思い出は胸に痛い

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それから彼と何を話したのか記憶がない。 ひどい男だと思う。でも同時にわたしもひどい女だったのかもしれない。 やっぱり私の結婚願望が原因でダメになったような気がしてならない。 結婚を口実に会社を辞めたいとずっと思っていた。 そんなわたしの気持ちに気づいた祥太朗さんは私のことが重かったしわたしに対する愛も冷めていったんじゃないのかな。 だから別れは当然と言えば当然だったのだ。 祥太朗さんに他の女性の影は無かったーーーと思う。 余程隠れてうまくやっていたのでなければの話だけど。 たぶんそれはなかったと思う。 そんな不誠実なことをする人とは思えなかったし、他に好きな人が出来ていたならきちんと言ってくれたはずだ。 別れを了解したわたしは即日彼の部屋を出て自分の部屋に戻り、自分の部屋に残った数少ない祥太朗さんの荷物を纏めて段ボールに詰め込んだ。 「俺の荷物は捨てていいから」なんて言われたような気がするけれど、でもそれはやはり自分で捨てて欲しいと思って宅配便で送ることに決めた。 問題は彼の部屋に残してきたわたしの荷物。 下着もあるからやっぱり自分で始末がしたい。 あの時は週末に片付けに行くと言ったような気がするけれど、一人になって冷静に考えるととてもじゃないけどこんな気持ちを抱えて週末まで待つことなんて出来やしない。 翌日仕事を早退し、昼過ぎに合鍵で彼の部屋に入り自分の衣類やメイク用品、雑貨などを処分した。 24時間ゴミ捨てが出来るマンションはこういうときにも助かるなんてどこか他人事のように思いながら。 それでも二人で過ごした証拠を全て自分一人で処分するのはあまりにも悔しくてペアの食器、カトラリー、リネンはそのまま放置した。 海外に行くときにここの物は全部捨てるって言ってたのだからこれくらいのお片付けはお願いしよう。 どうせ業者に頼むのだろうし。 わたしのことを簡単に捨てるのだから、このくらいのことなんでもないだろう。 自宅に戻り、前日に纏めた彼の荷物の入った段ボール箱の中に彼のマンションの鍵を入れて彼の部屋宛てに発送しその旨をメールした。 そうして祥太朗さんの連絡先を着信拒否にしてスマホから削除。 それでは完了。 祥太朗さんの中からわたしというお荷物が処分された瞬間だった。 涙が流れたのはそれからだった。 自己嫌悪と虚しさ。 そして大きな喪失感。 付き合って2年とちょっと。 別れの原因はわたしにある。 転職した祥太朗さんが楽しそうに働いていたのに、わたしは仕事のプレッシャーとストレスでどんどん暗くなってたし、そりゃあ鬱陶しかっただろうなと思う。 「辛いことがあるなら聞くよ」って言ってもらっていたけれど自分の見栄みたいなものが邪魔をして、前の職場も今の職場でも楽しそうに働く祥太朗さんには相談なんて出来なかった。 今さら気づいた自分の悪いところが次々に浮かんでくる。そりゃあ祥太朗さんも別れたくもなるだろう。
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