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第15章
その翌々日、影山と鈴木は日光を離れて宇都宮まで戻るとそこから高崎線に乗り換えて行田に向かった。宇都宮から行田までは30分ちょっとの乗車時間だった。
三日月刑事が見つけてくれた人とは行田駅近くの行田市観光案内所の前で待ち合わせをしていた。
「友野さんですか?」
「はい」
「影山です。すみません、お忙しいところを」
「いいえ、三日月さんにはいつもお世話になっていますし」
「三日月さんに?」
「はい。息子が東京で警察官をしているんです」
「あ、そうでしたか」
「はい」
影山はそれでこの男は三日月の無理な頼みも断れないのだと思った。
「お話は歩いてすぐのところに喫茶店があるのでそこで宜しいでしょうか?」
「はい。どこへでも参ります」
「では」
三人はそこから少し歩いた先の「明日香」という喫茶店に入った。
「先生、漢字が違いますが、先生と同じ名前のあすかですね」
鈴木がそう言ったが、影山はうんと頷いただけだった。それから三人はお店の一番奥のテーブルに着くと、影山と鈴木はコーヒーを注文した。しかし友野は自分は何もいらないと手を横に振った。
「注文されなくて大丈夫ですか? 私の方でお支払いしますからご遠慮なさらないでください」
「いいえ、外で間食とかしないので。それにここは昔から私が知っている友達のやっている店なので注文をしなくても文句を言われませんので」
影山はこの男がそうは言ってもお店の方はどう思っているのかわからなかったので、自分が飲むからと言ってコーヒーをもう一杯注文した。
「それで友野さん、溝卸さんとはどのようなご関係だったのですか?」
「家族ぐるみで付き合っていました」
「家族ぐるみで?」
「ええ。例えば私の父と徳久さんが同級生でした」
「その徳久さんはどなたですか?」
「ええと早紀ちゃんのおじいさんです」
「おじいさんと言うと早紀さんとは・・・・・・」
「お父さんのお父さんです。でもその徳久さんは早紀ちゃんとは血はつながっていません」
「徳久さんは早紀さんのおばあさんの再婚相手だったのですね?」
「ええ、よくご存知で」
「はい」
「あ、確か東京の探偵さんでしたね」
「ええ」
「そうそう、それで早紀ちゃんと血のつながったおじいさんは惣一さんといいまして、なんでもその人もうちの父親とは同級生だったそうです」
「そうなんですか」
「はい。それからその惣一さんの息子が一樹といいました」
「その一樹さんが本当の早紀さんのお父さんなんですね」
「その一樹が私と同級生なんです」
「なるほど。それで家族ぐるみの付き合いだったのですね?」
「ええ」
鈴木が溝卸の戸籍から作った系図を見ながら影山に頷いた。
「確認します。溝卸早紀さんのお父さんが一樹さんで、そのお父さんが惣一さん、ということですね?」
「はい。そうです。でも徳久さんは関係ないのですか?」
「とりあえず今ここでは血のつながった人だけを確認してみました。惣一さんが亡くなられた後に徳久さんが早紀さんのおばあさんと結婚されたのですね?」
「はい」
そこにコーヒーが三つ運ばれて来た。すると友野は自分はコーヒーなど頼んではいないとそれを運んで来た店員に文句を言い出した。そして影山が止めるのも聞かずにそれを突き返してしまった。影山は仕方ないという顔をして話を続けた。
「それではお伺いしますが、どうして一樹さんはこの行田を離れて日光に行かれたのでしょうか?」
「一樹は日光に行ったんですか?」
「はい。それはご存知ありませんでしたか?」
「はい。いなくなったのは知っていますが、行き先までは知りませんでした。なんせ駆け落ちでしたから」
「駆け落ちということはどちらかのご両親に二人の結婚を反対されていたのですか?」
「一樹の両親、つまり徳久さんと彼のお母さんが二人の結婚を認めなかったんですよ。それで二人は駆け落ちをしてしまったんです」
「その時二人の結婚を反対した理由はなんだったんですか?」
「一樹が病気だったと聞きました」
「先が長くないから反対したと?」
「だろうと思います」
「ところで一樹さんの継父の徳久さんのことなんですが」
「はい」
「溝卸という名字は、それは徳久さんの名字ですか?」
「いいえ」
「つまり徳久さんは溝卸家の養子に入ったわけですよね?」
「はい」
「どうして徳久さんは養子に入ったんですか?」
「それは溝卸家といえば当事は大そうなお大尽だったからですよ」
「そうだったんですか」
「でも今は落ちぶれてしまいましたがね」
「それはどうしてですか?」
「だってそれは跡取りの一樹が出て行ってしまったんですから」
「跡取りがいなくなってどうされたんですか?」
「徳久さんの息子さんが跡継ぎになりました」
「ではそれが放蕩息子だったんですか?」
「いいえ。行方不明になりました」
「それは何かの事件でですか?」
「いいえ、単なる家出です。きっと堅苦しい生活が嫌だったのでしょう。あんなお屋敷の中に一生閉じ込められるのですから」
「すると」
「それで他から養子をもらったんです」
「では安泰じゃないですか」
「ところがその跡取りはろくでもないやつでしてね。まあ財産は今でもありますが元の溝卸の人間を全て追い出してしまったんですよ」
「そうなんですか」
「まあ元々溝卸家の人間ではないからそういう非道なことが出来たのでしょうがね」
「そうですか」
影山は話がいち段落したので目の前のコーヒーに手を伸ばそうとすると、それより一瞬早く友野がそのカップを口に運んでしまった。ばつの悪くなった影山は仕方なく話を続けた。
「惣一さんはどうして亡くなられたのですか?」
「自殺です」
「自殺?」
「はい。それで惣一さんの奥さんがたいそう悲しんだそうです。その時奥さんの心の支えになったのが徳久さんだったそうです」
「なるほど」
「やっぱコーヒーはだめだ。胃にむかむか来る」
友野はそう言って目の前に置かれたグラスに入った水を一口飲んだ。
「それで友野さん、その惣一さんの自殺の理由をご存知ですか?」
「よく知りません」
「遺書とかもなかったのですか?」
「そのようです」
「それって投身自殺ですか?」
その時今まで黙ってコーヒーを飲んでいた鈴木が突然友野に尋ねた。
「いいえ、手首を切ったとかで。身投げじゃありません」
「そうですか」
投身自殺ではなかったことで鈴木は少しがっかりして再びカップを口に運んだ。
「影山さんは何を調べているのですか? まさかずっと前の惣一さんの自殺を調べているんですか?」
「わかればそれも知りたいと思います」
「まさかあれは自殺ではなく殺されたとか?」
「当時そんな噂があったんですか?」
「いいえ、あれは確かに自殺だったと聞きます。でもなんで探偵さんがあんな昔のことを知りたいのかなと思いましてね。そう思ったらあれは自殺ではなくて他殺だったのかなって」
「確かにそう思われますよね」
「でもそれを特に知りたいというわけではないのですが」
そう言って友野は笑った。
「あ、まさか一樹も自殺したとかいうのではないですよね? 駆け落ちをして結局生活に困窮して、それでとか」
「いいえ、一樹さんは自殺ではありません」
「そうですか」
「それから早紀さんは行方不明です」
「早紀ちゃんが?」
「はい」
「あの早紀ちゃんが行方不明?」
影山はその時の友野の反応に少し疑問を感じた。それでそのことを聞いてみることにした。
「友野さんは早紀さんのことを知っているんですか?」
「え、ええ」
「会ったことがあるんですか?」
「はい」
「それはいつですか?」
「うーん。生まれて間もない頃です」
「それはどこでですか?」
「ここです」
「ここって行田ですか?」
「はい。行田です」
「それってどんな状況だったんですか?」
「偶然行田の駅前で会ったんです。結子さんに」
「結子さんて早紀ちゃんのお母さんですよね?」
「はい。彼女、まだ生まれて間もない赤ちゃんを抱いていました。それで結子さんの子どもかって聞いたら、うんていうものですから名前はなんていうのかと聞いたら早紀だと言っていました」
「結子さんは早紀さんを連れてこの行田に戻って来ていたのですね?」
「うーん、戻ったというか、ただ来ただけじゃないでしょうか?」
「どうしてそう思ったのですか?」
「荷物をあまり持っていなかったからです。私も最初はお里帰りかなと思ったんですが、彼女の両親はあの時には既に亡くなっていたと思うし、それに溝卸の家にも駆け落ちをした身で顔を出せるわけがないと思ったので」
「なるほど。その時傍には一樹さんはいらっしゃいましたか?」
「いませんでした」
「一緒ではなかった?」
「はい。結子さんは赤ん坊と二人だけでした」
「ではもしかしたらその時には既に一樹さんは亡くなっていたのかもしれませんね?」
「その時聞いたんです。一樹は一緒ではないのかって。そうしたら一緒じゃないって」
「そうですか」
「それで今日はお墓参りに来たと言うんです」
「誰のお墓参りに?」
「彼女の両親のお墓は行田にあるはずです。一樹のお墓がどこにあるのかは私は知りません」
「そうですか」
「ですからご両親のお墓参りかなと思ったんですが」
「なるほど」
「彼女その時急いでいるようでしたし、それだけ話をすると別れました」
「その後結子さんはどうされましたか?」
「そのまま行田駅に入って行きましたよ。ですからそのまま帰ったんでしょうね」
「そうですか」
「ですから早紀ちゃんには一応会ったということなんです」
「季節はいつ頃でしたか?」
「そろそろ肌寒くなって来た頃でしたから十月くらいだったと思いますが」
「何年のですか?」
「いつだったかなあ。でも早紀ちゃんはどう見ても生まれて間もないという感じでしたよ」
「すると早紀ちゃんが生まれた年の秋ということでしょうか?」
「恐らくは」
「一樹さんは早紀ちゃんが生まれた年の春に亡くなっています」
「そうだったんですか」
「三月です」
「じゃああの時既に一樹は死んでいたんだ」
「そうなりますね」
「でもね、結子さんそれにしてはそんな悲しそうな顔をしていなかったんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。もしあの時あんなすがすがしい顔をしていなければ一樹が病弱だったことは知っていたし、もしかしたら様態が良くなくて一緒に来られなかったのかなとか、既に亡くなっていたから早紀ちゃんと二人で来たのかなって聞いていたと思うんですよ」
「そうですね。一樹さんとは家族ぐるみのお付き合いをしていたのですからね」
影山はその話は少し不思議だと感じた。
「でも一樹はずっと病床にあって、それで結子さんはずっと苦労のしっぱなしだったのかもしれませんね」
「それはどうしてですか?」
「やっぱり薄幸という感じがしたんです。その時の結子さん。それでやっぱり駆け落ちなんかするもんじゃないなとあの時思ったんですよ」
「そうですか」
「だから、遂に一樹が亡くなって、一樹の面倒から解放されて、それであんなすがすがしい顔をしていたのかなって、今思いました」
「なるほど」
そこで友野は再びコーヒーに手を伸ばそうとしたがそれを止めてコップの中の水を一口飲んだ。
「でも自殺って遺伝するのでしょうか?」
「自殺の遺伝ですか?」
「はい。よく聞きませんか?」
「どうでしょう」
「でもそれは精神を病んでいて、それで自殺をしたという人の話なのかもしれませんね。つまり自殺の遺伝ではなくて、精神病の遺伝ということになるのでしょうか」
影山はそれが惣一と早紀のことを言っているのかと思ったが早紀はまだ死んだと決まったわけではなかったのでそのまま聞き流すことにした。するととそこで再び友野が影山のコーヒーに手を伸ばした。しかし影山は先ほど友野がそのカップに口をつけて以来、そのカップには一切手を伸ばしてはいなかったので、最早それは友野のコーヒーであった。
「時に友野さん、カスケードという言葉にご記憶はありませんか?」
「カス、なんですか?」
「カスケードです」
「いいえ、全く。なんですかそれは?」
「では滝には?」
「滝がどうしたのですか?」
「惣一さんや徳久さんがあなたのお父さんにそのことをお話ししたとか聞いてないですか?」
「いいえ」
しかし友野がいいえと言った瞬間、友野の表情からそれが嘘だということを影山は見抜いていた。カスケードでは何ら反応しなかった友野が、滝という言葉を聞いた瞬間に一瞬だったが目が泳いだからだった。しかし影山は友野から聞ける話はこれまでだと思った。友野のその顔は強張り、そしてその口は一文字に固く閉じられてしまったからだった。
それからその喫茶店を出て影山が友野にお礼の挨拶をしようとすると友野は影山たちを駅まで見送ると言った。
「行田の駅ってよく人と会うんですよ」
「そうなんですか?」
電車が来るまでの時間、間が持てなくなった友野が遂に黙ってはいられなくなって世間話を始めた。
「結子さんもそうでしたし、ええといつだったかな。珍しい人をここでお見掛けしましてね。しかもいい人と一緒のところだったんですよ」
友野は影山の存在を無視してその時の様子を一気にしゃべり始めた。それで仕方なく鈴木はその話に相槌を打っていた。
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