2691人が本棚に入れています
本棚に追加
そんな話をしていると、フットサルをしてきたメンバーが元気よくお店に入ってきた。
もちろん田口さんもイチくんも。
途端に店内が賑やかになり、店員さんたちも一斉に飲み物に料理にと動き出しす。
さすがに主役のイチくんは今日は焼き係はしないよねと思ったけれど、本人は腕まくりをしてヘラを手に焼く気満々だ。
「おーい、イチ。焼く前に乾杯だぞ」
田口さんに言われ「へーい」とイチくんが渋々とヘラを置いて生ビールのジョッキを手にした。おいおい、自分の送別会ってわかってる?
「乾杯するぞー」
田口さんの合図で皆ジョッキをもつ。
「イチ、代表招集と休暇以外は帰って来んなよ。じゃあカンパーイ!」
「「「カンパーイ!」」」
実にあっさりとした乾杯の音頭と共に始まった送別会。
こんな感じでいいのかと驚くやら呆れるやら。別世界に住んでいるアスリートの皆さまの考えていることはよくわからない。
でもみんな笑顔だからいいのか。
イチくんはビールを半分ほど飲むとまたヘラを手にした。
「さあじゃんじゃん焼くぞ-」
ホントにこれでいいの?これでは誰の送別会かわからなくない?
イチくんと親しい人たちは慣れた様子で飲み食いをはじめていて、慣れていない私だけが戸惑っていたけれど、主役のイチくんは手際よく高そうなお肉を焼きはじめている。
初めからステーキ焼いてるけど、普通こんなお肉はメインなんじゃないんだろうか?という疑問もある。
お好み焼き屋の店内には大きなメインテーブルのようなものは存在せず、立食というわけではないけれど、特に席も決まってはいない。
みな自由にお酒を持って料理の置かれたテーブルを移動したり、思い思いの場所で会話や料理を楽しんでいた。
さすがに20数人もの量をイチくんひとりで焼くわけではない。
カウンター席の鉄板、店の奥と近くのテーブルの鉄板も使ってオーナー店主と隠居した元店主のお父さんとお母さんも今日は出勤していて、他にもスタッフさんも加わりじゃんじゃん焼いている。
田口さんの奥さんの隣でそんな様子をうかがっていたら主役のイチくんとぱっちりと目が合ってしまった。
「伊都ちゃーん、ヒマならこっち来て手伝ってよ」
にやりとしたイチくんにおいでおいでと手招きをされてしまう。
今日はまだ主役に挨拶もできていないからイチくんのところに行くのはいいのだけれど、さっき田口さんの奥さんから聞いた話が頭をよぎり微妙な顔になってしまいそうだ。
なぜだか嬉しそうな田口さんの奥さんに行ってらっしゃいと背中を押されて立ち上がると同じテーブルにいた田口さんから「二人で途中で消えてもいいけど、お好み焼きと焼きそばを焼いてからにしてくれってイチに言っといてな」とにやにやされながら言われた。
もちろん途中にも最後にも消えるつもりはないのでイチくんには伝えるつもりはない。
そうしてイチくんのテーブル席に行くと焼き係の助手に任命された。
助手といってもイチくんの焼いたものをお皿に取って他のテーブルの皆さんのところに配るだけらしい。
「山本に頼んでもいいんだけど、あいつらも練習上がりで腹減ってるだろうからさ。食わせてやらないと可哀想だろ」
確かにその通り。
大学生の山本くんたちは食べ盛りだ。
彼らのいるテーブルを見ると奪い合うようにして前菜を食べていた。
他に助手ができそうなのはお店のスタッフさんなんだろうけど、彼らは素早い動きで焼き上げていく店長や元店長にかかりきりでこちらの配膳のお手伝いまではできそうもない。
食材と取りわけの為のお皿を持ってくるのが精一杯という感じだ。
何しろ20数名のアスリートの集まりだ。
どれだけ焼いても次々とお皿が空になっていく。
「適当に食べながらでいいからさ」
「そんな程度でいいならお手伝いするけど」
「サンキュー、助かるよ。じゃあこれ早速よろしく」
鉄板の上には早くも焼き上がった肉の塊があった。
イチくんが手慣れた様子で包丁を入れていく。
一口大にカットしたものを適当にお皿に入れてあちこちのテーブルに運べばいいらしい。
「オッケー」
鉄板横に準備されていたお皿にお肉を乗せスタッフさんから借りたトレイに乗せて配って回った。
最初のコメントを投稿しよう!