あなたに会いたい

2/6
前へ
/6ページ
次へ
私は高校を卒業と同時に、この家を出た。東京の大学に合格し、千葉の県境の街で一人暮らしを始めたのだ。就職も東京だったし、結婚して仕事を辞めても夫と東京のアパートに住んでいたので、この家にはほとんど帰ることはなかった。前に帰ったのも、二年前の正月以来だ。 「美波、寒くない? 大丈夫?」 私の言葉に、彼女は「うん」と大きくうなずく。そのパジャマには、彼女の好きなキャラクターが大きくプリントされている。 「もしもトイレに行きたくなったら、廊下をまっすぐ行ったところにあるからね」 分かったあ。彼女は大きなあくびをして、布団の中にもぐる。数分もすれば、寝息が聞こえてきた。慣れない環境で、緊張するかなとも思ったが、そうでもないみたいだ。 私も横になり、目をつむる。しかし、眠気は全くやってこなかった。 夫の会社は、ブラック企業だ。朝早くから出社し、日付が変わるまで働き続ける。土日も会社に行くのはよくあることだ。休みが取れても、一日中寝ているので、家事や育児を手伝うなんてことはなく、もちろん家族で外出なんてことは全くなかった。 実家に帰ってきたのは、精神的に限界だったからだ。家事も育児も一人でしなければならず、美波の小学校のことも、相談したいことはたくさんあるのに、夫には相談できる状況ではない。もう何もやってられない、そんな気持ちで実家に帰ってきた。 旦那さん、置いてきたん? 姉の言葉を思い出し、むかむかとする。姉は、生まれてからずっと実家に住んでいる。旦那さんは実家の和菓子屋を継ぐために婿養子になり、家事も育児も母に手伝ってもらっているし、私よりもはるかに楽をしている。名字の変更による膨大な手続きもなければ、一人きりで赤ちゃんの夜泣きを対応したこともない。同級生とも簡単に会えるし、関西弁で話していたってまわりから何も言われない。 しかし、姉に怒ったところで、何も始まらない。ふと寂しさがこみ上げてくる。暗い部屋には、美波の寝息だけが聞こえる。しばらくすると、意識は闇の中に溶けていった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加