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63.正反対の感情と痛み
「俺だ、攻撃するなよ」
飛び出す前に声を掛けたのは、バラムだった。狼獣人の特徴である耳や尻尾を出した彼の出現に、ブレンダは安堵の息を吐く。もしかしたら勇者ゼルクかと心配したが、バラムでよかった。
同様に警戒していた翼手族の青年も、ほっと力を抜いた。剣から手を離したブレンダに会釈し、青年は空に舞い上がった。護衛と監視を兼ねているが、顔バレしたので今後は誰かと交代する。この辺の事情は理解しているバラムが、手を振って見送った。
「この少し先に勇者ゼルクがいる」
「ああ、殺すわけにいかないのが厄介だな」
バラムも知っている。やはり知らないのは人族だけか。ブレンダは落ち着いて状況を確認した。次の勇者が選ばれないよう、ゼルクを生かしておくこと。人族を壊滅させる気はないこと。数を減らして管理する予定も含め、その戦略に驚くばかりだった。
「それをすべて、魔王陛下が一人で考えたのか」
「魔王様は先代の竜王から知識と力を受け継いだ。魔神様の加護と祝福もある。でもな、まだ二十年も生きてない子どもなんだよ」
別に秘密でも欠点でもない。だから明かしたが、ブレンダは目を見開いた。魔族の寿命がとんでもなく長いのは知っている。その魔族で二十年? 自分達なら幼児かもしれない。
「まだ守られる年齢なのか」
「ああ、母親に甘えている歳だ」
衝撃だった。先ほどの翼手族の青年を思い浮かべる。彼も家族を人族に殺されたかもしれない。それでも私に攻撃しなかったのか。ブレンダは人族の愚かさと醜さに、激しく感情を揺さぶられた。悔しくて悲しくて寂しくて……胸が痛い。
「人族が魔族にしでかした罪を教えてくれないか」
事件ではない。一方的に人族が罪を犯したはず。ブレンダはそう言い切った。バラムは歩くよう促しながら、ぽつりぽつりと語る。勇者ゼルクの集落を襲ったのは、誘拐された息子に首輪をつけて拘束していたから。魔王ガブリエルが勇者を憎むのは、親と大切な人を目の前で殺されたから。
他種族から聞いた話も付け加えた。主観が混じらぬよう、できるだけ淡々と。歩きながらすべて聞いたブレンダは、途中で口を挟まなかった。遮らず最後まで聞いた後、ぽつりと「辛い話をさせた」と礼を付け加える。
人族に生まれたことを恥じる必要はない。わかっていても、何も知ろうとしなかった自分を悔やんだ。一方的に見てはいけない。幼子だった自分を助けた森人族がいたように、いつか……魔族を助けて死ねたら償えるだろうか。
ブレンダは己の短い寿命の使い道を、魔族のためになる方向へと定めた。
ふらりと起き上がったゼルクは空を見上げ、大きな息を吐き出す。ブレンダに会って謝る、この目標を叶えたらどうしようか。何か目的があるうちは生きていけるが、謝罪を拒まれたら? 何も残らない。地位も賞賛も財産も……仲間さえ。失うものばかりの人生にうんざりしても、死を選ぶ勇気はなかった。
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