第2章 崩落と柱

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   相変わらず、唯織の口元には癖になった笑みが浮かんでいることだろう。  如月が桃色の薄い唇を震わせて、どうして、と呟いた。誰も次のカードを出そうとはしない。   「なぁに、如月」 「どうして、1年前生徒会ではなく風紀委員になったんですか?どうして、帰ってきてから名前で呼んでくれないんですか?どうして、なんで、私たちを置いていったんですか?3年間、どこにいて、何をしていたんですか?」    ぽたり、と朱色の宝石から水滴が落ちた。  繰り返される「どうして」に思わず眉が下がる。どうにも他人の気持ちに鈍感な唯織は、ようやっと“誰かさん”が唯織であることを理解した。  そして、ここ最近の生徒会が転校生くんに引っ付いて回る原因が唯織であることに気づいて、心の中で重たいため息を吐く。  思っていたよりも、幼なじみたちの心の中で八千代唯織という存在は大きかったようだ。  すり、と向かいに座る如月の目元をなぞる。   「……答えられる範囲で応えていこうかなぁ」 「ぁ……すみません、これは私の我儘なので、イオリは気にしなくて大丈夫です「ううん、違うよ」……何がですか?」 「卒業式のあと挨拶もせずに消えてごめんねぇ。……あの時は俺も色々あって言えない状況にあったから。でも、帰ってきた時に大体は説明しておくべきだった、不安にさせてごめん」 「ッ……色々、が何か聞いても?」 「……ごめんねぇ」 「いえ、いいえ、踏み込んだことを聞いてしまいました」 「……初等部を卒業したあとの3年間、俺はイギリスにいたんだ」 「イギリス?」    ピクリ、と反応した獅子王に首を縦に動かす。   「父の仕事を手伝うためにイギリスに渡ってたんだよねぇ。結構大変だった〜」    ちなみに、これは8割本当の2割嘘。  イギリスに渡ったあとは養父の仕事を手伝っていた。人間の力だけでは難しい問題を、〖日生〗がスルリと糸を解くことで動きやすくする。“八千代家だからできること”を増やすことで、相手方引いてはその周囲にまで影響を示すことに繋がる。  八千代家の力が強ければ強いほど、生きていない人も含めた人脈は広がり、〖日生〗の動きやすさは格段に上がる。  つまり、唯織の本来の目的は八千代家の仕事の手伝いではなく、〖日生〗としての繋がりの拡大。   「やっと2年前の冬に落ち着いてきたから、どうせだったら、またみんなに会いたくて群青学園に帰ってきたんだぁ」    これは本心。  身の危険があるのはどこでも同じ。だったら、幼なじみのいるこの学園に帰ってきたかった。  そして、   「1年前風紀委員に入ったのは、この学園の治安を良くするため」    これは事実。  事前情報で学園が壊れる寸前だと聞いて、見直しが必要だと思った。だから、学園が見渡せて、尚且つ治安維持に直接関われる風紀委員に入ることを選んだ。  結果、食堂事件のように生徒たちは水埜だけでなく唯織の意見も素直に聞いてくれるようになった。耳を傾けるという意識を持ってもらえる、それだけで言霊の伝わり方が変わり、唯織自身余計なエネルギーを使わなくても良くなる。   「……名前は、どうして呼んでくれないんですか?」 「少し、距離を考える必要があるかなぁって」 「距離を考える?」 「そ〜。八千代として社会に出る上で、あんまり近すぎると良くないかなぁって思ったんだよねぇ」 「八千代として……」 「うん、八千代は第三者という立場でみんなを繋げる役目だからね」    これは真っ赤な嘘。  森羅万象に愛されている〖日生〗は良くも悪くも言葉には力がこもる。  そして、名前はそのヒトをそのヒトたらしめる記号であり、非常に重要な価値を持つ。それを〖日生〗が呼んでしまうことで、そのヒトの存在や価値を良い方向にも悪い方向にも揺るがしてしまうことに繋がる。  時たま、食堂のように彼らの意識を唯織に向けさせるために呼ぶこともあるが。   「だから、俺は如月の事は如月って呼ぶし、杠葉のことは杠葉って呼ぶよ」 「……わかりました」 「ん、しょ、がない」    だけど、彼らもあと数年したら社会に出てトップ層に名を連ねるようになる。  特に如月や杠葉、獅子王はしっかりと理解している。だから、こういうビジネスなことに関しては割り切ってくれると思っていた。  
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