カスケード(影山飛鳥シリーズ06)

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第19章    影山たちは行田に到着して既に六つのお寺を訪ねていた。お寺の事務所に案内され、そこに応対に出て来てくれた住職は小林というお墓を捜していると知ると途端に難しい顔をした。 「小林というお墓はたくさんあってそのどれがお宅とゆかりがあるのかを調べるには過去帳に書かれた俗名を調べないとわからんのですよ」  それまで訪れた六つのお寺はいずれもそのような回答をした。そしてそれでは過去帳を見てくれますかと言うとそれには準備があって今すぐは無理だという答えが返って来たのだった。 「家紋は桜なんです。それが墓石に彫られていませんか?」  ところがそれが七番目のお寺では状況が違った。 「今、桜の家紋と言いましたか?」 「はい」  今まで当たった六つのお寺の住職は桜の家紋と聞いてそれだったらうちにはありませんと微笑んで答えた。ところがそのお寺は違った。その住職は同じように微笑んではいたが答えが違っていた。 「それでしたらございます」  影山たち三人は喜びの歓声を上げた。 「確かにそれは桜の家紋で小林さんのおうちのお墓ですが、桜の家紋と言っても具体的にはどのようなものだかわかりますか?」 「はい。ここに母の遺影に写った家紋があります」  境林は携帯の中に保存してあった彼の母親の遺影写真をその住職に見せた。 「母が亡くなった時にちゃんとした写真がなかったものですから、母の母が着ていた家紋のついた喪服を合成してこの遺影写真を作ったんです」 「なるほど。わかりました」 「住職さん、この家紋で間違いありませんか?」 「間違いない。この家紋は飛蝶桜と言って桜の花びらを蝶の羽に見立てたものになっているんです」 「蝶というと平家と関係あるのですか?」  それは影山の言葉だった。しかし住職はその問い掛けには答えずに先を続けた。 「古事記においてコノハナサクヤビメ、これは桜の精と言われていますが、この女神は生命の弱さの象徴でした。そして源氏物語では桜は凶兆の花でした。小林さんのご家族はまさにそのようなお宅だったと記憶しています」 「それはどういう意味でしょうか?」 「あなたのお母さんは短命でしたか?」 「39歳で他界しました」 「ほう。それは寧ろ長生きでしたね」 「39歳で長生きですか?」 「私がここの住職になって桜の小林さん、いや、私はそう呼んでいるのですがね、その一族の埋葬に関わったことが数知れずあるんですよ」 「どういうことですか?」 「それはあなたの一族は短命な方が非常に多いからです」 「初耳です」 「初めて聞きましたか?」 「はい。父はそんな話を全くしていなかったので」 「そうですか。私は桜の小林さんがそういうおうちだったので他の小林さんとははっきり分けて覚えているのです」 「じゃあうちは若くして亡くなる方ばかりなんですか?」 「はい。10代、遅くとも20になるかならないかくらいでみなさんお亡くなりになっています」 「僕も母の血を受け継いでいますが直に40になります」 「ご結婚は?」 「いいえ」 「あなたの家系で短命の方はいずれも女性でした。それであなたはその難を逃れているのです」 「女性だけが短命なんですか?」 「はい」 「その方々の最期はどんななんでしょうか」 「いずれの方も心の病を患って家の中に引きこもり自害をされたり、或いは病院に入院されてしまって後は音沙汰なしというようなことでした」 「母の最期も心の病を患っての自殺でした」 「そうでしたか」 「すると母の母もですか?」 「あなたのお母さんのお名前は?」 「境林久美、旧姓小林久美です」 「久美さんのお母さんは確かともえさんと言ったかなあ」  鈴木が戸籍を書き写したメモを見ながら住職の話に頷いた。 「確かともえさんもそうでしたよ。早くして心の病で亡くなられています。そのともえさんには何人かお姉さんがいましたが、先ほどお話ししたようにやはり自害されたり病院に入ったまま消息を絶たれています」  影山は境林の大伯母が早くして亡くなっていたことは境林の戸籍を見て知っていたが、まさかそんな理由があったとは予想だにしていなかった。昔のことだったし当時の流行病か何かで亡くなったものだろうと思っていたのだった。 「消息を絶ったということはやはり」 「その中のお一人が病院に入ってしばらくした頃でした。遺骨をご家族がお持ちになられてお墓に埋葬して欲しいと言って来ました。葬式も何もされずにどこか遠いところの病院から直接火葬場に運ばれたそうです。それで遺骨になったものをこのお寺にお持ちになったのです」 「でもどうして女性ばかりなんでしょうか?」 「どうしてでしょう。それは存知あげません。ご家族もお話しになりませんでしたし、そういうご事情を周りの方も問い質すようなことは誰もしませんでしたので」 「遺伝か何かだったのかな」  境林は独り言のようにそう言うと是非お墓参りをさせて欲しいとその住職に言った。三人が住職に案内されたそのお墓にたどり着くと、境林の母親の着物にあった家紋がその墓石に彫られてあった。 「このお墓は今は誰もお参りには来ていませんでした。それでどうにかしなくちゃいかんと思っていたのですが、ああいったご事情ですから私も不憫に思って手付かずのままにしてあったんです」 「檀家の方が誰もいなくなるとやはり没収ということになるんですか?」  影山がそう尋ねた。 「小林という名字の方はたくさんいらっしゃるがこのご家族の血筋で小林という方は久美さんが最後だったのです。ずっと養子をお取りになられて続いて来たご家族だったのですがね。しかし飽くまでこのお墓の敷地はお寺がお貸ししているということなんです。それでその墓守がいなくなればそれをお返し頂くということになるんです」 「なるほど」 「ですがこうして小林さんに縁のある方が現れたので、もうそういう心配はなくなりました。良かった、良かった」 境林はその墓石の前にしゃがみこんで手を合わせていた。影山はというと住職との話が終わると何をするのでもなく周りの景色を見回していた。 墓石は辺り一面に広がっていた。影山にはこの中に小林というお墓がどれほどあるのかわからなかったが、その小林という家の全ての過去帳を紐解いて境林の母親の名前を見つける作業がどれほどの時間を要するものだったろうかと思った。 その時だった。影山の視界に突然隣の墓石の銘が飛び込んで来た。それは溝卸という銘であった。
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