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お子様軍人ジェケット中佐と巨大金魚ダミアン その6
六
「このお子様は……」
俺様サンチェスの声は知らぬうちに震えている。何故、金魚ダミアンがジェケット中佐の元から失踪したのか? その理由も今ならば推測できよう。金魚ダミアンは伝説の鯉になった暁には、中佐によって鯉料理の具材とされてしまう事を知った。故に隙をみるや否や、逃げ出したのだ。
けれども、中佐は諦めなかった。独りニューヨーク中を探し回る。ニューヨーク市警のベテラン刑事よろしく、ダミアンの形跡を執拗に追った。そして、セントラルパーク貯水池で巨大怪魚が現れたとの目撃情報を伝え聞く。遂に捕獲ミッションを開始させたのだ。
不老不死の身体になるが為に、金魚を伝説の鯉に変貌させようとした小学生。恐るべし、まさにお子様軍人ジェケット中佐の本領発揮だった。
そして俺様といえば、奴さんから何も知らされる事がないまま、ダミアン捕獲に付き合わされた挙句の果てに、巨大魚に一口で呑み込まれてしまった訳だ。
「さて、どうするか」
俺様サンチェスは件の本を閉じた。先刻までは、実の処、金魚は鯉に変貌する可能性が残されている、と中佐の持論を少しだけ信じていた。だが、その情報ソースがおとぎ話の類と判っては、これ以上中佐の世迷言に付き合ってやる義理は無い。そもそも中佐の狙いが『不老不死』とあっては同情の余地も無いのだ。
「おい、中佐。よく聞いてくれ」
ペットダミアンの説得をし続けていた中佐はさも煩そうな顔を向けてきた。俺様は、今までの溜まったうっぷんを晴らすかの如く告げてやった。
「お前は肝心な事がわかっていない」
「な、何を?」
「そもそも金魚と鯉とは、別の種類なんだ。ハマチが成長してブリと呼び方が変わる様な、いわゆる出世魚じゃないの!」
「う、嘘だ」
「嘘じゃない」
「だって、吾輩が借りてきた本には、『デラコルテ』は伝説の鯉になったって!」
「あれはな、おとぎ話なの! 本当にあった話じゃないんだから! フィクションなの!」
「フィクション? フィクションって何?」
中佐の声が震えている。『フィクション』という概念を知らずとも、自分が頑なに信じてきたモノが瓦解していく心地を感じている様子だ。無理も無い。奴さんはまだ小学三年生、サンタクロースがクリスマスプレゼントを届けてくれると夢見るお子様なのだから……。
心が少し痛むが、俺様は続けた。
「鯉の口には、両端にそれぞれ長短二本の髭が生えている。方や、金魚の口には髭は無い」
「だって、金魚はまだ子供だから。髭は大人になってから生えるモノでしょ!」
「ならば、問おう。巨大化したダミアンの口には髭が生えていたか?」
問いかけられた中佐は目をつぶる。先刻、巨大怪魚に飲み込まれる瞬間を脳裏でプレイバックしているらしい。ほっぺを紅潮させると、口をもごもごしながら、
「すると、ダミアンはずっと金魚のまま?」
「そうだ」
「いくら大きくなっても? 吾輩が開発した成長促進剤を与え続けても?」
「イエス」
「嘘だ。嘘だ。嘘だ……」
もう俺様の話は聞きたくは無いと云わんばかりに両手を耳に当て、そして遂には爆発した。
「嘘だ―!!!!」
瞬間、怪魚ダミアンの体内で中佐の金切り声が響き渡る。地団太を踏めば、抜かるんだ足元で滑り、転倒した。それでも、ブチ切れた奴さんの動きは止まらなかった。両手両足をバタバタさせ、ひっくり返ったゴキブリの如く。悔しさを外に一気に発散させる、その勢いやすさまじい。
しかしだ。俺様は中佐の切れっぷりに感心している場合では無かった。何やら足元が酷くふらつく。地響きがするかの様に。耳を澄ませば、遠くから異音が。やがて音は大きくなってくる。視界に飛び込んできたのは、ドロドロした消化液ではない。大量の水。あっという間に水流に飲み込まれた俺様と中佐は、そのまま何処かへ流されていった……。
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