思い出は胸に痛い

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昴を送り届け自宅マンションに戻る電車の中で帰り道に昴が言っていたSNSを検索してしまった。 うん、昴の言うとおり。 スポンサー企業の重役のことだからすぐに身元が割れたらしい。 氷室祥太朗31才。 有名食品メーカー創業家の一族のひとり。 現社長の息子。 海外勤務を経て先月帰国。 専務。 ・・・・・・そうか専務さんになったんだ。 てっぺんに近いところにいったんだね。 それが祥太朗さんが望んでいたものであるならいいのだ。 彼の本心は私には関係がないこと。 ** 祥太朗さんと出会ったのはわたしが大学生の頃だった。 就職が決まり、残り僅かな大学生活を憧れていたカフェでバイトをしていた時に祥太朗さんがお客さんとして来たというのが出会いだった。 当時祥太朗さんは25才。 大学時代の仲間と作ったベンチャー企業に勤務していてカフェに来る姿はいつもヨレヨレで彼の素性は私だけでなくスタッフの誰もが知らなかった。 ボサボサヘアに無精ひげ、目の下のクマ、ヨレヨレのシャツにデニム姿で度々お店にお財布やスマホを忘れていき慌てて戻ってくるうっかりさん。 忘れ物が多い常連さんだなと気になり、それからお店に来る度に挨拶程度に会話する関係になり、それがいつしかほっとけない人に変わった。 その頃は目元が見えないようなボサボサヘアで、見た目じゃなくて人柄の良さは伝わってきていたから素性はわからないけれど悪いひとじゃない常連さんという認識だった。 他のスタッフもボサボサヘアとヨレヨレの服装の印象が強くて彼がイケメンだと気が付いていた人はいなかった。 みんな彼のことを30代半ばのさえない男と思っていたから。 それから少ししてわたしは就職のためカフェのバイトを辞めることになった。 彼は常連さんではあったけど、毎日来るわけではなかったから次にいつ店に来るかなどわからない。 辞める前日、たまたま店を訪れた彼に自分は明日でお店を辞めるというお別れの挨拶をした。 「これからは忘れ物に気をつけて下さいね」と付け加えると 照れくさいのか困ったように髪の隙間から見える口角が下がったからくすりと笑ってしまった。 もしあの日、もしくはやめる日に彼が来なかったら私は辞めることを伝えられずに店を去り、私たちの糸は切れていたのだろう。 しかし、翌日バイトが終わって店を出たところで見目麗しい男性に声を掛けられた。 それがボサボサだった髪を切り無精ひげがなくなった祥太朗さんで、彼に「付き合って欲しい」と告白されたのだけど、初めて見る彼の顔に私は彼が誰だかわからなくて。てっきり知らない人の声を掛けられたのだと思ってしまった。 よく聞いてみたらあのヨレヨレがこんな若いイケメンだったとびっくりして腰を抜かしそうになり、彼から思い切り笑われたのだった。 まさかあの前髪の下にあんな綺麗なお顔があったなんて。
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