カスケード(影山飛鳥シリーズ06)

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第32章 「そのおばあさんと友野さんからはそんな話を聞けたんですか」  境林は影山の事務所から見える満月をまぶしそうに見つめながらそう言った。 「境林さん、あなたはその小林久美さんの息子さんだったんですね」 「はい」 「そして早紀さんは溝卸一樹さんの娘さんだった。そんな二人が運命のいたずらで出会ってしまったんですね」 「母を捨てた男と母から恋人を奪った女の娘が早紀、そんな女を僕は好きになってしまい、そして子どもまで作ってしまった。しかしそれは親の因縁であって僕たちとは関係のないことじゃないですか」 「親の因果が子に報いという言葉があります」  三日月がそう言ったが鈴木がそれを睨んだ。 「それに被害者は寧ろうちの母であるわけです。その母に僕が何かを吹き込まれて、そして早紀の出自を知った僕が彼女を遠ざけるのならまだ話がわかりますが」 「それが彼女の自責の念だとしたら?」 「でも親のやったことですよ。それを子どもである彼女が責任を負うだなんて」 「いつもすまないすまないと彼女の母親が彼女に言っていたとしたら?」 「うーん」 「そしてそんな相手と結婚の約束をして、更には子どもまでも作ってしまった。そういう自責の念が彼女を追い詰めたということも考えられますね」 「僕にはよくわかりませんが」  影山の話に境林はいまひとつ納得出来ない顔をしていた。しかし鈴木と三日月は早紀の母親が日々久美への懺悔を幼い早紀に聞かせていたとしたら、そういう思いが芽生えるのも不思議なことではないと思った。 「今日の報告はこれまでになります。ご静聴ありがとうございます」 影山が最後にそう挨拶をすると境林と三日月が椅子から立ち上がった。 第33章  私は行く宛てもなく夫の墓に来ていた。夫が他界した時、私は夫の両親に夫を引き取ってもらうように頼んだ。しかしそれは虫のいい話だと一蹴された。夫が生きていた時は是が非でも夫に帰って来て欲しいと言っていた母親も、夫が死んだと知るとまるで手のひらを返したような態度だった。 私たちは行田から今市に駆け落ちをしたが、いいとこのお坊ちゃんだった夫に勤まる仕事など見つかるはずがなかった。それで駆け落ちをした時に夫が持って来たお金はみるみるうちに消えて行った。夫は行田の実家にお金を融通してもらっていた。しかし夫の母親は当主の手前最低限度のお金しか送れなかったようだった。それで私たちの生活は貧しかった。特に娘の早紀が生まれた後は本当にいっぱいいっぱいの生活を送っていた。 そんな時に彼の病気が発症した。それは溝卸家の男だけに受け継がれる病で彼は死に向かってまっすぐ突き進んで行った。そしてその最期はあまりにあっけなかった。子どでもかからないような鼻風邪のような病で他界した。夫の遺骨は夫の母親がなんとか当主に掛け合ってくれて溝卸家の分家の墓に埋葬することができた。 しかし溝卸家の援助もそこまでだった。私は夫の死後、外へ働きに出なくてはならなくなった。それで早紀の面倒を見てくれる人を探したり、早紀を連れて行ける働き場所を探したりしたがそれはなかなか見つからなかった。夫が残したお金も残りわずかになっていた。そんな時だったあの事故が起こった。 それは早紀が、私と一樹さんが最も愛した娘の早紀が死んでしまったのだった。私はもうどうしようもなくなって自暴自棄になっていた。そして気がつくといつしか夫の墓の前に行き着いていた。そしてそこであの女に偶然会ったのだった。 「あなた結子さん、結子さんでしょ?」 「どちらさまですか?」 「私よ、私。一樹さんの許婚だった久美よ」 その人は夫の元許婚だった。彼女は両親のお墓参りにちょうどそこを訪れていたところだった。 「酷いわよね。いくら溝卸の銘のある墓っていっても、私を裏切った男をうちの墓の横に埋めちゃうんだからね」 「溝卸家のお隣のお墓っていうことは元々お知り合い同士だったんですか?」 「うちの小林家が溝卸家の分家なの。だから家紋が桜の家紋になってるでしょ?」 「はい」 「桜に蝶の家紋、それは溝卸本家と同じなのよ」 「本家の家紋は知っています」 「でも本家はその家紋を見せびらかしたりはしないの。誰もが本家はその家紋だって知ってるから」 「それは私みたいな者でも知っているくらいですから」 「でも本当の理由は違うのよ」 「違うんですか?」 「私たち小林家を見つけるためなの」 「それはどういうことですか?」 「それはそうとあなた、一樹さんのお墓参りに来たの?」 「え、ええ」 「そう。一樹さんも可哀想ね。こんなに早く死んでしまうなんて」 「はい」 「でも宿命だったんだから仕方ないわよね」 「宿命ってなんですか?」 「知らないの?」 「はい」 「なんだ。結子さんは溝卸家に流れるカスケード効果のことはご存じないの?」 「なんですかそれは」 「一樹さんが亡くなった病気よ」 「それなら知っています。恋をすると死んでしまう病気ですね」 「一樹さんから聞いたの?」 「はい」 「いつ?」 「彼が好きだと言ってくれた日に」 「ふん。ご馳走様」 「ごめんなさい」 「でもね、溝卸家のその病気は男だけではないのよ」 「え?」 「それは女にも受け継がれているの」 「女性にも?」 「ええ。それがその小林家なの」 「え、そうなの?」 「そうよ」 「それじゃあなたも?」 「さてどうかしら。それは恋をしなくてはスイッチが入らない病気なの。だから私は大丈夫じゃないかしら。なんせ一樹さんをあなたに取られたんだから」 「・・・・・・」 「それでね。さっきの話だけどね」 「さっきの?」 「家紋が小林家を見つける目印っていう話よ」 「あ、はい」 「その呪われた血を見つけるためなの。わかる?」 「そうだったのですか?」 「ええ。溝卸家の男が小林家の女といい関係にならないための目印だったの。でもそれが逆に働いてしまったのね。私と一樹さんは」 「どういうことですか?」 「知らなかったの、あなた?」 「はい」 「私と一樹さんはあの溝卸徳久がくっつけたのよ」 「あ・・・・・・」 「それって本家の血を絶やす計画だったってことでしょ?」 「あ、そうなりますね」 「あんたもまんまとその計画の片棒を担がされたってことね」 「私はそんなこと知りません」 「知らなくても結果がそうだったってことでしょ。徳久の計画では一樹さんと私の子が男女どちらでも短い命だったわけだけど、そんな先のことを待たなくても一樹さんがあなたに恋をして死んでしまったのだから」 「・・・・・・」 「次の跡取りはあの徳久の息子らしいわよ。どんな息子だか知らないけどね」 「そうなんですね」 「まんまとあの徳久にやられたわね」 久美さんは女の赤ちゃんを抱いていた。そしてその女の子を一目見た瞬間、私はそれは死んだ早紀に瓜二つだと思った。 「この子、一樹さんに似ているでしょ?」 「え?」 「いいのよ、隠さなくても。あなた、今そう思ったんでしょ?」  久美さんは私がずっとその赤ちゃんに注いでいる視線が尋常ではないことをわかっていた。 「私は早紀に似ているなって・・・・・・」 「私ね、追い出されちゃったの、あのうちを」 「え?」 「そう。あなたが一樹さんと駆け落ちをした後ね」 「そうだったんですか・・・・・・」 「いいのよ。無理に申し訳なさそうな顔をしなくても。私は別に気になんかしていないから。どうせ親同士が決めたことだったしね。それに一樹さんがそんなに早く死んじゃうなんて、そんな貧乏くじを引かなくて済んだんだから。だから寧ろあなたにはお礼を言わなくちゃいけないくらいよね」 「そんなことは」 「でも私、一樹さんの子どもを妊娠してたの」 「え!」 「それがね。この子なの」 「この子が?」 「私ね、いま好きだって言ってくれてる人がいるの。でもこんな子を連れてっちゃ邪魔になるでしょ。だからこの子をどうにかしたいんだけどね」 「どうにかって・・・・・・」 「ところであなたまだ溝卸を名乗っているんですって?」 「はい」 「そうなんだ。それって一樹さんに未練があるから? それとも溝卸家の財産を狙っているの?」 「財産を狙っているなんてとんでもない」 「そう? じゃあどうして?」 「だって私は一樹さんの妻ですから」 「私を前によくもしゃあしゃあとそんなことが言えるね」 「・・・・・・」 「でもいいのよ。私はもう一樹さんとも溝卸とも何の関係もないんだから」  その時久美さんは私にとんでもないことを持ちかけた。 「この赤ちゃんをもらってくれないかな?」 「え!」  私は夫に先立たれ生きる支えを失っていた。今日の墓参りも自分がこれから生きていくための何か拠り所を求めて来たのだった。つまり私は、すがれるものであれば何にでもすがりたいという気持ちだった。 「だってあなたこの赤ちゃんをとてもまぶしそうに見ていたものだから。それにあなたは私に大きな借りがあるんだよ。私から幸せを奪ったんだからね。だから今度は私が幸せになれるように協力をする義務があるんだよ」 「だってそんなこと出来るわけないじゃない」 「出来るはずがない? そうかしら。養子だって実子と同じように育てることが出来るのよ」 「え?」 「特別養子縁組っていうらしいの」 「特別養子?」 「ええ、なんでも戸籍にも養子じゃなくて実子として書かれるんだって。だからばれないのよ、誰にも」 「でもそんな」 「あなた胸がうずくでしょ?」 「胸?」 「胸が張るんじゃない?」 「どうして」 「あなた、自分の子を亡くしたんでしょ?」 「どうしてあなたがそんなことを知っているの?」 「溝卸家に関係することは何だって知っているわ。そのお子さんはどうして亡くなったの?」 「それは・・・・・・」 「あなた育児ノイローゼにでもなって殺しちゃったんでしょ」 「嘘、そんなんじゃないわ。あれは事故なの」 「そうね。気が触れて、それで殺しちゃったのね」 「ううん、そうじゃなくてちょっと目を離した隙にうつぶせになって窒息死しちゃったの」 「そうなのね、あなたが正気を失っている間にね」 「私、何度も叫んだのよ、生き返ってって。でも早紀は、早紀は・・・・・・」 「だからあなたにこの子をあげるわ。この溝卸家の血を引くこの子をね。未だに溝卸の名を語っているあなたにふさわしいものね。だから名前は早紀とでもなんとでも呼んでいいわ」 「ホントなの?」 「ええ。そしてあなたの子として育てて」  私はそれから生まれ変わった早紀を抱きかかえてその場を後にした。そしてその帰り道、行田の駅で夫の同級生だった友野さんに声を掛けられて彼と少し話をしたが、その子が早紀だということに微塵も疑いを持たれなかった。 今日からその子が私の早紀だった。私の早紀が戻って来たのだった。それから私は日光に戻るとすぐにでもそこを引っ越ししようと思った。早紀の顔を知る人から早く離れたかったからだ。そして夫が他界した後ずっと言い寄られていた男を逆にくどいてそこから神奈川に引越しをしたのだった。 第34章  私と一樹さんとの間に出来た子どもは男女の双子だった。そう、男女の双子、それは昔に心中した男女の生まれ変わりだと言われて忌み嫌う存在だった。それで溝卸の本家からは追われるようにして放り出されてしまったのだった。  親が決めたとは言え、貧乏な生活をやっと抜け出せるはずだったものが、あの結子という女によってめちゃくちゃにされてしまった。そして唯一溝卸の家に関わりが残せると思っていた一樹さんとの子も男女の双子だったという悲劇で結末を迎えてしまった。私の望みは全て絶たれてしまったのだった。   私が自暴自棄になり、そしていつしか「さきたま史跡の博物館」の国宝展示室でヒスイの勾玉を前にしていた。 その時だった。私はある男性がそこに佇んでいるのを見つけた。そして同時に私の頭の中に思い出されたのは、いつだったか母から聞いたその勾玉の前に立つ男がお前に会いに来るという言葉だった。 私はその時本当にどうかしていたのだと思う。私はその母の予言に操られてその人に声を掛けていた。きっとその博物館に行った時点から母の暗示にかかっていたのだろう。  私はその人を連れて行田の町を案内した。そしてその夜、その人は東京に帰って行った。その人は最後にとても名残惜しそうな顔をしていたが私はとてもそんな気分ではなかった。しかしその人がとても熱心だったので私は仕方なく電話番号だけは教えることにした。  その人が帰ってしまうと私はまた心の中にぽっかりと穴が開いてしまった。あのままあの人に付いて東京に行ってしまえば良かったかもしれないと思ったが、さすがにそこまではめちゃくちゃなことは出来なかった。  しかしそれから少ししてその男性から電話が掛かって来た。そして私が何度その人の誘いを断っても私を一生支えて行きたいと繰り返し繰り返し言ってくれたのだった。 それで私は遂に根負けしてしまったのだ。もしかしたら最初に会った時からその人のことを好きになっていたのかもしれなかった。或いはその人に会う前から母の予言に縛られていたのかもしれなかった。 第35章  私は妊娠をしたことでそれまで全く近寄らなかった病院で初めて検査というものをしました。体調不良を訴えたところ、妊娠中毒症の心配があると言われて私の意思には構わず検査という運びになったからでした。その時私の遺伝子の中に何か特別なものがあるのではないかという不安が生じました。しかし私はその特別な病がうちの家系の男だけに受け継がれるものだと知っていました。だから女性の私がその病を発症することはなかったのです。  それが彼と半同棲を始めた頃からでした。初めは朝起きれないというようなことから始まって次第にうつ病の典型的な症状が出始めたのです。 私は不安になりました。まさかこれは恋をすると発症する病ではないかと思ったからです。その病気は男であればそれにより寿命を縮め、女であればそれによって気が触れるのです。私は彼に恋をしたことによってやがて気が触れ、そして自殺をしてしまうかと思ったのです。  それは最初、結婚詐欺を働いてきた私の良心の呵責から来ているのではないかと思いました。でも段々とうつの状態が酷くなって来ると、これは心の病だとわかるまでにそれほど時間は掛かりませんでした。心の病の専門医を数多く当たりましたが結局その原因はわからずじまいでした。そしてこんな酷い状態を彼に見られるのが嫌でとうとう彼との距離を開けるようにしたのです。 (やがて気が触れて、そして死んでしまうんだ)  しかし私にはどうしてもわからないことがありました。それは何故女性の私がこの病が発症したかです。あの父の子であるならば男でなければこの病は発症しないわけです。母もその最期は心に病を抱えていましたが、この病気とは明らかに違うものでした。しかしそんなことを考えている間にも私の病はどんどん進行して行ったのです。  その時です。私はどうせ死ぬなら彼と一緒に死にたいと思ったのです。私はそれほどまでに彼のことを好きになってしまっていたのでした。お腹の中の子どものことも考えましたが、この子を一人残して両親が共に逝ってしまっては不憫で仕方がなかったのです。しかも私は犯罪者です。母親が犯罪者だとレッテルを貼られて一生を送らなくてはならないこと、そしてもし誰かを好きになってしまったらその子の命が終わってしまうこと、そのことからもこの子も私達と一緒に連れて行こうと思ったのです。  私は全ての覚悟を決めて、そして彼と心中をしようと三国駅に彼を呼び出しました。彼は約束通りそこに現れました。私はどれほどその場に飛び出して行って、そして彼に抱き締められたいと思ったことでしょうか。でもそれは出来ませんでした。私は涙で彼の姿がかすんで見えましたが、彼が私を捜して駅前の広場を歩き回っている姿をしばらく眺めていました。そして愛しい彼の姿を見ていると私の心の中の気持ちに変化が起こったのです。それはやがてその場をそのまま立ち去ろうかという思いになりました。けれど私はどうしても最期に彼に会って一言でもいいから言葉を交わしたくなり、そして遂にその気持ちに負けてしまったのでした。 私は腫れた目を見られたくなくて視線を逸らしていました。辺りが暗かったこともあってどうにかそれはごまかせたようでした。そしてその話の最中にこの後私が彼を振り切って、そして私一人が命を絶てば、そしてわが子を道ずれにしたことを彼が知ったら、彼はきっと私を憎むだろうと思ったのでした。そしてその私を憎む気持ちが私を好きだったことを彼に忘れさせるだろうと思ったのでした。
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