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第1回 ラジオ体操
私は千也さんの講座の2回目のクールから知っている。中途採用で入社したのが6月だったから入社一ヶ月で受けることができた。ただカウンセラーでない私の立ち位置は、あくまでも監督官の立場だった。それでも後ろで手を組んで見ているには新人すぎた私は、ちゃんと講座を受けながら仕事をすることにした。
「ではラジオ体操第一をします」
ニコニコと笑いながら持ってきたカセツトデッキをデスクに置いて、千也さんはいきなりプレイボタンを押した。
毎朝テレビで流れている、小学校で習ったラジオ体操を10人ほどのメンバーと千也さんで一通り行った。椅子に座ろうとしたときに千也さんが言った。
「では次はひとつひとつの動きを、説明されているようにきっちりとしましょう」
千也さんはカセットデッキでテープをキュルキュルと巻き戻す。カセットデッキもカセットテープも私はギリギリ見たことがあったが、集っている新入社員たちにとっては謎の道具だったろう。
キュルキュルと巻き戻す時間だけを休憩時間に、
「はい、指先までちゃんと伸ばして、屈伸はもっとしっかりと、息を大きく吸いましょう」
そんな千也さんの音頭で2回目のラジオ体操が終わると、冷房が効いた部屋なのにうっすらと汗をかいた。
そして千也さんはまたカセットテープをキュルキュルと巻き戻す。
「はい、次はその動きによってどの筋肉を鍛えようとしているのかを考えながらしましょう」
そこにいる誰よりも年長で、カセットデッキを普通に使いこなす年齢の千也さんは、そこにいる誰よりも息が乱れていなかった。
考えながらと言いながらアドバイスをくれるわけではなく、身体を動かしながら自分で考えろということらしい。3回目が終わるとかなり息が乱れている人もいる。
「ハイ、次はその筋肉を鍛えることで身体にどんなプラスがあるのか考えながらしましょう」
キュルキュルのあと4回目が始まる。
千也さんは別に何も言わず、またそれぞれに考えさせているだけだ。
私はちょっと息を乱しながら、微笑みながら平然と4回目のラジオ体操をする千也さんの姿を美しいと思った。指先、足先、屈伸の角度、前屈の柔らかさ、そしてまったく乱れない息。ただラジオ体操をしているだけの、かなり年上の女性がとても美しく頼もしく感じたのは、何らかの催眠効果だったのだろうか。
あの翌日は筋肉痛になった。ラジオ体操第一で筋肉痛になったって言っても、誰も信じてくれなかった。ただ一緒にラジオ体操をし続けた新入社員の何人かは歩き方がおかしかった。
そんな風に始まる6回の講座も今日が最終回だ。私はこれまで6度のラジオ体操をして、2回目、3回目〜6回目と全ての講座を5度聞いてきたが、この最終回の講座が一番好きだ。
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