カスケード(影山飛鳥シリーズ06)

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第31章 「影山さん、ちょっと明日香に寄って行きませんか?」 「いいですよ」  影山は予定していたよりも早くことが済んだので帰りの電車の時刻を調整する必要があると思っていた。それで友野の誘いを快諾した。 明日香に入ると友野はやけに緊張した面持ちになっていた。それでどうしたのかと影山は思い、友野に声を掛けた。 「友野さんどうかされましたか?」 「影山さん、さきほどのあのばあさんの話を聞きましたよね?」 「はい。友野さんのおかげでたいへん貴重な話を聞くことが出来ました。ありがとうございます」 「いいや、礼なんかいいんですが、あんな話はめったに聞けるもんじゃないんですよ」 「わかります」 「溝卸家と小林家の丸秘中の丸秘という代物なんです」 「はい」 「ですからね。どうしようかなってずっとここへ来る間思っていたんですが」  影山は友野にお礼を要求されるのかと思った。今日は急いで来たこともあってあまり持ち合わせがなかった。二、三万円で友野が承知してくれるかと思った。 「遠慮なく言ってください」  しかし影山は目の前で硬くなっている友野にそう言った。 「ええい、いっちまうか」  すると友野は突然大きな声を出したかと思うと吹っ切れたように流暢に話を始めた。 「実は私もね、一樹とは家族ぐるみの関係だったんで色々と聞いているんですよ。でもなんせ溝卸の本家の奥様があんな感じでしょ。私がしゃべったって知ったらそりゃもうおっかなくて、それで黙っていたんですよ。でもさっきのあのばあさんがあれだけ色々としゃべっちゃったから、もうどうでもいいかなって思ったんです。それで私も知ってることを全て影山さんにお伝えしようと思ったんですが」 「お話しいただけるとたいへん助かります」 「まあ後でなんか言われたら、さっきのばあさんが言ってたことにしちゃえばいいかなって思って」 「はい」  影山は一瞬吹きそうになったのをこらえた。 「溝卸家と小林家は元々同じ家の本家と分家の間柄でした。しかし本家の跡取りと小作の娘が恋仲になってしまって、それで心中を図ろうとしたのです」  友野がそのことを思い出しながらゆっくりと説明を始めた。 「その心中の話は一樹さんと結子さんの話ですか?」 「はい。二人は駆け落ちをする前に一度心中未遂をしているんです」 「そうだったんですか」 「でも二人は心中する直前に家の者に止められてそれで別れさせられてしまったんです。と言うのも跡取りには親が決めた女がいたからです。先ほど話に出て来た久美さんです。そしてそれから二人は顔を合わせることも出来なくなり、思い余って駆け落ちをしてしまったんです」  その時の友野の顔には自責の念がこもっていた。きっと二人の密会を告げ口したのはこの男だったのだろうと影山は思った。 「でも二人の駆け落ちの理由は後になってわかったんです。それはその時結子さんはお腹に子どもがいたからなんです」 「その子どもが友野さんが行田駅で会った早紀さんだったわけですね」 「はい。それでそれを逆算すると駆け落ちをする少し前に早紀さんを妊娠したのだと思ったのです」 「なるほど」 「一方、跡取りを失くした本家は分家の久美さんを実家に戻しました」 「はい。先ほども出て来た話ですね」 「すみません。話が重複してしまって。でも時系列に話さないとなんか思い出せなくって」 「とんでもない。友野さんがやりやすいようにやってください」 「はい。では時間の流れに沿ってお話しします。その後本家の奥さんは一樹さんがいつか帰って来てくれるものと信じていたようです。そのために一樹さんからお金の具申があった時は送金をしていたようです。ですからもし駆け落ちをした女、つまり結子さんですが、彼女と一緒に戻って来たとしてもそれは許そうと思っていたようでした。しかしその一樹さんは駆け落ち先で死んでしまいました」 「それで徳久さんの息子さんが次の跡取りに選ばれたのですね?」 友野は黙って頷いた。 「実はこれからが新しく影山さんにお話しすることです」 「はい。是非聞かせてください」 「そもそもその一樹さんの父親の惣一さんと久美さんのお母さんのともえさんは兄妹だったのです。兄は本家の跡取りになり、妹は分家に下りました。しかし分家と言ってもそれは惨めな貧しい暮らしだったそうです」 「惣一さんとともえさんはそういう関係だったのですか」 「はい」 「でも、どうしてその兄妹はそのような関係になったのですか?」 「その兄妹は双子だったのです」 「あ、双子の兄妹!」 「昔から男女の双子は心中の生まれ変わりと言って忌み嫌われます。或いは双子の異性はお腹の中で近親姦の関係にあるということも言われていました。どうやら溝卸家にはかつて無理心中した人がいたようです。ですからその兄妹が生まれた時には大騒ぎになったようでした。本来なら産婆が間引きをしたのかもしれません。ですがそのお二人はとても美しい顔立ちをされていて、どちらをそうするかどうしても選べなかったらしいのです。結果男を跡取りとし、女を分家にしたのです」 「なるほど」 「またどうやら溝卸家は近親婚を繰り返した家系だったようです。どういうわけか身内の者同士が好き合ってしまってそして結ばれてしまったようでした」 「近親婚ですか」 「そういう昔からのいきさつもあって、そういう者同士が好き合わないように気を配ってはいたようですが、なんせ当主の徳久さんの命令で一樹さんはそのような人、つまり従妹の久美さんとの結婚を迫られたわけです。一樹さんの抵抗はせいぜい駆け落ちしかなかったわけです。そして徳久さんの目論見通り跡取りだった一樹さんが亡くなってしまうと、一方で自分の息子を次の跡取りとして呼び戻そうとしたのです」 「呼び戻す?」 「徳久さんは自分の息子が近親者とは恋仲にならないよう、東京の縁者に預けていたのです」 「え?」 「自分の生まれた子どもを里子に出してしまったのです」 「里子、ですか」 「はい。くれてやるんではないのです。親が決めた相手と結婚するまで遠くの知り合いに預けるようにしたのです。まだ生まれて間もない頃に戸籍からはそれがわからないような養子にしたのです」 「特別養子縁組ですね」 「あ、それです」 「6歳未満の子どもを養子にやる場合で実子として扱われ、戸籍での表示は養子ではなく長男、長女と表記される特別養子縁組ですね」 「その通りです」 「でも町の者はきっと遠くに追いやったその息子がいつかこの行田に現れてこの町の小林の女と結ばれると噂をしていました。あの家は呪われていると。そしてそれは宿命なのだと。それについてはどのような結果になったのかはわかりませんが、徳久さんの息子は結局帰って来ませんでした。消息不明になってしまったのです。それで本家はとうとうつぶれてしまったのです。それでどこかの縁者から養子を取りましたが本家への恨みでもあったのでしょうか、後はめちゃくちゃなことを始めてしまって影山さんも先ほどご覧になられたように誰も寄り付かないようなあんな殺伐とした家になってしまったのです」 「なるほど」 「あ、おねえちゃんコーヒー二つ」  すると友野は遠くにいたその店の店員に右手の指を二本立てながらコーヒーを二つ注文した。 「ところで友野さん、桜の家紋の話は聞けますか?」 「あの家紋はそもそも溝卸家の家紋でした。本家の家紋だったのです。だから本家はこの家紋を示さなくても当然この桜に蝶の家紋だったのです。ですが分家はこの家紋を使わせて頂く形になります。この家紋を示さなければ溝卸の親類だと表明出来なかったのです」 「それはもしかすると溝卸家が自分とは忌避の関係にある小林家をあぶりだす意味があったのではないですか?」 「あぶりだす?」 「はい。小林家は代々養子を取っていたといいます。それは小林家の名字がなくならないようにです。同じように小林家にはあの家紋が受け継がれています。それは数ある小林家からあの桜の小林家をわかりやすくするためのものだったのではないでしょうか」 「それはどうしてですか?」 「溝卸家が小林家の人間を見間違えないようにするためです」 「なるほど。近親婚を避けるための目印だったわけですね」 「もっと言えばあの桜の家紋を持つ家は溝卸家の者には近づけなくなったのです」 「なるほど。それなのに徳久さんはその決まりを破って久美さんを嫁にしようとしたんだから、そのばちが当たったんでしょうね」  影山は溝卸家の蝶の家紋から平家の家紋を連想していた。平家の郷と言われる平家の残党が隠れ住んだ部落では敵から一切の身を隠すため、そして平家の純血を後世に伝えるためにその部落の中でだけ男女が結びついていたという。それはやがて近親婚に至ったわけである。つまり溝卸家はそんな平家の残党ではなかったのかと思ったのである。  
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