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第23章
私は境林とは半分同棲のような仲になっていた。そして二人は結婚の約束をした。彼は私に夢中だったので、私はそろそろこの作業に終止符を打とうとしていた。
そう、彼からお金を巻き上げて、そしてどこかへ逃げてしまおうと考えていたのだった。彼の調査は十分し尽くした。彼から奪える金額の目星もついた。
この家は境林と知り合う前の男を騙して手に入れたものだった。それで、そろそろそれをお金に換えて別の生活をする資金にしたいと思っていた。その男は最近私がつれないので疑いを持ち始めていたからだ。だからとっとと境林からお金を回収してどこか遠くへ行きたかったのだ。不動産屋にはもうこの家を売りたいと話をしてあった。焦っていることを気づかれると安く叩かれるので、その点は注意をしなくてはならないけど、境林からお金を頂いたらすぐにでもこの家から出て行って海外にでも身を潜めようと思っていた。
それがあの時狂ってしまった。私は境林の気持ちをしっかり掴むための最後のダメ押しとして披露宴に呼ぶ客の話を彼にしていた。ところがそれがいつの間にか彼の母親の話になって、その写真を見るはめになってしまったのだ。いくら私が結婚詐欺の常習だといっても、さすがにその親御さんの顔を見ると心が痛んだ。
いつだったか私が騙した男の一人が私のことを両親に紹介したいと言い出して、仕方なくその両親に会ったことがあった。正直辛かった。だから今回境林との仲を積極的に進めたのは彼の両親が既に他界していたということもあったのだ。それなのに彼から彼の母親の写真を見せられることになろうとは全く予想外のことだった。
ところがその彼の母親の写真を見せられた私は一転そこに気になるものを発見した。それは桜の家紋だった。
それは私が中学生になった時だった。父は私に衝撃的なことを語った。それは私が負わされた宿命についてだった。私の家系は男にだけ特別な病気が遺伝していることを聞かされたのだった。それは恋をすると死ぬ病気だと教えられた。私はそんな病気が本当にあるのだろうかと思ったが、父は本当だと言った。私の本当の父、そしてその父の父もこの病気で死んだというのだ。
それは有袋類の一部に見られる現象なのだそうだ。彼らのオスは交尾の後に死を迎えることが知られている。生殖を一回だけ行って死ぬ生物は植物や一部の魚類では一般的なんだけど哺乳類では珍しいことだがそれが実際に存在するらしいのだ。
その種の中には「自殺的生殖」とも呼ばれるものもあるらしい。それは生殖には常に代償が伴うものであり、多大なエネルギーが必要な行動だからだと説明する学者もいる。具体的には男性ホルモンのテストステロンのレベルが高くなり、これが引き金となってストレスホルモンがねずみ算的に増加する「カスケード効果」が発生するのだそうだ。
そしてこのストレスホルモンの急激な増加により、体内組織が破壊され、免疫系が崩壊するのだということらしい。どうやらうちの家系の男には恋をすることによってそのストレスホルモンが急増して免疫系が破壊され、その結果なんでもないような病気にかかってあっけなく死んでしまうらしかった。
かつて男は恋などせずに家を継ぐためだけの目的で女と結婚をし、そして子を産ませ、また遊びのために外にも女を作ったりしていた。それでこのような恋をすることによるホルモンの上昇は稀にしか見られなかったのだろう。それが祖父の代から事情が変わってしまった。祖父は好きになった女と結婚をして、それまでずっと隠し持っていた病を発症するようになったというのだ。
私はその話をされた時、本当に男にだけに起きる病気なのかと父に尋ねた。すると父はその病はお前の家系では男にだけ発症するが、それが女にだけ発症する家系もあるのだということを話し始めた。それは私の本当の父の墓の隣のお墓のうちで、名字は確か小林さんといった。小林という名字は巷に溢れているのでどこの小林さんもそういう病気を持っているのかと聞くと、そこの家は珍しい桜の家紋だと父は言った。
「桜の家紋?」
「正確には桜の花が蝶の羽のようになっているらしいんだ」
「へえ」
「ずっと昔の話だけどね。お前の母親がお前の父親の墓参りに行った時にたまたまそのお隣の方もお墓参りに来ていて、そこで知り合いになったそうなんだよ」
「それってお母さんがお父さんと再婚する前?」
「うん。そうだよ。その時にその桜の家紋が珍しいですねっていう話をしたらしいんだ。するとこの桜は散り際の潔さを表すんだと教えてくれたらしいんだ」
「散り際の潔さ?」
「ああ、それでそれはどういう意味かっていう話になったらしいんだけど、その人のうちは代々女性が短命だという話をされたらしいんだ」
「じゃあそのおうちは女の人が恋をすると死んじゃうの?」
「そこまで詳しい話はしなかったらしいんだけどね。お嫁に行って子どもが生まれるとそれから長くは生きられないというような話だったらしい」
「そうなんだ」
「きっと昔の話だから、産後の肥立ちでも悪くて早く亡くなられたっていうのが本当のところなんじゃないかな」
「じゃあうちとは違うのね」
「でもね、それがそうでもなかったらしいんだよ」
「どういうこと?」
「お母さん、お前の本当の父親の病気をずっと気にしていたからね。他にもそういううちがあることを知って、それでそのうちのことを知りたくなっちゃったんだろうね」
「その人のうちのことを?」
「うん。仲間がいることで安心したかったのかな」
「うん」
「すると意外なことがわかったんだよ」
「どんなこと?」
それはこういうことだった。その小林家は女性だけが特別な病気を受け継いでいた。それは恋をすると気が触れるという病気だった。小林家の親戚の中にはそんな病気が本当にあるのだろうかと言った者もあったようだが、母は自分の家系に照らし合わせて本当のことだと思ったらしい。
かつて女性は自分の夫に恋をすることなく一生を共にしたらしい。それは恋をしてその男の妻になり、子を産んで、そして子を育て、やがて寿命が尽きるということではなかったということだ。
歳も15になれば親が決めた20も違う初めて会った男と一緒に暮らすようになり、そして子どもが出来、子がやっと手の掛からない頃になると夫が他界するということを繰り返していたのだろう。
その小林家では時々妻が夫より早く他界するということが起きたらしい。ところがそれは元々身体が弱くて、短命の寿命だったからだということで済まされていたようだった。それがそのお墓で母が会った人の祖母の代になって、その人が突然不思議なことを言い出したというのだ。その人は、自分の家系の女は恋をすると間もなく気が触れて、そして自害をしてしまうというのだ。その人の話はその人の母親、更にはその祖母などから聞いた昔話からそういうことを勝手に思い込んで言い出したことなのだろうと、周りの者は特に気にも留めなかったようだった。ところが、その人が結婚をして少しした頃だった。
「私、夫を好きになりました。ですから間もなく私に受け継がれた呪いが目を覚ますのです」
その人はそう言って周りの者を驚かせたらしい。その人はそれから間もなくお墓で会った人の母親を生んで、そして予言した通りに気が触れてしまったらしい。しかし、その人のその病気は産後の肥立ちが悪く、育児の疲れもあってそれが原因でノイローゼになってしまったのだろうと思われたようだった。
ところが母はそれだけの情報では満足出来ずにそのお墓で会った人の母親のことまで調べ始めたのだった。その人は自分の母親のその予言を知っていたようだった。それで、もし人を好きになってしまったら自分も気が触れてしまい、そして自分の母親と同じ運命を辿ることになると信じていたようだった。そして再三抵抗したにも関わらずその人もある男に嫁ぐことになってしまったようだった。それは初め、親から勧められた縁談だったので結婚してからもずっと夫と気持ちを一つにすることはなかったようだった。しかし、子どもが生まれてその子どもを夫と一緒に育てて行く過程でその人柄に触れ、そしてその人はやがて夫に恋をしてしまったのだった。それでその人の最期もその人の母親と同じになってしまったということだった。
好きになって一緒になっても嫌いになってしまえば別れてしまうのが今の世である。しかし彼女たちは好きでもない者と一緒にさせられて、そこからお互いの努力で相手から好きになってもらおうとしたり、相手を好きになろうと努力をしたのだろう。
そして母は遂にはお墓で会ったその人のことまでも調べ始めたのだった。その人は中学生になり、同級生を好きになった時に最初の病が発症した。その時はそれほど深刻な状態にはならずにその同級生を嫌いになった頃から少しずつ快方に向かったようだった。しかしその時のことでその人は人を好きになるということが心の病の引き金になるのかもしれないと思ったようだった。それでもその恋が覚めてしまって、心の病が治ってしまうとそのことは忘れてしまったようだった。
しかし次にその人がその病に悩まされたのは高校生になった時だった。その時は中学生の淡い恋とは違って、そのために病をより重いものにしてしまったのだった。その恋は相手の親が無理やり中に入って来て、その人から強引に彼を遠ざけたことで終わってしまったようだった。その人はその時も命拾いをしたのだった。それからその人は自分の母や祖母の言ったことを本当に信じるようになったようだった。
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