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駅に戻る道のりで、あちこち寄り道をしながらたくさん笑った。お茶を飲みながら、途切れない話をした。あらゆることを話したけど、これからのことだけは、一つも話題にしなかった。
朝と同じ時計台の下に立った頃には、日はすっかり暮れていた。街灯の明かりが差し込む中、温かなダウンジャケットに包まれた彼女は、幸せそうだった。
「今日の佑二、なんだかいつもと違うね」
「そうかな」
「うん」
大きく頷いて、にっこり笑う。
「連れ回してくれたの、嬉しかった。私がリードしてばかりだったもん。楽しんでるのは私だけかなって、ちょっと不安になっちゃうから」
葉月がそんな不安を隠していたのに、僕は気付かなかった。
「楽しいよ、葉月といられるなら」
きゅっと彼女が唇を結ぶ。その端を戦慄かせる彼女は、やがて「私も」と言った。
今となっては、全てわかる。どうして僕が三月二十五日、葉月との別れの日を繰り返していたのか。最後の日から抜け出すことができなかったのか。
僕と葉月が離れないよう、兄が繋ぎとめてくれていたんだ。
ずっと流されてきた。大事な人を大切にするあまり、きちんと向き合うことすら避けていた。自分以外のものが正しいんだと、自分を納得させてきた。この世を去っても、兄が心配して手を差し伸べてしまうほどに。
「葉月」
もう、心配いらないよ。あの公園で、僕は彼にそう伝えた。
「僕は、これからも葉月のそばにいたい」
微笑む彼女は、僕をじっと見つめている。湖面のような美しい瞳。
「葉月とは別れない。僕はずっと繋がってる」
湖面が揺らいで、水が溢れる。
「……ごめん、佑二」
済まなさそうな彼女の台詞。だけど僕はもう、臆さない。
「それでも、そばにいる。葉月が僕を嫌いになっても、僕は葉月のことを考えてる」
「嫌いだなんて、思うわけないよ……。でも、もう」
「何回さよならを繰り返しても、僕は死ぬまで葉月のことが好きだから。会えなくなっても、声さえ聞けなくなっても、葉月は永遠に僕の一番だ」
二度ひくついた頬に、涙が線を引く。
「だから、さよならなんて言わないよ」
例え恋人でなくなっても、遠く離れても、二度と会えなくても、僕が葉月を想う気持ちは変わらない。それを知っていてほしかった。
肩と喉を震わせて、葉月はしゃくり上げる。大粒の涙が目からぼろぼろ流れ落ちて、頬を伝ってダウンジャケットに滴り落ちる。彼女のとめどない涙を僕が指先で拭うけど、止まる気配もなく流れ続ける。
たくない、と彼女が呟く。苦しそうに嗚咽を零しながら、葉月は言った。
「離れたくない」
抱き着く葉月の身体を、僕はしっかりと抱きとめる。彼女は小さな子どものように泣きじゃくる。その温みが、腕の中で静かに震えている。
「私、手術するの」
そして葉月は、教えてくれた。
数か月前、心臓の病気が発覚したこと。今のところ生死に関わる状態ではないが、将来のため親戚の医者の元で手術を行うと決まったこと。術後も静養が必要なこと。
僕は何も知らなかった。それでも、葉月が僕を心配させたくなくて、何も言わなかったのだと理解できる。彼女はそんな、優しい女の子だ。
「戻って来れるか、わからないから。佑二の時間を、無駄にしたくないから……!」
熱い涙を流す彼女の髪を、僕はそっと撫でる。もこもこのダウンジャケットは、彼女の身体を冷やさないようにしている。
「僕は、いつまでも待ってるよ。葉月が来られないなら、会いに行く」
「でも、今みたいに元気でいられるかわかんない。きっと佑二の邪魔になっちゃう」
「馬鹿だなあ。僕が葉月を邪魔だなんて思うわけないじゃんか」
今になって、彼女もひどく苦しんでいたことを知る。今までの僕には、それを背負う力はなかった。葉月に拒絶される理由さえ問い詰められず、どうしようもないならばと諦めてしまっていたんだ。
だけど、僕は僕を知った。どんな理由で拒絶されようとも、僕は葉月が大好きで、この先もずっと隣にいたいと思っている。例え嫌われていようとも、彼女の幸せを祈り続けている。
伝える勇気を、兄がくれた。何度も何度も繰り返して、僕が抱いていた本当の気持ちを気づかせてくれた。
「佑二……」掠れた声で名前を呼び、彼女は僕を見上げた。「まだ、私と付き合っていてくれる……?」
僕は笑いかけた。
「葉月とずっと一緒にいたい。これからも、僕の隣にいてほしい」
その言葉に大きく頷いて、彼女は細い指で僕の目尻に触れた。幸せを感じた僕の涙が、その指を濡らしていた。
泣きながら笑い合う僕らは、さよならを口にはしなかった。
草むらの向こうに見える彼は、じっと僕を見つめている。
僕も見つめ返す。中学生のまま時の止まってしまった彼の姿を。
涼やかな風が吹いて、草がさらさらと揺れた。そこに音はなかったけど、葉の擦れる音が聞こえる気がした。
確かに聞こえたのは、佑二、と僕の名前を呼ぶ彼の声。
雲が流れるように、日が差すように、顔にかかる影は消えた。
兄は、幸せそうに笑っていた。
僕の三月二十五日は、終わりを告げた。
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