁に追い詰めてドン)
美岬:…うっ!
恭二:男に媚びることしかできないバカ女のくせに!
美岬:痛い…放して…!
(パトカーのサイレン音)
美岬:――正直、この人生には不満もある。
きっと、私はどこかで選択を誤ってしまったんだ。
だけど、もしクーリングオフをしたら、
…全部「元の人生」に戻ったら。
きっと娘の奈緒は産まれなかったし、出会うこともない。
だから…私はこの手を放すことはできない。
美岬:(奈緒を抱きしめて)
…奈緒、ごめん。パパとは別々に暮らすことになった。
でもこれからは、ママが奈緒のこと、守ってあげるからね。
パパがいなくても、ママだってすっごく強いんだからね。
奈緒:(母が自分のためにクーリングオフをしなかったことを知って)
…おかあ…さん…
美岬:ん?どうしたの?「ママ」って呼ばないの?
奈緒:…(首を振る)
美岬:なんかあったら、すぐママに言いなさいね。
奈緒:…ん。ありがとう…ママ。…ごめんなさい。
(後日、ひとけのない公園)
悪魔:お呼びでございますか。須藤奈緒様。
クーリングオフ期間終了までは、まだだいぶお時間がございますが。
奈緒:えぇ。そうね。
悪魔:いかがでございますか?やり直しの人生は。
奈緒:…驚いたわ。
まさか、母まで「人生のやり直し」の契約を交わしてたなんて。
悪魔:くっくっく…わたくしも、驚きでしたよ。
まさか、ご自身の人生を、最初から…
そう、お母さまの胎内に生を受けた時から、やり直しをご希望されるとは。
奈緒:…ふふっ。
悪魔:しかし、この方法であれば、お母さま、
須藤美岬様の人生もご覧いただくことができますね。
奈緒:母が私に厳しく過干渉なのは、
自分と同じ失敗をさせたくなかったからなのね。
…人のことは口うるさく言うくせに、
自分のことは全然話さない人だから。
悪魔:はい。美岬様は「やり直しの人生」のクーリングオフを
ご選択されませんでした。
それは即ち、2回目の人生を歩むとご決断されたことを意味します。
奈緒:私、母といるのがずっと息苦しかった。
どうせ私なんて、生まれてきたのが失敗だったんだろうって。
でも、母は、私を育てることを選んでくれていたのね。
悪魔:さようでございますね。
奈緒:ふふっ…知らなきゃよかったな。
そうすれば、母を嫌いなままでいられたのに。
悪魔:では、もう一度、人生のやり直しをご希望されますか?
奈緒:え?
悪魔:お次は「お母さまの記憶」を代償にいたしましょう。
そうですとも!なにも置かれた場所で咲く必要などございません。
さぁ、奈緒様が望む色、好きな形で花を咲かせてまいりましょう。
わたくしがついている限り、奈緒様は何度でも納得いくまで
人生をやり直すことができるのです!
奈緒:そうね…
母がいなければ、私の人生はもっと違っていたかもしれない。
だけど、もう、新たな契約はしない。
悪魔:んん?
奈緒:せっかく提案してもらって悪いんだけど、
今回の人生は、クーリングオフさせてもらうわ。
悪魔:おや、クーリングオフ…でございますか?
奈緒:えぇ。かつての母が、私にしてくれたように、
私も母としっかり向き合いたい。
母の過去を知ったからこそ、私も母に優しくなれる気がする。
人生は何度でもやり直せる…そうでしょ?
悪魔:かしこまりました。
では、クーリングオフのサインをこちらに。
奈緒:(サインを記入する)…はい。お願いします。
悪魔:それでは、このたびは誠に御愁傷様でございましたぁ。
奈緒:…ご愁傷様?
悪魔:いえ、この契約で、お客様の記憶はそのまま継続されますが、
代償とした人物やモノの記憶は、全て抹消されております。
そのため、やりなおし後の人生を始めた時には、
何を代償としたのかも忘れてしまうのです。
さぁ、なぜ「人生のやり直し」を行うことを決断されましたか?
何を代償にして「人生のやり直し」の契約をされましたか?
ご契約の直前、奈緒様が必死に山に埋めようとしていたのは
どなただったか?
…ご記憶、ございませんよねぇ?
奈緒:あ…あぁぁ…。
悪魔:よいでしょう。何度だってやり直せますとも!
ただし、やり直した今回の人生のご記憶は、
クーリングオフで、全部元通り。
「何もなかった」ことになります。
なぜならこれは、あくまでも、悪魔の契約でございますから。
奈緒:あ…悪魔だなんて聞いてない…(苦しむ)
悪魔:あ、こちらサービスで、ご契約時の30分前に
時をお戻しさせていただきますね。
今度はお母さまと解り合えることをお祈りしておりますよ。
奈緒:あんたの思い通りになんかさせない…!
(冒頭の帰宅シーンに戻る)
美岬:…奈緒?ねぇ、奈緒ったら!聞いてんの?
奈緒:…はっ。…う…うん…えっと…何の話だっけ…?
美岬:んもう、だからね、特にあんたは騙されやすいんだから。
奈緒:は?
美岬:ほら、前もあったじゃない。結婚するってさ…
奈緒:お母さん、やめて。
美岬:まだ覚えてるわ。すっかり舞い上がっちゃって。
母さんが婚約破棄してやらなきゃ、どうなってたことか。
奈緒:やめてってば。聞きたくない。
美岬:あんたのために言ってるのに、なに、その言い方。
そういう性格だから、その歳になっても結婚もできないんでしょ。
いつまでも過去のことを、グチグチ言って。あぁ、恥ずかしい。
奈緒:…っ、誰のせいで…!(テーブルを叩いて立ちあがる)
美岬:…!(身構える呼吸)
奈緒:…うぅ…はぁ…はぁ…(頭痛で呼吸が乱れる)
美岬:奈緒?奈緒、どうしたの…?
奈緒:(しばらくして記憶が混乱したように、ためらいながら)…ママ?
(二人、見つめ合う)
美岬:…ん?なあに?急に「ママ」だなんて。
奈緒:いや…なんだか頭がごちゃごちゃして…。
美岬:やあね。なんかあったら、すぐ「ママ」に言いなさい。
奈緒:いつまでも子ども扱いしないでよ。
美岬:(空気を読めずに冗談を言い続ける)
あんたがいつまでもフラフラしてるからでしょ。
まったく、「ママ」が見てないと、まだまだ危なっかしくてダメね。
奈緒:…誰のせいで、こんな人生を贈ってると思ってるの!
(衝動的に母に手をかける奈緒)
奈緒:はぁはぁ…
奈緒:――誰かに喜ばれることも、綺麗に飾られることもない、
ただ消費されていくだけの華の無い人生。
…一度でいいから、誰かに愛されてみたかった。
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