カスケード(影山飛鳥シリーズ06)

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第17章 「先生、僕の両親のことですか?」  境林は事務所に到着するなり溝卸のことではなく自分のことを尋ねられたので少し慌てた。 「はい。この案件は溝卸さんだけに関わることではなくて、境林さんのことも何か関係しているような気がしているんです」 「僕のことも要因の一つだと?」 「断定は出来ませんが」 「すると日光や行田での調査はそれほどの意味がなかったということですか?」 「それはまだわかりません」 「では何かは聞けたのですね?」 「はい。ですがそれだけだと溝卸さんから頼まれた調査に何ら答えらしき答えになるものが見出せないのです」 「それで次は僕ですか?」 「はい」 「でも僕のことを調べても何も出て来ないと思いますが」 「境林さんのことを調べてみようと思った理由は二つあります。先ず一つ目は境林さんが元々は行田の出身だということです」 「それは彼女と共通することでもあったわけですしね」 「ええ。ですからその行田で何かがあったのではないかと考えてみました」 「はい」 「それから溝卸さんがこの調査を境林さんに直接頼んでいるということです」 「それは僕以外に頼める人がいなかったからではないでしょうか?」 「それもあるかもしれません。でも私のような探偵に依頼するのではなく、直接境林さんにこの調査の依頼をしたことに何か特別な意味があるように思えるんです」 「わかりました。では何でも聞いてください」  境林はそう言うと正面に座った影山を正視した。 「境林さんのご両親はご健在ですか?」 「二人とも他界しました」 「そうですか」 「父は去年三回忌でした。母はおととし十七回忌でした」 「お母様は早くお亡くなりになられたんですね?」 「はい。僕が二十の時でした」 「それからお父様とお二人で?」 「はい。父には苦労を掛けました。それでやっぱり早く逝ってしまいました」 「そうだったんですか」 「ええ、でも世間では奥さんの方が先に亡くなると旦那さんもすぐ後を追うように亡くなるとよく言いますから、父が母よりも十五年も多く生きたことを考えれば長生きしたと言えるのかなと思うようにしています」 「はい」  そこで境林は話を終えた。それで影山はもう少し突っ込んだ質問をしてみることにした。 「ご両親の死因は何だったのですか?」 「父は病気です。母も病気でした」 「お二人とも病死ですか」 「父は肝硬変になりました。お酒の飲みすぎだったのでしょうか。母は病気が原因で」  そこで境林の言葉が詰まった。 「病気が原因で?」 「病気が原因で自殺しました」 「自殺されたのですか?」 「はい」 「もう少し詳しくお話し頂けますか?」 「はい」 「すみません。言いたくない話でしょうが」 「いいえ。そもそも僕が依頼したことですから」  その時影山は思った。もし境林が自分の母親が自殺をしたという話を溝卸にしていたとしたら、それを不憫に思った溝卸は境林に詐欺を働くことを断念したのではないかと。 「母は心の病でした。それで長く入院していたんです。入院を始めたのは僕が生まれて間もない頃だったらしいのですが、元々うつ病だったものがマタニティーブルーとかで更に酷くなったのだと父は言っていました。母は良くなったり悪くなったりを繰り返しましたが、決して病院から外に出ることはありませんでした。そしてある日突然自殺をしてしまいました」 「そのことを溝卸さんにはお話しになりましたか?」 「はい」 「ではそれに同情してあなたには詐欺を働かなかったと考えることは可能ですか?」 「愛情ではなく同情ですか」 「その考え方もあるのかなということです」 「はい」  しかし、はいと言った境林の表情はそれを否定していた。 「では次に境林さんのおじいさん、おばあさんのことを伺っても宜しいでしょうか?」 「はい。父の父はまだ七回忌を終えたばかりなんです。父の母はまだ健在です」 「まだご健在なんですね」  「母の両親は母が結婚する前に亡くなったとかでほとんど話を聞いたことがありません」 「そうですか」 「母がそういう状態でしたから僕は直接母から何かを聞いたことはないのですが、母の両親のことは父が昔母から少しだけ聞いたことがあると言っていました」 「境林さんの今のお話で気になるのはお母様の家系の方ですね」 「母の家系ですか」 「はい」 「それが今回の調査にどのように関係するのかはわかりませんが、そのことを知る人はもういないと思います」 「それは何故?」 「父も母も行田の出だと聞いていますがその行田に帰ったことは一度もなかったですし、親戚の付き合いも全くありませんでした。それに行田の友達もいなかったようです」 「境林さん、今度の日曜日に行田を訪ねてみませんか?」 「とおっしゃられても何をしに行くのか」 「戸籍は郵送で境林さんから行田市役所に請求してもらいます。それが手元に届いた時点でそこからの情報を元に三日月刑事にお母様の知り合いを探してもらいます。ことがすんなり運べば今度の日曜日には行田を訪れることが可能だろうと思うのですが」 「そういうことですか」 「確かに何かが出てくる保証はありません。ですが今考えられる切り口はこれしかないと思っています」 「わかりました」  境林の返事には力がなかった。しかし今はこれしか方法がないという影山の言葉に従うしかなかった。影山は戸籍が届いたらすぐに連絡をするように境林に念を押してその日は彼を帰らせた。 「先生、どうして境林さんの戸籍まで調べてみようと思ったんですか?」  境林が帰った後鈴木が少し心配した面持ちで影山に尋ねた。 「境林さん不信な顔をしていたかい?」 「私も正直なところそこまでする必要があるのかなと思ったものですから」 「うん。君がそう思うのは当然だと思う。でも溝卸さんの戸籍の調査では日光にしろ、行田にしろこれといった手がかりはなかった。わかったのは唯一彼女の父方の男性が若くして亡くなっているということだった」 「はい」 「すると溝卸さんは何故境林さんに戸籍を送って調べろと言ったのかなんだよ。それは彼女の戸籍の調査でもあり、境林さんの戸籍の調査でもあったんじゃないかと僕は思ったんだけどね」 「でもそうだとしたら溝卸さんは境林さんの戸籍を調べろと書かないでしょうか」 「境林さんにだけ関係することだったらそう書くだろうね」 「え?」 「そしてそれが溝卸さんだけに関わることだったら敢えてあんな手紙を出す必要がなかったと思うんだよ。つまり境林さんだけに関わることなら境林さんの戸籍を調べてくれと手紙を書いたと思うんだ。けれどこれは二人に関わることなんじゃないかな。それは一緒の人生を送ろうとした二人なわけだし、二人で心中しようとしたくらいなんだから、やっぱり二人に関わることだから自分の戸籍を境林さんに直接送って調べて欲しいと言ったんじゃないかなって思ったんだよ」 「でもそれでしたら二人の戸籍を調べてと書いたのかなって思ったんですけど」 「溝卸さんはあの戸籍だけで自分の調査は終わってしまっていたのかもしれないね」 「それはどういう意味ですか?」 「もしかしたら彼女はその秘密を知っていたのかもしれない。だからそれ以上戸籍を調べる意味がなかったのかもしれない」 「早紀さんが知っていたっていうことは、彼女の両親から聞いていたとかそういうことですか?」 「うん。いずれにしてもこれは僕の想像の域を超えてはいないことは確かだ。確証はない。でも何か気になって仕方がないんだ。だから鈴木君にも境林さんにもそして三日月さんにも僕の我がままに付き合ってもらってしまってる。それは申し訳ないと思ってる」 「先生、申し訳ないことなんかありません。先生がいつもおっしゃっている、どんなことでもそれが真実を導く可能性があるという言葉を私も信条にしていますから」 「うん。ありがとう」  影山は今回は自分のその信条のために三人もの人の厚意に甘えてしまって済まないと思っていた。しかし思ってはいたがそれをやめることは彼には出来なかった。
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