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27 ひよっ子、救出される
窮鼠猫を噛む、ならぬ窮鳥猫を騙す作戦は、失敗に終わった。
やはりナイルは警戒心が強かった。あれだけの会話で完全に籠絡できるとは思わなかったけれど、まだまだ彼の心の表面の皮くらいにしか、入り込めていなかったのだろう。ヤンは内心唇を噛む。
「……」
外は張り詰めた空気のまま、しんとしている。お互い出方を窺っている、といったところか。強い気配がないから、レックス一人か、少人数で来たのかもしれない。
ヤンは目を開ける。
「この早さなら、僕と別れてすぐ追いかけて来てくれたのかな……」
――だったら、すごく嬉しい。
けど、とヤンは顔を引き締める。喜んでいる場合じゃない。外では今にも戦闘が始まろうとしているのだ。何とかしてレックスに加勢できないだろうか。
そう思って試しに縛られている両手足を動かしてみた。――ビクともしない。縄は解けるどころか、左右の手足をズラすことすらできないほど、きつく縛られている。手はともかく、足は怪我のせいで力が入らないし、こんな状態で置いていったナイルを内心で罵った。
すると、遠くで剣がぶつかる音がする。何回かの剣戟音がしたが、その度に肌が粟立つほどの殺気を感じ、ヤンは思わず身を竦めた。
レックスは無事だろうか? 騎士団長だから強いのは間違いないけれど、ヤンは間近で彼の本気を見たことがない。やっぱり不安だ。
そんなことを思っていたら、ヤンは気配を察して顔を上げる。同時にものすごい音を立てて出入口のドアが破壊された。破片がヤンの所まで飛んできて顔を背ける。
何が起きた、とヤンは再びドアの方を見た。砂埃だろうか視界が見えづらく、目を凝らしてドアと反対側の壁に倒れたひとを見る。
「ナイル……?」
どうやらナイルは気絶したらしい、ピクリとも動かない。
コツ、と靴が床に当たる音がした。視線を送ると、壊れたドアから入ってきたのは、大柄でグレーの髪、金の瞳――ヤンが会いたかったひとだ。
「レックス様……っ!」
ヤンが起き上がろうとすると、レックスは気付いてそばまで来てくれる。時間的にそんなに離れていなかったけれど、やっと会えた、とヤンは泣きそうになった。
「……無事か?」
「……っ、はいっ!」
レックスは相変わらず無表情で、ヤンの身体を起こし、拘束を解いてくれる。その時、上掛けが落ちて裸なのを知ったレックスは、僅かに眉根を寄せて、もう一度上掛けをヤンに掛けた。丁寧に巻き付けて端を縛って固定し、服のようにしてくれる。
「あ、あ、ありがとう、ございます……っ」
大きな手にドギマギしていると、レックスは小さくお辞儀をした。どうしてここで求愛行動? とヤンは慌てる。
「あ、あの……っ」
「怪我はないか?」
ヤンの身体をまじまじと見ていたレックスは、ヤンの怪我に気が付いた。表情を変えずに包帯の上をそっと撫でられ、思わず肩を竦める。
「すまない」
「い、いえ……」
ナイルに付けられた傷だ、と気絶しているはずのナイルを見た。
――いない。どこに行った? と視線を巡らせると、彼はいつの間にか気配を消して、レックスの背後で剣を振り上げている。さあっと血の気が引いた。
「……っ、レックス様!」
ヤンは叫ぶと同時に、咄嗟の行動で飛んできていた木片を片手で掴んだ。もう片方の手でレックスを押し退け、全体重をかけてナイルに突進する。
ドスン、と音がした。木片を握った両手が燃えるように痛い。けれどヤンは、さらにそこからナイルの身体に木片を押し込む。自分が受け入れるのは、お前じゃない、と心の中で叫びながら。
「ヤ、ン……? 嘘だろ……?」
ナイルがよろけたことで、二人とも床に崩れ落ちた。すぐにレックスがナイルを蹴り飛ばし、ヤンから引き離してくれる。ナイルの腹から血が流れ出ているが、動けないのは怪我のせいと言うよりも、精神的ショックが大きいようだ、呆然としている。
「そこまでだ!」
するとバタバタと騒がしい音を立てて、アンセルと数人の騎士が入ってきた。あっという間にナイルを取り囲み、彼を拘束する。ナイルはその間も大人しく、止血をされて家の外へ連れて行かれても、抵抗しなかった。
「レックス様、ご無事でよかったです……避けて頂いて助かりました」
レックスがナイルに襲われそうになった時、ヤンの力だけでは彼を退かし切れなかっただろう。レックスがヤンの動きを察して、自分から動いてくれたのがよかった。
「……」
しかしレックスは眉間に皺を寄せたまま、黙ってヤンを抱き上げる。彼から不穏な空気が漂ってくるけれど、ナイルは捕らえられたのにどうして眉間の皺が取れないのだろう、と慌てた。
「あの、レックス様……?」
「……」
ヤンが話しかけてもレックスは返事をしない。ギュッと手を握ると痛みが走って、ようやく自分の手が真っ赤だと言うことに気付いた。素手で木片を持ってナイルに突き刺したのだ、怪我もするだろう。
「あ、レックス。こっちは問題ないよ……って、ひな鳥ちゃん! 怪我してるじゃないか!」
家の外に出ると、アンセルが駆け寄ってきた。馬や荷馬車も来ていたけれど、こんなにすぐに追いついたのはなぜだろう、と疑問に思う。
「処置が先だ」
「もちろんだよレックス。……救護班!」
「いや、俺がやる。人払いを頼む」
レックスの言葉に、アンセルはあからさまに狼狽えた。気が利かなくてごめん! と離れていくアンセルを、ヤンは他人事のように眺める。
不思議なことに、レックスに抱かれていても、ヤンは安心感しかなかった。彼のしっかりした胸板と、腕の力強さがそうさせるのかも、と思ったけれど、ヤンがいくらレックスを見つめても視線が合わない。それが次第に不安になってきた。
家の裏手にあった切り株に降ろされると、救護班らしきひとが道具一式を持ってくる。そのまま回れ右をして帰っていく救護班を見送ってから、レックスに「手を見せろ」と言われて素直に見せた。
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