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26 ひよっ子、看病される
気が付いたら、藁の上に寝かされていた。頭が痛くて顔を顰めると、目尻がひきつれて顔もカピカピしていることに気付く。
(……そうか、ナイルの言う『愛の巣』に連れてこられたんだっけ……)
ナイルの自宅は山の中にあった。木でできた家はしっかりしているものの、ナイルの一人暮らしには丁度いいくらいの大きさだ。視界にはキッチンらしき場所があり、あとは服を入れるためのチェスト、机と椅子が一脚ずつあった。ベッド代わりの段差にヤンは寝ていて、開けっ放しの窓からは上機嫌な鼻歌が聞こえる。
「お? ヤン、起きたかー?」
勘がいいらしいナイルは窓から中を覗くと、ニカッと笑った。他人に手をかける凶暴ささえなければ、人懐こくて接しやすい猫なのだ。
「……これ薬草。傷口に塗ってやるから」
入口から入ってきたナイルは、ヤンのそばにくる。番にすると言った通り、ナイルはここに来てからヤンをかいがいしく看病してくれた。ただ、騎士服は似合わないと言われて脱がされ、ヤンは綺麗だからと裸にさせられたけれど。
「ごめんなー。逃げられるって思ったらつい手が出ちまってよ……」
心底申し訳なさそうに言うナイルは、嘘を言っているように見えない。だからこそ、彼の凶暴さに寒気がした。自分の欲望、感情が剥き出しで、そのためには手段を選ばないのだ。
ナイルはヤンを起こそうと、首の後ろに手を入れようとした。けれどヤンは、頭痛のせいで起き上がりたくなく、介助を断る。
「そんなに冷たくしなくてもいいじゃないかー」
「ごめん、本当に頭が痛くて……」
ヤンがそう言うと、ナイルはそっか、と納得したようだ。気持ち程度の上掛けを退けると、止血のために巻いていた布を解いていく。
「ちょっと深く切っちゃったな……でも大丈夫、俺様が治してやるから」
よく言う、とヤンは思う。しかしナイルは至って真面目だ。ヤンを逃がさないために傷付けておきながら、同じ口で治してやるなんて、言動の矛盾に恐怖さえ覚える。
ただ、ここでナイルの神経を逆撫ですることがあれば、ヤンは容赦なく酷い目にあわされるだろう。しかももっと怖いのが、番にすると言ってあれだけ強引に連れてきたのに、怪我が治るまでは手を出さないと言ってきたのだ。大事にしたいのかそうじゃないのか、彼の真意が分からず、下手に動かない方がいいと悟る。
「同じ希少種同士、仲良くやろーな?」
しかもナイルはヤンを同類だと認め、勝手に親近感を覚えていた。ヤンは微笑みかけると、彼は嬉しそうに笑う。
「そうなんだ……」
「そっ。最近は混血の、なよっちいのが増えてっけど、生粋のベンガル猫はもう数える程しかいない」
なるほど、とヤンは思う。だからといって同情することはないけれど。こちらの意向を無視して事を進め、山の中に一人暮らしで他と交流もなさそうなら、やっぱりナイルの人となり……猫となりが知れる。
ふと、体温が近付き頬ずりされた。甘え方は猫だなと思うものの、ヤンの心は一切動かない。
……まだだ。怪我が治って自分で動けるまでは、大人しくしていた方がいい。ヤンはそう思ってナイルの頭を撫でる。
どうしてこんなに冷静でいられるのだろう、とヤンは思った。臆病な自分は、以前ならこんな場面でも、ナイルが近付くことを許さなかっただろう。そしてすぐにその答えが見つかる。
ナイルをここに留めておけば、レックスたちに危害が及ぶことはない、と。できるだけここでは穏やかに過ごし、ナイルが油断した隙をつくのが一番いい。そのために、ヤンは覚悟を決めたのだ。
(すぐに迎えに行く)
レックスの言葉が蘇る。結局あの言葉に返事はしないままだったけれど、ヤンがその言葉に期待していることを、ナイルは知らないはずだ。
「ナイル……どうして僕なの?」
できるだけ甘い声で、ナイルに問いかけた。すると彼は顔を上げる。その表情は笑っていて、心底優しさが溢れている目をしていた。
「決まってるだろ、一目惚れだ。ヤンを見た時一瞬で落ちた。この俺様が」
そう言って、ナイルは顔を近付けてくる。ヤンはすかさずその唇に人差し指を当て、彼の動きを止めた。
「怪我が治ってから……でしょ?」
我ながら吐き気がするほど、こういう仕草は身についてるな、とヤンは思った。村にいた頃相手をした、客だと思えばいい。ヤンは売れっ子だったのだから。
すると分かりやすく、ナイルは頬を染める。自分の言葉が効いていると確信して、ヤンは自らナイルに腕を回した。
この腕に抱いているのが、レックスだと思えばいい。破裂しそうな胸の痛みも、レックスを想っているからこそだと思えば、耐えられる。
「ヤン……一生大事にする。約束する……!」
「うん……」
ごめんなさい、とヤンは心の中でレックスに謝った。レックスを裏切るような真似をしているのは重々承知だ。かといって、何も持っていないヤンには、この方法しかない。こうしてナイルの心をこちらに向けておくことしか、できないのだ。
そして、レックスへの恋情が募ると同時に、どす黒く重たいものが裡に溜まっていく。『家族』と自分をこんな目に遭わせた、ナイルを許せない、と。この猫一匹のせいでどれだけの犠牲が出たのか、コイツにそれを分からせないといけない。ただ、まだその時期じゃない。
そう思っていると、ピリッと空気が張り詰めた。それはナイルも気付いたらしく、起き上がって気配を探っている。
まさかこの気配は……。すぐにとは言っていたがこんなに早く来るとは。
ヤンとしては怪我が治って、逃げるための条件が整ってからがいいと思っていたけれど、早く会いたいと思っていたのは間違いない。危うく泣きそうになり、ここで泣いたらナイルからの信用がなくなる、と堪えた。
「ヤン、ちょっと様子を見てくる。ここにいてくれよ?」
「もちろん。……え? ちょっとナイル?」
段差から降りて剣を取ってきたナイルは、ヤンの両手足を縄で縛り、上掛けを掛ける。どうして、とナイルを見ると、彼はヤンのダガーも持って、立ち上がった。
「な、ナイル……一人にしないで……」
こんな動けない状態で一人にされたら、逃げられない。足の怪我も治っていないから、脱出にも時間がかかるだろう。
しかしナイルはヤンのそばにしゃがんで目線を合わせると、眉を下げて頭を撫でてきた。
「ごめんなヤン。俺様はお前を誰にもやりたくないくらい愛してるんだ。ここで大人しくしていてくれ」
「待って……っ、ナイル……!」
ヤンにとっては絶望的とも取れるセリフを吐きながら、ナイルは家を出ていく。しっかりとドアの鍵が閉められたのを聞いて、やっぱりナイルはヤンを心から信用している訳じゃないと悟る。
「レックス様……っ!」
ヤンは横たわりながら目をつむり、祈ることしかできなかった。
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