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第16章
東京に戻ると影山と鈴木は境林に報告するために今まで聞いた話を事件簿にまとめる作業を始めた。事件簿の作成はいつも二人が見聞きしたことを思い出しながらそれらを二人で検討し合って進めていた。
「でも先生、これと言った話は聞けませんでしたね」
「うん」
「早紀さんのおじいさんの自殺の理由もわからないし、お父さんは病死。これを報告して終わりということになりかねませんね」
「うん」
「一点カスケードという仲居さんが言った言葉がひっかかりましたが、友野さんからはその言葉を聞き出せませんでした。ですからそれが特に意味があるとも思えないのですが」
「うん」
「ですからせいぜい華厳の滝に早紀さんのお父さんが引き寄せられたという意味で滝ということを別の言葉に置き変えて言ったくらいの意味しかないのかなと思いました」
「うん」
「先生、先ほどからうんとしか言っていませんが」
その時影山は深い思考の中にあった。それは日光と行田の調査では影山が抱いていた疑問をまったく解消出来なかったからだ。つまり早紀が境林に戸籍を調査をしろと言った理由、境林が詐欺に遭わなかった理由、それらの疑問は残ったままだったのだ。影山はそのことを考えていた。
「鈴木君、どうして溝卸さんは境林さんには詐欺を働かなかったのだろうか。そして境林さんにこの調査を促すようなことをしたのだろうか」
「それは今回の調査では全くわからなかったですね」
「うん」
「まだ調査し足りないということでしょうか?」
「これ以上何かが出て来ると?」
「それはわかりませんが」
「或いは既にもう出ているのかもしれないね」
「え?」
影山の謎掛けに鈴木が反応した。
「それはさて置き鈴木君、僕らはまだ一つ調査をしていないことがあったね」
「それはなんですか?」
「身近な人のことだよ。つまり境林さんのことだよ」
「あ」
「彼はどんな人生を送って来たのだろうか」
「でも先生、そんなことを調べてどんな意味があるのですか? 境林さんは罪を犯したわけでもないし、寧ろ反対に被害者です。それでは三日月さんだって協力のしようがないと思います。善良な市民を叩いて埃を出すようなことになるわけですから。そしてそもそも調査をして欲しいと言われたのは溝卸さんについてですから」
「確かに鈴木君の言う通りだが、事件を解決する方法として被害者の事情が大きなヒントになることはよくある話だね。境林さんが詐欺の被害に遭わなかったことが境林さんの方にその原因があったからということも十分に考えられるのではないかな」
「そうだとしたらそれは溝卸さんが境林さんを好きになってしまったからだと思いますが」
「それは溝卸さんの事情だろ。そうではなくて境林さんの事情だよ」
「え?」
「だから境林さんのことを調べる必要があるんだよ」
「はい。わかりました」
「彼の両親、そして出来たら祖父母あたりまでわかるといいんだが」
「では三日月さんに調べてもらいますか?」
「境林さんには前科がないからそれは難しいかもしれない」
「ではどうやって?」
「直接境林さんに聞いてみようか」
「直接ですか?」
「彼が特に隠すこともなければ正直に話してくれると思うよ。それに彼が何も知らなければ隠そうという思いも起こらないだろうし」
「わかりました」
「では境林さんをここに呼んでくれ」
「はい」
鈴木が境林の携帯に電話を掛けると今日の会社の帰りに寄りますという答えが返って来た。境林の会社は緑が丘にある影山の事務所の隣駅にあったので、いつでも寄れる距離だった。
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