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一話 天上人のような彼女
「美しい……」
その日、バーナビーは恋に落ちた。
艶のある黒い髪、鋭く光る金の瞳、手の甲や頬に煌めく翡翠色の鱗。
凛々しく逞しい外見に似合う、矜持と芯のある内面。
強さと優しさの完成されたマリアージュ。
何もかもが神々しい天上人のような彼女は、グリーンイグアナ獣人だった。
◇◆◇
齢22歳、種族は人族、大国エイヴリング王国の第二王子バーナビー。
脱いだらすごいと噂の金髪碧眼パーフェクト顔面な白馬の王子様バーナビーには、それこそ毎日のように縁談が舞い込む。
昨日は妖精国の女王から、今日は深海の人魚姫まで。
美男子ブロマイドの販売実績枚数を常に史上最高で更新し続ける、抱かれたい男No.1の名は伊達ではなかった。
(そうは言っても、私がもてはやされるのも、若いうちの数年間だ)
その数年間で、バーナビーを餌としてチラつかせ、各国との通商条約を好条件で結び直すと豪語しているのが6つ年上の兄クレイグだ。
クレイグはこの国の王太子で、将来は戴冠が約束されている。
つまりは国王になるわけだが、これまでバーナビーには、それの何が魅力なのかまるで分からなかった。
ふるう権力よりも、担う責任のほうが重そうだったからだ。
クレイグの右腕として、顔を利用した外交に精を出しているのが、自分には似合っていると思っていた。
だがしかし!
彼女と出会ってしまったバーナビーは、必要とあらばクレイグから権力を奪い取り、彼女に結婚を迫りたいとまで思いつめていた。
それはバーナビーの顔にまるで興味を示さなかった彼女に、すがってでもこちらを振り向いてもらいたいという情けない理由のせいだったが、果たして彼女が権力をもってしても頷いてくれるかは怪しい。
なぜなら彼女は清く崇高で、煩悩だらけのバーナビーが近づくには、恐れ多いように神々しかったからだ。
◇◆◇
彼女との出会いは、獣人国との通商条約締結の場だった。
その日、宰相の代わりに、クレイグの横で威厳がある振りをして立つ役を、バーナビーは仰せつかった。
あまりこういうちゃんとした場に、バーナビーは顔を出さないほうがいいのだが、いつもは元気な宰相がうっかり娘の風邪をもらってしまったと言うので仕方がない。
本来、バーナビーの顔は夜会や舞踏会など、歓声が上がっても問題ない場が適している。
今も、バーナビーの登場に合わせて獣人国サイドから黄色い声が飛んできた。
ここで手を振るファンサをしてしまうと、気絶する婦女子が出るから気をつけないといけない。
いつもより心持ちキリッとした顔をして、クレイグの隣に立ち、その仕事を隣から眺める。
先程、黄色い声を上げていたのは獣人国側のテーブルについている王妹らしい。
クレイグの前に置いてあるカンペの席次表には、レオノール・シルバと書かれている。
ウサギ獣人のようで、白く柔らかそうな髪の上に、垂れた長いふわふわの耳がある。
うるうるした大きな赤い瞳でバーナビーを熱心に見つめている様子は、一般的には庇護欲をそそられ、可愛いと評価されるのだろうが。
バーナビーにとっては見慣れたものなので、特に心を動かされはしない。
バーナビーの顔を見た妙齢の女性は基本的に、皆こうなるのだ。
しかし先ほどからレオノールは、ハァハァし続けている。
あまりにも長いので、もしかしたら、うっかり発情してしまったのかもしれない。
獣人族はミックスしている動物によって性質が違うので、バーナビーもすべての特徴を覚えているわけではないのだが、ウサギ獣人は有名なアレのはずだ。
性欲旺盛――。
(こんな公式の場で、発情して大丈夫か?)
流し目だと思われると大変なので、あまりキョロキョロしてはいけないのだが、どうしても気になったバーナビーは、チラリと一瞬だけ視線をレオノールへ投げた。
そして、そこで彼女を目にしたのだ。
鼻息の荒くなったレオノールの肩を、ガッシリとした両腕で問題なく押さえているグリーンイグアナ獣人の彼女。
落ち着いた態度で、たぎっているレオノールを冷静にたしなめている。
興奮しすぎてガチガチ前歯を鳴らし出した狂気の入ったレオノールにも気おくれせず、護衛騎士としての役目を果たそうとしているその姿。
バーナビーには、スポットライトが当たって見えた。
レオノールの隣に座っている国王ロドリゴ・シルバからの信頼も厚いようで、国王は極まってる妹そっちのけでクレイグと交渉を続けている。
(普通、ウサギの兄はウサギだと思うよね?)
ところが、ロドリゴは獅子獣人だ。
これは獣人あるあるで、先祖に一度でもその血が入っていれば、いつでも先祖返りするらしい。
バーナビーにも遺伝とかその辺りどうなっているのか、ちょっとよく分かってない。
(そんなことより彼女だ)
この会場には、両国の交渉の代表者とその護衛騎士、そして書記官がいる。
バーナビーは宰相の代わりなので代表者枠だ。
グリーンイグアナ獣人の彼女は、鎧装備であることを見ても護衛騎士に違いなかった。
(凛々しい……)
女性用の鎧の胸当てに、興奮する日がくるとは思わなかった。
バーナビーは、発情しているレオノールを心配している場合じゃなかった。
下半身に血が集まらないように、クレイグの仕事ぶりでも眺めてやり過ごそう。
そう思うものの、どうしても目は彼女に吸い寄せられる。
ついには立ち上がってバーナビーに近づこうとしたレオノールの首元にそっと腕を回し、キュッと締めてわずか数秒で昏倒させた見事な技に、バーナビーは拍手喝采を送りたかった。
宰相の振りをしているから、出来なかったが。
彼女とは、こんな堅苦しい場ではなく、もっと違う場でご一緒したいものだ。
硬質な胸当てを外し、柔らかなドレスをまとった彼女を、ぜひエスコートさせてほしい。
がっしりした腰に手を回し、鋭い瞳を見つめながらダンスを踊りたい。
(なんならそのまま、ベッドで朝まで――)
バーナビーの妄想がかなり進んだあたりで、両国間の締結内容が決まったらしい。
彼女を見つめる時間が終わるのが惜しいが、代表者同士で握手をして閉会とする。
(それにしても、彼女は私の顔を見ても眉ひとつ動かさなかったな……)
もしかして、男として魅力がないと思われているのだろうか。
バーナビーは人生で初めての経験に、その場で卒倒しそうになった。
「はあ……」
クレイグと一緒に執務室に戻り、バーナビーはソファに座るなり大きくため息をつく。
それが随分熱っぽかったのだろう。
「なんだ、お前らしくもない。ウサギちゃんに当てられて、発情したのか?」
クレイグが、バーナビーにからかいの声をかけてきた。
確かにバーナビーの下半身は、しっかり勃ちあがっている。
自分でも引くほどのガチガチ具合だ。
これを彼女に見られなくてよかった。
(いや、見てもらったほうが良かっただろうか? こんなにもあなたを欲しています、とか何とか言って……)
また妄想の世界に入ろうとしていたバーナビーを、クレイグが引き止める。
「無事に締結も終えたし、明日は祝宴だ。そんなに気に入ったのなら、ウサギちゃんをエスコートすればいい」
バーナビーが懸想している相手を、完全に取り違えているクレイグから、耳より情報が出た。
(祝宴だって!? 妄想を現実にする機会が、こうも早くにやってくるとは!)
「こうしてはいられない」
先方と交渉していたクレイグと違って、立っているだけだったバーナビーは、少しも疲れていない体で執務室を飛び出した。
「えらく元気だな……よっぽど、ウサギちゃんに夢中なのか?」
「確かに見た目は、護ってやりたくなるような美少女でしたね」
交渉の間、クレイグの後ろに控えていた護衛騎士が相槌を打つ。
「それじゃあ今日の代役のご褒美に、お兄ちゃんがちょっとしたサプライズでも用意してやるかな」
ガハハと笑うクレイグは、王太子ではなく、すっかり弟思いの兄の顔をしていた。
しかし、このお節介が、とんだ騒動を巻き起こすのだ。
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