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ひいっく・・・・・・
別れを告げられたときに出なかった涙は止まることを知らず、ただただ流れ続ける。
どうしたら止まるのかわからず止めることは出来なかった。
わたしは祥太朗さんにとっていい恋人ではなかった。
こういう結果になったのは自分のせい。
でも、わたしは祥太朗さんが好きだった。
だから寂しいけれど恨んではいない。
でもどうか、私から見えないところで幸せになって欲しい。
私のことを捨てた男の幸せを願えるほどできた女じゃあない。
二度と会うことはないだろう。
さようなら
その日は泣きながらいつの間にか寝てしまい、翌日の朝、起きたら謎の耳の激痛でまた泣けた・・・・・・。
この年で泣きながら寝て起きたら耳が痛かったなんて本当に情けない。
泣いて中耳炎になるのは子どもだけじゃないのかな・・・・・・。
痛み止めを飲んで出社し社内の診療室に行くと中耳炎と診断されてお薬を頂いたのだけれど、なぜこう言う状態になったのかという説明をするのがとても恥ずかしかった。
ドクターとナースに気の毒そうな目で見られたこともキツくて耳だけじゃなく胸が痛かった。
幸い出された薬を飲んだらすぐに痛みが引いて耳の痛みは楽になったのだけど、胸の痛みは治まらない。
また泣き寝入りするのが嫌で姉の家に押しかけてしまった。
その頃かわいい甥っ子の昴はまだ小学二年生。
「伊都ちゃん、伊都ちゃん」と一緒に寝てくれる有り難い存在だったのだ。
姉の家庭に一泊だけ世話になろうと思っていたのが、たまたま義兄が出張で半月ほど留守になることになっていたため姉にその間お泊まりすればいいと言われた。
姉も義兄もわかりやすく両目を腫らし耳痛を訴える私をみて何か察してくれていた。
有り難くそのまま義兄が留守の間中子守役として姉の家でお世話になることにして、かわいい甥っ子を膝に抱えた。
「甘やかしすぎないこと」が条件だったけど、どちらかというと甘やかされたのは私の方だったと思う。
一緒にご飯を食べて一緒にお風呂に入り、一緒に寝る。
休日も一緒。
おかげでぽっかり空いた穴を甥っ子を愛でて過ごすことができてあの時期の私にはとてもラッキーだった。
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