3節 海に柘榴

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 声の主がいる方向へ顔を向ける。  ミストレスは調理場の椅子に深く腰掛けていた。    年齢は七十代後半から八十代前半だろうか。割烹着(かっぽうぎ)を着用し、白髪をお団子にまとめている。そこまではいい。普通の格好だ。不思議なのはミストレスの首元だった。  真夏だというのにマフラーを巻いている。  無地の真っ白いマフラーだ。店内は冷房が効いているから、体を冷やさないようにしているのだろうか。    私の姿を捉えると、ミストレスは「あら」と口元に左手を当てた。その薬指には指輪がはめられている。乳白色の指輪だ。素材はプラチナやゴールド、シルバーなどではなさそうだ。初めて見るデザインの指輪だった。 「まあ、かわいらしいお嬢さんですこと。どうぞお好きな席に座ってくださいな」  促されて店内を見渡す。好きな席と言われても、席数は片手で足りる程度だ。しかも私以外に客はいない。  とりあえず調理場近くのカウンター席に腰を下ろした。ショルダーバッグは肩から外し、背もたれと背中の間に置く。  一息つく私とは反対に、ミストレスは椅子から立ち上がった。調理場から何やら物音がする。  ややあって、水と氷の入ったコップが運ばれてきた。 「外は暑かったでしょう。お水をどうぞ」 「ありがとうございます」  せっかくなので、目の前に置かれたコップを手に取り、口をつける。氷がからんと音を立てた。火照った体に染み渡る冷たさだ。 「ご注文が決まりましたら、お呼びくださいね」  ミストレスは人好きのする笑みを浮かべて調理場へ下がった。
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