カスケード(影山飛鳥シリーズ06)

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第25章  僕は週末の休みに空気のきれいな場所に行きたいと思った。それで向かった先が行田だった。日帰りで気軽に楽しめると思った。ところが東京からの直線距離は近かったのに実際の所要時間は思った以上に掛かったので近くて遠いとはこのようなことを指すのだと思った。  僕がその行田に行きたいと思った理由は、今から1400年から3000年前のものと言われる12万株もの古代蓮を是非見てみたいと思ったからだった。この蓮は公共施設建設工事の際に偶然出土した種子が自然発芽して甦り、池に開花しているのを発見されたものだった。今から3000年前の種が現代に花開く。こんなロマンチックなことはないと思った。  行田の古代ロマンはそれだけではなかった。そこには九基の大型古墳が集中する埼玉古墳群があった。僕はその中の「稲荷山古墳」から出土した国宝「金錯銘鉄剣」を是非見てみたいと思っていた。そこに書かれてある銘文は日本書紀の記述と符合するものだと言われている貴重なものだったからだ。  そして忘れてはならないのが忍城だった。実際のものは明治維新の時に壊されてしまったが、上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐えた名城を再現したものがそこにあると聞いてそれも是非見てみたかったのだ。  そんな僕が「さきたま史跡の博物館」の国宝展示室でヒスイの勾玉を見ていた時だった。僕はその人にいきなり声を掛けられた。 「勾玉に興味があるんですか?」 「きれいだなって思って」 「ヒスイだから特にきれい」  僕はその人を見た瞬間、その人の瞳に魅入られた。するとその人は見られている自分の目の話を始めた。 「私の目、左右の色が違うでしょ?」 「え、ええ」 「右目が金色で左目が青い虹彩なの」 「きれいですね」 「金目銀目って言って縁起がいいって言うけど私は嫌い」 「でもきれいです。惹きこまれそうです」  僕は突然知り合ったその人に案内をされてその博物館だけではなく、その旅行の目的だった水城公園や古墳群、更には忍城などの観光地をすべて回ることが出来た。僕は一日ではとても回り切れそうもないと諦めていたのでその人のガイドはたいへん助かった。あっという間に流れた一日だった。それで別れが名残惜しくなった。その人はその帰り道、行田駅までわざわざ見送りにまで来てくれた。 「連絡してもいいですか?」 「どうして?」 「またお会いしたいなと思いまして」 「でも遠いですよ」 「ここから東京まで一時間半はかかります。そこからあなたのおうちまでは更に一時間くらい掛かるのでしょう?」 「それでも来ます。僕の方からここに来れば遠いも近いも関係ないですから」 「でもどうしてそこまでして?」 「あなたに会いたいからです」 「どうして?」 「それはその・・・・・・」 「あなたには私を支えることは出来ないと思いますよ」 「どうしてですか?」 「だってそうだから」  僕は行田から離れる時にどうしてもと言って彼女の電話番号を聞きだすことには成功した。しかしその番号に気軽に電話が出来るような雰囲気ではなかった。行田駅のホームでは別離の悲しさに必死で耐えている僕とは裏腹に、彼女の様子はまるで事務的な感じだった。 「ではどうして僕を案内してくれたんですか?」  それで思い余ってそう彼女に聞いてみた。 「母が言ったんです。あなたが来ると」 「あなたのお母さんが?」 「はい」 「僕が来ると?」 「ええ」 「いつ?」 「他界する前です」 「お母さんはいつ亡くなられたんですか?」 「もうずっと前です」 「ずっと前?」 「はい。私がああして勾玉を見ているときっとそういう人が現れると」 「ではあなたはいつもああやってあの勾玉を見ていたんですか?」 「いいえ」 「ではどれくらいの頻度で?」 「あの時が初めてでした」  僕は東京に戻ってもやっぱり彼女のことを忘れることが出来なかった。それは彼女の母親の予言を聞いてしまったからなのか、あのオッド・アイのせいなのかはわからなかったが、それでも彼女に連絡をすることはどうしても出来なかった。  しかしそれは何かの飲み会の夜だった。酔った勢いと僕に彼女がいないのは何故かということが酒の席の肴になったことで、僕はちょっと酔い覚ましにとその店の外に出た時に彼女に電話を掛けてしまったのだった。 「ごめんなさい。やっぱり電話をしてしまいました」 「何も謝ることなんてありませんよ」 「ですが迷惑かなと思って」 「いいえ、でもあなたには私をどうすることも出来ませんよ」 「それはどうしてですか?」 「私ここで、いっぱいいっぱいの暮らしをしています」 「そのいっぱいいっぱいという意味は経済的に、ということですか?」 「はい。主人が他界してしまって」 「結婚されていたのですか?」 「籍は入れていませんでしたがそういう関係でした」 「そうだったんですか」 「お話ししていませんでしたね。ごめんなさい」 「いいえ。でもその方はもう亡くなられたのでしょう?」 「はい」 「でしたら別にどうってことはないと思いますが」 「それはどういう意味ですか?」 「でしょう?」 「でも」 「でも?」 「私には子どもがいるんです」 「お子さんが?」 「はい。その子は幼い頃から身体が弱く、空気のきれいな土地でないと暮らせないんです」 「空気のきれいなところですか」  僕は彼女が経済的に困窮しているなら彼女を東京に連れ出して、そして一緒に暮らそうと切り出そうと思ったところだった。それが彼女の子どもは空気のきれいなところでないと生きていけないと言われてしまった。 「東京は空気が汚いですしね」 それで僕はそう言ってしまっていた。 「私は病床のその子を育てなければならないんです」  しかしその時に僕はあの日のことはなんだったのかと思った。その子どもを置いて僕と一緒の時間を過ごしたのではないかと思った。 「でも時々だったら会ってお話しするくらいなら出来るのでしょう?」 「それはどうしてそう思われたのですか?」 「だって、僕がそちらに行った時には丸一日、観光地を案内してくれたじゃありませんか」 「あの後その子の病気が再発したんです」 「そうなんですか」 「はい。ごめんなさい」 「いいえ、謝らなくても」  僕は万事休すという言葉が頭をよぎった。 「ですからそういう関係にはなれないんです。そういう気になれないと言った方が正確かもしれませんが」  彼女のその言葉は更に僕にダメ押しをした。しかし僕はどんなことをしてでも彼女が欲しいとその時思ったのだった。
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