カスケード(影山飛鳥シリーズ06)

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第36章  それから数ヶ月経った。影山と鈴木がその結婚詐欺事件のことを忘れかけていた頃だった。三日月刑事から影山の事務所に電話が入った。 「三日月さん、お久しぶりです。今日はなんですか?」  今日は久々の秋晴れだった。それで影山はすがすがしい気持ちで三日月に応答した。 「影山さん、遺体が上がりました」 「え」  しかしその気持ちは三日月の一言でいっぺんに吹き飛んでしまった。 「まさか溝卸早紀さんの遺体ですか?」  その声に鈴木が影山のすぐ傍に走って来た。それで影山はその電話をスピーカーフォンに切り替えた。 「はい。その溝卸早紀です」 「やっぱり自殺だったんですか?」 「はい。投身自殺でした」  投身自殺だと聞いて鈴木はやっぱりという声を上げた。 「やはり東尋坊の近くですか? それとも海流に流されて」 「いいえ、行田でした」 「行田?」 「はい。溝卸家の近くに大きな滝があるんですがそこに身投げしたんです。しかも心中でした」 「え」  それには鈴木が絶句した。 「相手は境林さんですね?」 「はい。溝卸と境林さんが滝つぼに身投げしたんです。両手を赤くて細い着物の帯のようなもので結んでいました」  影山は事務所に三日月と境林を集めて事件の全貌を示した日以来、境林と連絡が途絶えていたことを気にしていた。鈴木にも境林の勤める会社に電話をしてもらったが長期で休暇を取っているということだった。鈴木は傷心旅行ではないかと言っていたが影山にはどこか引っかかるものがあった。 「特別養子縁組という制度なんだけどね」  鈴木の涙が止まってしばらくすると影山はコーヒーを入れたカップを鈴木の机に二つ運んで声を掛けた。 「はい」 「どうして早紀さんがあの病を発症したのかそれがずっと不思議でね」 「私もそう思っていました」 「病気のことだからそういうこともあるのかなって」 「私もそうでした」 「でも気になって中野さんにね、あの中野みどりさんにだけど」 「はい」 「夕食をご一緒した時にちょっとお願いをしてあったんだよ」 「やっぱりそんな約束をされていたんですね」 「それが今日事務所のポストに届いていたんだ」  そう言って影山は茶色い封筒を鈴木に差し出した。 「中野さんが送って来たんですか?」  鈴木は赤く腫れた目でその封筒の差出人を見た。 「次の約束の時に渡してくれるはずだったんだけど、郵送されたってことは振られちゃったかなあ」  影山はまだ滅入っている鈴木をおどけて見ながらそう言った。 「それで何をお願いしたんですか?」 「DNA検査だよ」 「え?」 「早紀さんと久美さんのDNAを調べてもらったんだよ」 「え? どうしてですか?」 「だって結子さんと親子なら早紀さんにあの病が発症することはないだろ。逆にあの病が発症するのは久美さんの家系だけだからだよ」 「ですがあまりに奇抜すぎませんか?」 「僕もそう思った。だけどそういう奇抜な話じゃないとみどりさんがなかなか付き合ってくれなくてね」 「先生ったら」 「まあそれは冗談だけど、三日月刑事に頼んで早紀さんの遺留品とそして境林さんの家にあった恐らく久美さんの着ていたものと思われる着物に付着していた女性の髪の毛を中野さんのとこに送ってもらったんだよ」 「結果はどうだったんですか?」 「その報告書にある通り、まず親子に間違いないという結果が出た」 「先生、それって・・・・・・」 「早紀さんと境林さんは二卵性の双子で共に久美さんの子どもだったんだよ」 「え!」 「すると二人の生年月日から久美さんが徳久さんの息子と会う前の子どもだし、結子さんが再婚する前の子どもでもあるわけだから、二人の父親はともに一樹さんということになるね」 「二人は久美さんと一樹さんの子どもだったんですね」 「そしてつまりは早紀さんは女性だけに発症するあの病を抱えていたということになる」 「それじゃ早紀さんはそれを知っていて」 「うん。そうかもしれないね」 「これは久美さんが結子さんにした復讐だったんだよ。更に言えば分家である小林家の本家である溝卸家に対する復讐だったんだ」 「・・・・・・」  鈴木は言葉を失っていた。 「久美さんは境林さんと早紀さんが重荷だったのかな。溝卸家を追われた上、乳飲み子二人を抱えての生活は大変だったと思う。それで時々二人の子どもを放置してぷいと外へ行ってしまったことがあったようだ。友野さんが行田駅で見かけた珍しい人といい人というのはそういうことだったのではないかな。 あの日友野さんはあの明日香という喫茶店に行って新聞を読んでいたと言ってたね。その時の新聞の記事の記憶があって、それでその日を忘れずに覚えていたと話してた。私はそれは久美さんと次の夫となった人じゃなかったのかと思うんだ。と言うのもそれから少ししてだったね、久美さんが結婚されたのは」 「先生、行田駅で帰りの電車を待っていた時の友野さんの話を聞かれていたんですね」 「久美さんは二人の子どもを新しい男との再出発に連れてはいけないと思ったのかもしれない。それで二人とは行かなくても一人くらいはどうにかしようと思っていたのかもしれないね。そんな時に結子さんが現れた。結子さんが行田の町に戻って来てきっと誰かがそれを目撃したのだと思う。そしてそのことは瞬く間に噂になって久美さんの耳にも入ったのだろう。それできっと久美さんは居ても立ってもいられなかったのだと思うんだ。自分の夫になる人と駆け落ちした女が戻って来たわけだからね。それで待ち伏せをしたのではないかな。一樹さんのお墓の前で。そして自分の娘を結子さんにあげてしまったんだと思うんだよ」 「そんなことを・・・・・・」 「うん。間違いなく」 「でもいくら好きでもなかった人の子だとしても母親がそんなこと出来るんでしょうか?」  鈴木は信じられないという顔をして影山に尋ねた。 「その時既に久美さんの心が病に侵され始めていたとしたらどうだろうか」 「あ、そっか」 「はっきりしたことは証明出来ないけど、それは十分考えられることではないだろうか」 「じゃあ既に恋をしていたということですか?」 「いくら親の命令でも全く好きでもない人と子どもなんか出来るだろうか。或いは結子さんに一樹さんを奪われてそれまで感じなかった情念が新しく芽生えたのかもしれないね」 「最初はその人の一部だけ所有していて満足していたものが一旦その全てを取り上げられると今度はその全てを欲しくなるっていうことでしょうか」 「その通りだよ。鈴木君どこでそれを聞いたんだい?」  影山は鈴木が言ったことに感心してそう聞いた。 「どこだったかは忘れました」 「つまりそういうことで彼女の心の病のスイッチが入ってしまったのではないかと思うんだ」  鈴木はそこで大きく頷いた。 「しかし久美さんにも誤算があった。それは自分の息子と自分の娘が好き合ってしまったということ」  そこで鈴木は大きくため息をついた。 「ジェネティック・セクシュアル・アトラクションというものがあるんだそうだ」 「それはなんですか?」 「離れ離れになった親族が再会した場合に起こる近親者同士の性的魅力だそうだ。普通は一緒に育てられた子ども同士は相手に対して性的興味を持つことはほとんどないらしいんだが、これが距離をおいた場合にはかえって親族だという故に自分の特徴との類似点も多く、交配相手として魅力的に感じられるそうなんだよ」 「それが境林さんと早紀さんの出会いだったわけですね」 「しかも久美さんは一樹さんと籍は入れてはいなかった。だから久美さんは再婚ではなく初婚だったわけだね。そして境林さんを特別養子縁組で二人の実子として戸籍に記載させたんだよ。だから戸籍からはその辺りの事情は何もわからなかったんだ。そのことが今回の早紀さんとの悲劇を生んでしまったんだよ。それからもう一つ」 「もう一つ?」 「久美さんが結婚した人は溝卸徳久さんと多恵さんの息子さんだったんだよ」 「え?」  鈴木は一瞬人間関係がわからなくなって自分が作った系図を机の引き出しから取り出した。 「境林さんのお父さんは溝卸家の新しい跡取りだった。それできっと子どもがいる女と一緒になるなんていうことがとても許されるわけがないことを知っていたんだね。それで久美さんと運命を共にすることを決めたんじゃないかな。溝卸の跡取りの未来を捨てて」 「先生、それはどうしてわかったのですか?」 「中野さんの検査報告があるまでどうしても境林さんの行方が心配になってね。それでもう一度行田に行って友野さんに会って来たんだよ。久美さんの夫が徳久さんに似ているかを聞くためにね」 「お二人のDNA鑑定に必要なものが見つからなかったからですね?」 「うん」  鈴木は影山がどうしてもこの事件を最後まで紐解きたかったのだと思ったのだと思った。 「どうでしたか?」 「持って行った写真を見せたんだがね。よく見ると確かに似ていると言われた」 「そうですか。でも先生、いくら顔が似ていると言ってもそれが親子関係の決定的な証拠になるんでしょうか?」 「近親婚を続けるとその顔がみんな同じになるということは聞いたことがあるかい?」 「あ、はい」 「どう見てもその二人は同一人物にしか見えないと友野さんが言っていたんだよ。あの徳久さんの家系も溝卸家の一族だったというし、そういう近親婚を続けていたんじゃないかな。それで自分の息子だけはそうならないようにと東京に養子に出していたんじゃないかな」 「すると久美さんはどうやっても溝卸家から逃れられなかったのですね。と言うか自分からそれを追い掛けていたと言った方が正しいのでしょうか」  鈴木は影山の目をまっすぐ見据えてそう言った。 「それが宿命ということかな」  鈴木は影山のその答えを聞くと再び目の前の系図に目を落とした。 「早紀さんと境林さんは兄と妹だということを知っていたのでしょうか」  そして独り言ともとれるようにそう言った。 「それを知って自ら命を絶ったということかい?」  そして影山のその問いには答えなかった。 「恐らく最初に境林さんから遠ざかった時にはそのことを知っていたのだろうと思う。許されない愛として。それは境林さんの母親の桜の家紋から辿りついたのではないかな」 「どうしてそんなことを調べようと思ったのですか?」 「お腹の中の子どもだよ」 「あ」 「あの家紋をつけた家系の女はあの病を発症する運命だからだよ。きっと自分の戸籍を調べていくうちに遂には彼と自分とが兄妹だとわかってしまったんじゃないかな」 「それってあの徳久さんのお母さんが怪しいです。きっと彼女にばらしちゃったんですよ」  影山はあの時、あの老婆が言っていた若い女性とは早紀さんのことではないかと思った。影山の助手だと勘違いしたくらいだから、きっと溝卸家のことをあの老婆にあれこれ問い質したのではないかと思った。きっと戸籍を調べているうちにあの本家にたどり着いたのだろう。そしてあの鉄火面の奥さんとも会ったのだろう。あの時彼女が影山の質問に不快な顔をしたのは、早紀さんに聞かれたことと同じことを影山に聞かれたからだったのだろうと影山は思った。 そしてその帰り道、やはりあの老婆とあそこで出会ったのだろうと思った。きっと老婆は久美が男女の双子を生んだことを知っていたのだろう。本家で大騒ぎをした事件である。町の者みんなが知っていたとしても不思議ではない。そして急に女の子がいなくなった久美からそれを不審に思った老婆が結子にあげてしまった話もあの老婆は聞いていたのだろうと思った。そしてそれらのことを早紀は老婆の口から聞いてしまったのだろうと影山は思ったのである。 「まあいずれにしろそのことを知ってしまって彼から遠ざかったんだろうね」 「では境林さんは?」 「早紀さんから連絡が来たのか、或いは彼から連絡したのか」 「やっぱり離れられなかったんですね」 「と言うか、彼も一樹さんと久美さんの子どもだったわけだ。だから彼もジェネティック・セクシュアル・アトラクションに操られ、そしてあの病の発症を抑えられなかったんだね」 「すると死すべき運命の二人が自ら一緒に死ぬことを選んだということが今回の依頼の答えだったんでしょうか」 「友野さんに会うついでに徳久さんのお母さんにも会って来たんだよ。何か聞けるかと思ってね」 「何か聞けたんですか?」 「何も聞けなかった。以前早紀さんが訪ねて来たかと確認しようとも思ったんだけどね。それでわざわざ早紀さんの写真まで持って行ったんだよ。でももうほとんどのことを忘れてしまっているようだった」 「そうですか」 「でもね。ついでに境林さんの写真も見せたんだよ。まさか二人を行田の近くで見掛けていないかと思ってね」 「境林さんの写真もお持ちになったんですね」 「うん。するとどこからか一枚の写真を持って来て僕に見せるんだよ」 「それって誰の写真だったんですか?」 「モノクロで写された境林さんと早紀さんの写真だった」 「どうしてあのお婆さんがそんなものを持っていたんですか?」 「僕もおかしいと思ってね。それで裏返しにしたんだよ。そうしたらそこには惣一、ともえと名前が書かれてあったんだ」
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