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1 夢の中で
僕の目の前には夫がいる。
「どうした? そんなにまじまじと見て」
「えっ、僕、見てた?」
消防士をしている逞しい彼が、屈託ない笑顔で答える。
「うん、なんか心ここにあらず? みたいな。お前にしては珍しいから、ちょっと可愛くてさ、ううん、だいぶ可愛くて抱きしめたくなった。ほら、おいで?」
「うん!」
夫に抱きついた。はぁ、幸せ。彼の香りに包まれて、いつまでもこうしていたい。
「好き、大好き」
「ああ、知ってる」
彼が笑いながら言う。
「本当に? 僕死ぬほど好きだよ」
「死ぬなんて軽く口にするなよ、死なれたら俺は悲しい。でもその気持ちは死ぬほど嬉しいかな」
「うん!」
夫は僕をもっとぎゅっと抱きしめる。いつもより強い抱擁に、僕はふいに不安になる。彼を見上げると、僕を見て悲しそうな顔をした。
「どうしたの?」
「蓮、お前はいつまでも俺の光でいてくれ。決して色あせないように」
「え?」
「俺は、お前が幸せになって、それで心残りのない生き方をして全うしてほしい」
どうしてそんな悲しい顔でそんなことを言うの?
「僕は幸せだよ、僕の隣にいてくれて、あなたと番になれて。幸せしかないから。何をそんなに不安そうな顔をするの?」
「俺も、そう言ってくれるのが嬉しかったんだけど、でもお前、俺がいない世界で生きていけないんだろ」
「当たり前でしょ、僕の唯一なんだよ。あなたのいない世界なんて考えられない」
夫はそっと僕にキスをする。いつだって僕たちはずっと一緒、キスも、抱擁も、当たり前にある世界。当たり前にある……? え。
「わかってるだろ、もう俺はいないって」
「やだ、やだ、それ以上言わないで……」
僕の瞳からは涙が零れる。それを夫が手でそっとぬぐった。
「愛してる、蓮。俺の大事な光」
「僕だって愛してる!」
涙が止まらない。どうして嬉しい言葉をもらっているのに、悲しい涙が出てくるの?
「それは、お前がそろそろ現実に向き合う時間だからだよ」
まるで僕の心の声が聞こえたかのように、僕の思考に続く言葉を口にする夫。
「現実でしょ、ねぇ、そう言ってよ! 僕を置いていったなんて嘘だよね?」
「蓮……、俺たちはいつだって一緒だ。だからお願い、俺を想うならごはん食べて? ちゃんと寝て、元気な体でいて欲しい」
「無理だよ、無理。僕はもう、こんな世界に生きられない!」
僕の頬を両手で包み込む大きな手、この手が好き。顔が近づく、彼の全てが好き。彼なしで生きられない。そんなの初めからわかっていたじゃないか。彼は、僕を真摯な目で見つめる。
「蓮……愛してる」
「じゃあ、僕を置いていかないで……お願い。あなたの元に行くことを許してよ」
「うーん。そうだな、じゃあ俺が迎えに行くから、それまで待っててくれる?」
本当に迎えにきてくれるの? 夫は、今年やっと雪が降ることを知って、今日はこんなにはっきりと話してくれるのかな。
「もし、クリスマスに、もしも雪なら……」
「そうだ! 俺、今夜は生姜焼きが食べたい。蓮の生姜焼きはスタミナがつくし、とにかくうまいし! ねぇ、久々にもし、作ってよ」
僕の言葉を最後まで聞かずに、話を変えてきた。急に子供みたいな顔で、今夜のおかずの話をする。
――そんなこと言ったって、もう食べられないじゃないか!
それとも、この夢の世界にずっと僕をいさせてくれる?
「食べられるよ。お前いつも俺の分までごはん作ってくれるの、ありがたいって思ってる。お願い、今日は絶対生姜焼きな!」
そう思ってくれるなら、なんでいつも食べてくれないの。
「食べてるよ、マジで俺の嫁の飯は最高なんだって、こっちで自慢ばかりしてる!」
まるで本当に経験したかのように楽しそうに笑う夫。僕の心の声に普通に答えているし。
「わかったよ、今夜は生姜焼き沢山つくるね」
「ああ、期待してる! さぁ、俺の可愛い蓮。お前も一緒に食ってくれよな。それ以上痩せるのは禁止だからな」
「もう! わかったよ」
いつの間にか笑顔になる僕。こうやって彼はいつでも悲しみの僕を喜ばせる。それを見たら満足した顔で、いなくなるんだ。
いつもその繰り返し。
そして僕の瞳は開く。
彼のいない現実に戻る時間だった。目を開くと、大きなダブルベッドに横たわっていた自分を確認する。一人で寝るには大きすぎる。いつも目覚めると隣を見る癖は、彼が生きている頃から変わらない。
「今日はやけにリアルに僕の夢に出てきたね」
ぼそっと独り言をつぶやく。
「僕の願いを知って、それを止めに来たの?」
もちろんもう返答はない。それは……僕が現実の世界に戻って来たから。夢から覚める時間だった。いつも空しくて悲しくてしかたない。
夫がこの世を去って、いつからか僕の夢に出てくる彼と幸せな時間を過ごしていた。でもそれは僕が見る願望であって、現実世界に彼がいないことを毎朝思い知る。
今日も、この世界で僕は生きている。
彼のいない世界で。
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