カスケード(影山飛鳥シリーズ06)

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第26章  私の両親は本当にぎりぎりの生活を送っていた。その余波は当然私にも襲って来た。学校に行ってもそのことでいじめに遭った。うちは本当に貧乏だった。 「あなたはこんな惨めな生活を送っちゃだめよ」  母は私によくそう言った。 「お金持ちの男を見つけなさい」 「お金持ちと結婚すればいいの?」 「結婚なんかしちゃだめ。男の人を好きになっちゃだめ。男に貢がせるの」 「貢がせるって?」 「男からお小遣いをもらうの。たくさんね」 「・・・・・・」 「いいかい、決して男の人を好きになっちゃいけないよ。そうなったら命取りになるからね」  私の本当の父は私が小さい時に他界した。病死だった。次の父親は良い人だったがお金をあまり稼げなかった。それで母がよく私にそんなことを言った。  それは私が二十歳になったばっかりの頃だった。母が私を今で言うところの婚活パーティーに申し込んだ。私はそこで母に言われたようにずっと年上で、優しそうで、でもそのパーティーには不慣れな人を物色した。  その頃母はいわゆる狐付きと言われるような心の病を抱えていて、それで時々娘の私を苦しめた。母の心の病気の原因は私の本当の父の死だった。その時の母の悲しみようは尋常ではなかったらしい。その頃継父が母と知り合った。そしてそんな母を熱心にくどいてそして自分の妻に娶ったのだった。 だから父はそんな母にとても寛容だった。そして私には母がしたいようにさせてくれといつも言っていた。それで母の面倒は普段は家にいない父に代わって私が見ることになった。父はよく遠くまで出稼ぎに行って生活費とは別に母の治療代や薬代をまかなっていたからだ。  しかしその母の要求は次第にエスカレートして行った。そして最初は冗談のようなものが、仕舞いにはこのような婚活パーティーに参加させるようなことを私に強いるようになっていた。このことを父は知らなかった。父は母の心の状態が時々常軌を逸脱することまでは知らなかったのだ。 「お一人ですか?」 「うん。こういうところは初めてでね。それでどうやって話し掛けたらいいのか、わからなくてね」 「そうなんですね」 「ところで君は?」 「私もこのパーティーの参加者です」 「そうなんだ」 「本当なんですよ」 「嘘だとは言ってないけど、君いくつ?」 「二十歳です」 「二十歳?」 「はい」 「二十歳の女の子がどうしてこんなパーティーに参加しているんだい?」 「母が勝手に申し込んでしまったんです」 「お母さんが?」 「はい」 「そりゃまたどうして?」 「男の人を学ぶ勉強をして来いと言うんです」 「なるほど」 「それで色々な人と話をして来いと」 「それはいい勉強になるかもしれないね」 「はい。それで嫌々ながらも参加することにしたんですが、やっぱり私には敷居が高くって」 「それは二十歳のお嬢さんには少々ハードルが高いとは思うよ。どちらかと言えばあなたのお父さんに年齢が近いような人ばかりだしね」 「はい」 「あなたは・・・・・・」 「早紀と呼んでください」 「名前が早紀さんていうの?」 「はい。ですから早紀と、さん付けじゃなく呼んでください」 「う、うん。それじゃ、早紀はここでは本当に結婚相手を見つけようとしているの?」 「いいえ。飽くまで母の言うように男の人を見る目を養うのが目的です」 「うんうん」 「でも気軽にあの輪の中に入って行って、あんな風に楽しく会話をするなんて私にはとても無理でした」 「それでこうやってはずれ組になったんだ」 「はずれ組ですか?」 「うん。こうやって会場の端に押しやられて一人でぶらぶらしている人たちをそう言うらしいんだ」 「そうなんですね。面白い」 「そうかい? 面白いかい?」 「はい」 「早紀の方が面白いと思うけどなあ」 「私がですか?」 「うん。なんだかとても素直で話しやすいし」 「そんなことありませんよ」 「そうかな」  私はその後その男性とその場を抜け出して夜の街をドライブした。そしてどこか喫茶店でも寄るはずだったのがいつの間にか海の見える眺めの良い丘の上に行き着いてしまった。 「こんなことは初めてなんですよ。私、初めて会った人と二人きりでドライブなんて本当に初めてなんです」 「うん。わかってる」 「疑っていないですか? 私がいつもこんなことをしているとか」 「疑ってなんかないよ」  静まり返った車内には私の携帯に頻繁にメールの届く音が鳴り響いていた。 「ごめんなさい。母です」 「返事をしなくていいの?」  私がそのメールを見て、それで何も返事を返さないでいることを数回繰り返すと、その男性がそう聞いて来た。 「はい。いいんです」 「お母さんが心配しているんじゃないかな?」  私はそれには答えなかった。するとその男性はそれ以上何も言わなくなった。それからも母のメールは数分おきに届いた。その着信音が鳴る度にその男性はそれを気にしていたようだったが、やがてその音はしなくなった。 「ごめんなさい。少し気分が悪くて」 「車に酔ったかな」 「さっきのパーティーで普段飲み慣れないアルコールを飲んだからだと思います」 「そっか。じゃあ少しここで休むといいよ」 「はい。すみません。シートを倒して少し横になってもいいですか?」 「そうだね。遠慮しないで楽にして」 「ごめんなさい」 「ほんとに大丈夫?」  私はそれでその男性の車の助手席のシートを倒し、無防備にもそこに横たわったのだった。しかし私の男性を見る目はある意味確かだったのかもしれない。それからその男性は車の窓を少しだけ開けたり、私に大丈夫かと声を掛けたり、そして時々私の様子を覗き込むようにするだけで、それ以上私に何かをして来ることはなかった。 「大丈夫?」 「今どこにいるの?」 「早く帰って来なさい!」 「男の人と二人きりになんてなってないよね?」 「今から迎えに行くから居場所を教えなさい」 「いい、しっかり自分の身は守るんだよ!」 「決して男の人と軽はずみなことをしてはいけないからね」  きっとその男性は私に届いた母のメールにはそんなことが書かれてあったと思ったのだと思う。しかし実際にはそうではなかった。 「もうベッドには誘ったかい?」 「もう抱かれたかい?」 「一度抱かれたら決してその男を離すんじゃないよ。相手の財産をしゃぶり尽くすまで絶対に離すんじゃないよ」  母からのメールにはこれらのことが順番に繰り返されていた。 その母は私が21の時に男を作ってどこかへ行ってしまった。それからしばらくしてお金持ちの男と自動車に乗って崖から落ちたということを父から聞かされた。それからは父と二人暮らしだった。父は私を本当の娘のように可愛がってくれた。父は誠実で良い人だった。しかし私はどうしてもそんな父に愛情を持てなかった。それは貧しい生活からどうしても抜け出せない父に哀れみを感じていたからだった。だから私は同情が愛に変わるなんて信じられなかった。  それから私は母がしつこく私に言っていたことを実行し始めた。私には才能があった。それは私がもてたからだった。それは高校生の時からそうだった。学校でも一、二を争うほどきれいだと評判になって、他の学校の生徒からもラブレターをたくさんもらった。でも私はその誰にもなびかなかった。それは所詮学生なんてお金がなかったからだ。たまには親が金持ちで豪勢な贈り物をしてくれた子もいたがそれだって高が知れていた。私はもっとお金が欲しかった。限りなくお金を渡してくれる人にしか興味がなかった。  私は気がつくと、いつしか結婚詐欺にはまっていた。正確には詐欺ではないのかもしれない。と言うのもお金持ちなら本当に結婚をしてもいいと思っていたからだ。しかし、貢がせるだけ貢がせるとそれまで余裕のあった男が急にケチ臭くなった。そしてお金を出し渋るようになった。そうなったらもうその男には用はなくなった。私はどうやってその男と縁を切るかだけを考えるようになった。だからこれは詐欺ではないのだ。私の心変わりなのだ。いや、相手の男が変わってしまって本性をむき出しにして、それで私がそれにがっかりして、そして冷めてしまったというのが本当のところだと思った。  ところが今までのそんな男たちとは違う人が現れた。名前は境林といった。今までと同じようにお金を貢がせる目的で近づいた彼に私は次第に惹かれるようになって行った。それはどうしてだろうか。 確かに始まりは他の男と何ら変わりないものだった。そして他の男と同じように半同棲のような関係になり、そして結婚の約束をして、いざ預貯金を含めた全ての財産を手中に収めようとした時だった。  そう、あれは彼の母親の写真を見せられた時からだった。あの写真を見た時から何かが違ってしまった。それはどうしてだろうか。  それから私はもう一つ、自分でも信じられないことをしてしまった。それは彼の子を妊娠してしまったことだった。子どもが欲しいという彼の気持ちに押されてしまったのだろうか。それとも私が彼の子どもを欲しいと思ったからだろうか。 「もしね」  産婦人科に行った日の夜、私はいきなり彼にその話を振ってみた。 「なんだい、急に改まって」 「うん、もし私たちに子どもが出来たらどうする?」 「僕たちにかい?」 「うん」 「それは嬉しいよ。僕も年だしね」 「うん」 「まさか出来たのかい?」 「ううん。例えばの話」 「なんだ。びっくりしたよ。君が真剣な顔をして話を始めるから、もしかしたらって思ってしまったよ」 「ごめん。でもこういう話も結婚する前に必要かなって思って」 「そうだね。大事なことだね」 「それでね。もし男の子だったらなんていう名前にする?」 「え、急に名前っていったって」 「だってその時になって慌てたくないし」 「慌てたくはないけど名前を考えるくらいの余裕はあるだろ?」 「でも今決めておきたいの」 「うん。じゃあ崎」 「崎?」 「うん。崎」 「どうして崎なの?」 「なんかその名前がぱっと浮かんで来た」 「それって私の名前の漢字違いじゃない」 「嫌?」 「うーん。紛らわしくない?」  そう言うと彼は笑った。 「じゃあ男の子なら崎ね」  私は妥協した。 「うん。じゃあ女の子ならなんていう名前にするんだい?」 「女の子の名前?」 「うん。だってどっちが生まれるかわからないだろ?」 「女の子はいいの」 「どうして?」 「女の子はまたその時になったら考えましょう」 「いいのかい? それで」 「ええ」  それから彼との仲は私の本心とは裏腹に次第に疎遠になってしまった。彼からはまだ一銭も貢いでもらってはいなかったが、私は彼から遠のく行動をし始めていた。それはどうしてなのか。それは彼を好きになっていたからだった。私は彼が好きだから彼と付き合い、そして半同棲をするようになり、そして彼の子を宿すことになったことにその時気がついたからだった。
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