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お子様軍人ジェケット中佐とカラ傘乙女桜子さん その7
「相合傘だ。中佐のヤツ、とうとうやりやがった……」
俺様サンチェスの声は知らぬうちに震えている。ジェケット中佐の念願だったマドンナルーシーとの相合傘が思いもよらぬ形で実現することになったのだ。小学生にとって『カラ傘乙女』の和傘は大きすぎ、二人で傘の柄を握らざるを得ない。自然とルーシーと中佐の肩は寄り添い、近づくことに。まさに相合傘の本領発揮と云えた。
「良かったな、中佐」
マスク越しに俺様は歓喜の涙を流してしまう。何かにつけてトラブルに見舞われる薄幸な奴に祝福の拍手を心から送ってやった。
しかし、しかしだった。
俺様もすっかり忘れていた。あの『カラ傘乙女』は相合傘をする男女を恋仲にするキューピッド、長女『楓子』ではない。われこそは恋の主役たらんと自己主張をしてならない次女の『桜子』だったのだ!
傍から見れば、ルーシーと中佐が二人して相合傘をしている光景だが、中佐と『桜子』にとっては全く違う意味を持っていたのだ。これってマズイ? マズイかも? 案の定、昇降口から正門までの中間地点で、相合傘はピタリと止まった。中佐の甲高い声が俺様の耳にまで飛び込んでくる。
「違う。違うんだよ、『桜子』さん!」
中佐は血相を変えて、傘に向かって喋っている。そんな異常な様子に同じ傘に入っているルーシーは唖然とするだけだ。
「ルーシーは、同じクラスの友達で……え? さっきから顔がにやけている? そ、そんなこと無いよ。ボクはルーシーのことなんて……」
俺様には妖怪和傘の『桜子』が何を口にしているのか、さっぱり分からない。だが、中佐の言い訳じみたセリフを聞くだけで事態を飲み込むことは容易だった。『カラ傘乙女』は人一倍に色恋沙汰に敏感なのだろう。ルーシーが自分の傘に入ってきた途端、中佐がずっと前からこの女子に好意を寄せていたことを見ぬいてしまったのだ。しかし、長女と異なり、次女の『桜子』は自分こそが恋の当事者になることを望む。俄に嫉妬心が燃えたぎり、恋人のジェケット中佐に詰め寄りはじめたに違いなかった。
「そんな……『ルーシーを傘から出せ』だなんて!『桜子』さん無茶を言わないでよ!」
中佐は『桜子』からの要求に明らかに戸惑っている様子だった。
「ボクが選ぶの? ルーシーを? それとも『桜子』さんを?」
今目の前にいる二人の女、どちらを選ぶのか? 究極の選択を強いられることになった中佐は今にも泣き出しそうな顔をしていた。所詮、小学三年生にすぎないお子様軍人には男女の三角関係の修羅場を乗り切るだけの術は身につけてはいない。中佐よ……俺様はすぐに助け舟を出してやりたい気分で一杯だった。
「ああ!」
次の瞬間だった。降りしきる大雨の中で、猛烈な風が吹き荒ぶ。刹那、和傘が中佐の手から見えない力でもぎ取られる。あっという間に、開いたままの傘は宙へと上昇していく。和傘に彩られているサクラの花模様が曇天に大きく舞った。
「待って、待ってよ! 『桜子』さ〜ん!」
悲痛なる中佐の叫び声が校庭に響き渡る。しかし、無情にも風に運ばれていった傘は二度と持ち主の元へは戻っては来ない。
「嘘だ。嘘だ。嘘だ……」
中佐は曇天を見上げ、顔いっぱいに雨水を受け止めながら、とうとう爆発した。
「そんな『桜子』さん、嘘だ―!!!!」
中佐の金切り声が響き渡る。地団太を踏めば、抜かるんだ足元で滑り、転倒した。それでも、ブチ切れた奴さんの動きは止まらなかった。両手両足をバタバタさせ、ひっくり返ったゴキブリの如く。悔しさを外に一気に発散させる、その勢いやすさまじい。
その有様をルーシーはちっとも理解できてはいない様子だった。中佐にハンカチを差し出すこともなく、口を抑えて悲鳴を上げるや、中佐の元から一目散に逃げ去っていく。土砂降りの校庭に残されたのは、ジェケット中佐たった独り。俺様は静かに奴さんの処に近づくと、黒いコウモリ傘をさしてやった。
「……中佐。迎えに来たぞ」
「サンチェスか。今の我輩の様子を……ずっと見ていたのか?」
俺様は何も云えなかった。しばらくすると、中佐は立ち上がる。俺様の傘を素通りすると、傘もささずにずぶ濡れのまま、今夜のプロレス会場へとゆっくり歩き出した。
「おい、待てよ。風邪ひくぞ」
「サンチェスよ、覚えておくが良い。軍人の我輩は、傘はささない……のだ」
振り返るや、ニヤリと不敵に笑う。そういえば以前にも同じセリフを俺様は聞いた覚えがあった。中佐の恋は……儚くも終わった。
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