あなたに会いたい

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時刻は夜八時、実家の居間には、私しかいなかった、和菓子屋の朝は早く、姉夫婦も母も、もうそれぞれの寝室にいた。よほど疲れたのか、娘もすぐに眠りについた。私はというと、全く眠る気にならず、ここでぼんやりと過ごしていた。 夫と出会ってから今までのことを振り返る。夫は優しくて、頭も良くて、誰からも慕われていた。この人と結婚すれば、絶対に幸せになる、そう思っていたのも、娘ができるまでだった。育児はいつも、一人だった。毎日くたくたで帰ってくる夫に、手伝ってもらうなんてできなかった。夫は仕事に逃げている、そう思っていた。ずっと一人きりで育児をして、恨みだけが積み重なった。 ただ、私は、彼の言葉を待っていた。いつもありがとうと、そう声をかけてくれるだけで良かった。どれだけ疲れていたって、それくらい言えるだろう。しかし、その言葉は、私にも言えることだ。果たして私は、夫にねぎらいの言葉を一つでもかけただろうか。 大学生の時、彼はいつも優しい言葉をかけてくれた。彼が就職してから、彼は余裕がなくなった。優しくしてくれない、そんなわがままな考えばかりが浮かび、彼をねぎらうなんてこともできていなかった。 あなたに会いたい。そう心から思う。私たちは話し合わなければいけない。ここで終わらせるなんて、嫌だ。 私はスマホを取り出す。電話帳から、夫の名前を見つける。いざ電話しようとなると、何を話せばいいか分からなかった。もしも、これっきりにしようと言われたらどうしようか。怒鳴ってきたらどうしようか。色んな事が頭に浮かび、私はためらってしまう。 その時、スマホが振動し、着信の表示が画面いっぱいに出る。それは、夫からの電話だった。 心臓が大きな音をたてる。こんなタイミングで電話が来るなんてこと、あるだろうか。私は呼吸を整えて、電話に出る。 「もしもし」 電話口でそう言うと、しばらくしてから、「俺だけど」と、少し震えた夫の声が聞こえる。 「今、電話、大丈夫かな」 「うん」 「話がしたくてさ」 懇願するような、夫の声に、胸が苦しくなる。 「なんで」 声がかすれてしまい、つばを飲み込んでから、もう一度、口を開く。 「なんでやっと今になって連絡したの」 沈黙が続く。心臓は変わらず強く脈打っている。 「連絡するのが、怖かったから」 怖かった。その言葉が、頭の中で繰り返される。 「じゃあなんで今になって連絡しようと思ったの」 「それは、怖くても一歩踏み出さないといけないと思ったから」 私は、自分の言うべき言葉を見失う。怖くても一歩踏み出さないといけない、それはまるで、わがままで、弱虫な自分に言っているようだった。 「私の方こそごめん。私はあなたから逃げた。私もあなたと話がしたい。良いかな」 一気に口から言葉が出た。声が上ずってしまい、何だか他人がしゃべったような感覚におちいる。 「うん、もちろん」 私は、明日に家に帰ることを言い、電話を切った。部屋には再び、静寂が戻ってきた。 さっきまでの会話を思い返す。そう言えば、夫とまともに会話したのも久しぶりだ。 先に謝られちゃったな。そんなことを思うのと同時に、久しぶりに本音を言えたような気がして、心はすっきりしていた。 その時、私のお腹が豪快になった。そう言えば、晩飯はまともに食べていなかったと思い出すのと同時に、こんな時でもお腹はすくのだなと、一人笑った。
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