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お子様軍人ジェケット中佐の、今日はカッパ日和 その6
六
ジェケット中佐は、とぐろを巻いたグリーン海苔巻を猛然と食べ始めた。恵方巻の如く。口元が緑色した謎のエキスに染められていく……。
やがて異変が現れてきた。
先ほどまですこぶる晴天だった空が、にわかに曇り始める。灰色の雲が何層にも重なり、雷鳴まで轟かせる。ポツポツと降り始めるや否や、たちまち土砂降りになった。
ドンガラビッシャーン!
背筋も伸びるぐらいに、強烈な音が響き渡る。すぐ近くで雷が落ちたらしい。直後、調理実習室を照らしていた蛍光灯は一斉に消えては光るを繰り返す。児童たちの悲鳴が上がった。やがて復旧すれば、室内で蠢く一人のニンゲン……否、物体に誰しもが釘付けになった。
全身、緑色。水かきの付いた両手。頭の上には皿。着ぐるみでもなんでもない、正真正銘のカッパ。ジェケット中佐はカッパ化を成し遂げていた。
「ビバ! カッパッパ~!」
意味不明な雄たけびを上げるや、食べかけのグリーン巻をブンブン振るう。中から現れた細いキュウリは……まさかアレが伝説のカッパ武器、キュウリソード? カッパ化した中佐は強かった。次々に襲い掛かる全身黒づくめ軍団を、ソードでなぎ倒していく。もはや付け入る隙など何処にも無かった。
「ええい! 野郎ども、退くんだ。撤収だ!」
ボスの一声で悪魔術軍団は退却を余儀なくされた。が、どうにも奴さんの様子がおかしい。キュウリソードをその場に手放すや、ダウンしたのだ。駆け付けた俺様の腕の中で、中佐は弱弱しい顔をみせてくる。身体はフニャフニャに柔らかくなり、頭の皿にはヒビが入り始めてきている。誰が見ても明らかな、カッパの末期症状だった。
「サン……チェス。吾輩は、やったのか?」
奴さんの懐から、一冊の古文書が滑り落ちてきた。な、何だコレ? パラパラとめくっていく。日本語の横に、丁寧にも英語訳まで付いていた。読み進めていれば、或るページで指が留まった。
「キスをすればニンゲンに戻る事ができる……だと?」
グリーン巻物を食し、カッパ化したニンゲンを元に戻す方法があるらしい。カッパの唇にキスをする……一見、信じられない事だが、古書にはハッキリ記されていたのだ。
海で溺れたニンゲンに人工呼吸を施す様な行いなのかもしれない。とにかくだ。俺様はこの場に居合わせた全員に、危機に瀕した中佐の状態とカッパ化を直す方法について説明する。精一杯に訴えた。
「誰か! 誰かコイツにキスをしてやってくれ!」
謎の集団による占拠から解放された安堵もそこそこに、調理実習室は凍てつく様な雰囲気が漂い始める。無理もない。不気味な海苔巻きを食べカッパ化してしまった元ニンゲンに、誰が好んでキスしたいだろうか?
しかしだ。中佐はどんどん衰弱していく一方。間もなくカッパとして最期を迎える事になりかねない。そこで俺様はもう一度力説した。
「誰がみんなを助けたんだ? カッパのコイツだろ? 元々は普通のニンゲンだったんだ!」
すると、挙手してきてくれたのはセシカ先生。やはり問題児とはいえ、教え子を見捨てられないらしい。ゆっくりと中佐の傍で膝ついた。
けれども、薄目を開いた中佐は嫌々と首を振る。プルプル指さした古文書には『乙女のキス』と記されていた。つまり、セシカ先生は乙女じゃないからダメ……というらしい。困り果てた俺様とセシカ先生を横目に、中佐は最後の力を振り絞る。
「ルーシー、ルーシー」
うわ言の様に何度も呟き、『乙女のキス』たる相手を指定してきたのだ。
「ルーシー? ルーシーという名の女子なんだな?」
こくり、中佐は頷く。輪の中から出てきたのは、ブロンドの美少女。彼女がルーシーだった。伏し目がちで少し怖がっている様子に見える。中佐に代わって頼み込む。どうかコイツの唇にキスをしてやって欲しい、と。
終始拒否していたルーシーも、俺様の必死の説得にようやく折れてくれた。一緒にいたお父様も不承不承ながら許してくれる。ホッとする俺様の腹がギュルギュルるると鳴る。いかん、またトイレに行きたくなってきた。中佐がキスされるシーンを見逃すのは惜しいが、俺様も一杯一杯。やむを得ずトイレに駆け込む事に決めた。
床に伏す中佐を残し、トイレに向かう。どうしてこんなに下痢ピーになってしまったのか?
と心の中で愚痴っていると思い出した。
下痢ピーの原因は、おそらく昨夜の特大ピザだ。俺様、それほど暴飲暴食はしないタイプなのに……せっかくの温かなピザを残してしまう事はモッタイナイと思ったのだ。そして、特大ピザを持ってきてくれたのは……。
ジェケット中佐だった。
はて?
ふと気に掛った。
どうして、昨夜に限って中佐は俺様にピザを差し入れしてくれたの?
授業参観に保護者として代理で来てくれるから……お礼のつもり。だが、奴さんは本当に「お礼」として持ってきてくれたのだろうか?
差し入れの目的が、他にあったのならば?
疑問はピザだけではない。そもそもの話、なぜ中佐は調理実習でサンドウィッチならぬ、異色めいた海苔巻などを作ったのか? 本人は「だってワガハイ、パン派よりもゴハン派だから」と言い訳していたが、怪しい。なぜなら、奴さんは日本食を苦手にしていたのだ。
それでも、中佐は海苔巻を作った。
否、作らなければならなかった?
しかもグリーン色にまみれたカッパ化する、掟破りな海苔巻きを!
そして、グリーン巻を自ら食した中佐は、目出度くカッパ化してしまう。パワーアップを果たし、無事に乱入者を撃退するも、その後どうした?
精も根も尽き果てながらも、ただ座して死を待つ訳ではない。カッパ化した自分を元のニンゲンに戻す方法として、キスをしてもらう必要がある……それも乙女のキスを!
「まさか……中佐は?」
乙女のキス。それも意中の相手、ルーシーにキスをして貰いたかったのでは?
しかし、好きな相手からキスをしてもらう為に、わざわざカッパ化までするか? サンドウィッチの調理実習中に、都合良く謎のサンドウィッチ信奉集団までも乱入してくるか?
それでも疑念は付きまとう。
もしも中佐が襲撃役付のカッパ化計画を企んでいたとしても、なぜ敢えて授業参観の日を決行日に選んだのか?
クラスで浮いている思しき中佐の事だ。普段の調理実習の時に実行しても、ルーシーのキスを期待できない恐れが高い。下手をすれば、セシカ先生からのキスで終わってしまいかねない。そこで瀕死の状態にある自分に代わって、ルーシーにキスを強く要請できる役目の者が必要だった。
「だから俺様を、授業参観に呼んだ……のか?」
しかし、俺様がこの場に居合わせれば、あっという間に謎の覆面集団を倒してしまうだろう。先ずは俺様がまともには動けなくする必要がある。喋る事ぐらいはできるが、満足に戦えない状態にしておく事がちょうど良い。下痢ピー。つまり、昨夜の特大ピザは決して好意ではない。中佐の周到に仕組まれた企てだったのだ。
俺様の怒りで身体が熱くなってきた。中佐にいっぱい食わされた挙句、ルーシーのキスをゲットするが為の策略に利用されたのだ。振り返れば、ルーシーは中佐を膝枕している状態。まさに今から、乙女のキスがなされようとしている……。
下痢ピーに蝕まれた身体に力を籠め、俺様はスローモーションで二人の間に駆け寄っていく。頼む、頼むから間に合ってくれ! 俺様は石鹸を握った右手を前へ差し出し、前のめりに倒れ込んでいった……。
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