2 もしも雪なら

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2 もしも雪なら

目覚めて少しすると、家のチャイムが鳴った。僕はまだパジャマのままだ。無視をしていると、鍵が開く音とともにガチャッとドアが開く音がする。 「おはよー! 蓮ちゃん、もう起きて~」 大きな声で僕を呼ぶ女性の声。 寝室からけだるい体を無理やり起こし、リビングへ向かう。 この家は生前、夫の大樹(だいき)が購入した2LDKのマンション。一室は夫夫(ふうふ)の寝室。そしてもう一室は、これから作ろうとしていた僕たちの子供部屋。まずはこのくらいの広さで、子供が増えたらまた広い家を購入すればいいと話していた。新婚時代を長く過ごしたいという二人の意見が合致したこともあり、子供は結局一人もいなかった。 僕には贅沢過ぎるこの家で、現在は一人暮らしをしている。 僕が二十二歳の時に三つ年上の大樹に出会い、その一年後(つがい)になり結婚した。 ――全てが幸せだった。 彼は消防士で忙しくしていたけれど、仕事以外の時間を全て僕に使ってくれる人だった。そんな彼は、結婚して二年後にこの世を去る。仕事柄、人の命を救うことに躊躇なく動く人だったけれど、それを誇らしく思っていた自分が馬鹿だと思った。 それは、人を守ることが死ぬことだと初めて知った日だった。 リビングに出ると、そこは自然光が溢れる世界。この窓からの景色と午前中に部屋に満ちる明かりが気に入ってここを購入した夫。でも、僕にはこの世界がもう暗くしか見えない。 僕の唯一の光は、この世界にいない。輝きを失ったこの世界に僕はいる。だから、無駄に明るいこの部屋がただただ寂しいだけ。 「蓮ちゃん? まだそんな格好して」 「どうしたの? 今日は」 「うーん。昨日は少し強めの睡眠薬を飲ませたから、朝ふらついてないか心配で。旦那からも今日は蓮ちゃんと一緒にいなさいって言われてるしね!」 「ああ、そうか」 僕はもう普通に眠れなくて、睡眠薬を処方されていた。 しかし自分で管理をすると、どうしてだか容量以上に飲みすぎてしまい、一度救急搬送をされたことがあった。それからは、隣に住んでいる友人の愛子(あいこ)が毎日夜に睡眠薬を渡しにくる。たまに情緒不安定になると強めの睡眠薬を飲まされ、翌朝はこうやって僕の様子を見にくるのを、今思い出した。 あの薬を飲むと、夢で彼に会える分、翌朝に頭が機能しなくなる。 彼女の夫の隆太(りゅうた)は大樹の同僚で、彼が亡くなったときから妻である愛子とともにずっと気にかけてくれる。大樹と隆太夫妻は同級生で、高校時代から仲良くしていた友達同士。生前大樹が、何かあった時のためにと大樹の親友である隆太に合い鍵を渡しているくらい、信頼している人たちだ。 「相変わらず、隆太さんは心配性だね。僕なら大丈夫なのに」 「そんなわけないでしょ、その涙の跡を見たら何も無いなんて言わせないんだから」 「あっ」 そっと自分の目の下をぬぐった。夢では大樹がぬぐってくれたはずなのに、やはりここは彼のいない現実世界だった。 「あれからもうすぐ三年よ。蓮ちゃん」 「うん……」 彼女の言いたいことはわかる。だけど、どうしたって辛くて、夫を想わない日はない。 「うなじもう綺麗なのに、蓮ちゃんのオメガの機能は戻らないね。まだ香り、わからない?」 「わかるよ、この部屋の香り。大樹の匂いで満ちている」 ぼくのうなじには、もう噛み跡がない。 それを改めて指摘されると辛くて、ふと部屋を見渡し僕の言った香りの発生元を見る。そこを見た愛子が複雑な表情をした。 「これは、アロマディフューザーでしょ。大樹君のフェロモンに似たグレープフルーツの香りで満たしても、これはアルファのフェロモンじゃないのよ」 「いいの、僕にはこれで。大樹以外の人の匂いなんて嗅ぎたくないし、一生(つがい)は彼だけだから、不便無いよ」 「でも、私たちオメガは(つがい)がいないと不都合ばかりよ。そろそろ次のことも考えないと、本当に死んじゃうよ?」 僕は今、(つがい)欠乏という診断が出ている。 症状は不眠、体の震え、体力低下、食欲低下、勃起障害などだった。治療はアルファのフェロモンを体に入れること。本来(つがい)欠乏症は、(つがい)がいる人に起こる病気だ。(つがい)がいるのに、(つがい)と体を交えられないとか、仲が悪くなってしまったのに、(つがい)解除できないとかいろいろで、(つがい)と死別した人に起こる病気ではない。 (つがい)と死別した場合、うなじの傷は徐々に薄れ、オメガは(つがい)以外の人にもフェロモンを出せるようになる。だから今の僕は、ただの(つがい)のいないオメガに戻っただけ。それなのにオメガの機能を失い、フェロモンを感知できない状態になっていた。 「(つがい)欠乏で死ねるなら本望だよ、だって僕の(つがい)は側にいないから欠乏してるし。それって凄く嬉しいことじゃない? 愛する人に操をたてるオメガってことでしょ」 「蓮ちゃん……」 僕が生きる気力がないようなセリフを言うと、あたりまえだけど彼女は悲しむ。 でも、どうしようもない。 僕はもう生きていたくないから。彼が亡くなって三年頑張ったけど、もういいよね? 最近ずっとそう思っている。だから彼も今日の夢ではあんな風に言ってきたのかもしれない。愛している僕には生きて欲しいなんて、なんて傲慢アルファだろう。自分はさっさと死んじゃったのに! そこでふと夢での彼との会話を思い出した。 「あっ、僕今夜生姜焼き作るんだ! 買い物行かなくちゃ」 「え! ついに食欲でてきたの?」 急な話題変更にも、普通に反応する愛子に少しおもしろくなった。 「あ、うん。なんか急に生姜焼き作りたくなったんだ」 「よし、そういうことなら、一緒に買い物行こう! 車出すね!」 「ありがとう。本当に……いつもありがとう」 僕の感謝の言葉に、愛子が泣きそうな笑い方をした。 そんな複雑な顔をさせたいわけじゃないけど、彼女には感謝している。こうやって夫が亡くなったあともずっと僕を気にかけてくれている。隣人夫婦は、もう子供だって出来ていい頃なのに、作らないのは僕を心配してなのかもしれない。 彼女たちは、僕たちが次の発情期で子供を作ると宣言していたのを知っている。その発情期に、夫はもうこの世にいなかった。そんな僕の前で妊娠することはできないと思ったのかもしれない。だからこそ、僕はもう二人の前にもいられない。僕はもう、大樹の側に行くしかないんだ。 愛子が車のキーをカバンから出しながら、スマホを見て何かに反応したようにテレビをつけた。そして興奮ぎみな声を発する。 「わっ、テレビでも流れてる。ねぇ、天気予報見て! 今年は三年ぶりのホワイトクリスマスになるって」 ちょうどテレビからは、浮かれたアナウンサーが雪のクリスマスを予報した天気予報士と笑っていた。「今年のクリスマスは寒いけど、熱くなりそうですね」と矛盾したことを言っている。 僕はすでにクリスマスに雪が降ることを確認済みだった。毎年必ず雪が降るかをチェックする癖がついていたから…… 「らしいね、ホワイトクリスマス楽しみだな。クリスマスに雪が降ったら願いが叶うんだ。いつもそうだったから……」 「なにそれ、蓮ちゃん意外とメルヘン脳なの?」 愛子は笑いながら、からかうように言う。 「ふふ、そうかも。僕と大樹の出会いはホワイトクリスマスだったし、(つがい)になった日もそう。雪の降る聖夜は、二人にとっても大切の日なんだ」 「ああ! 知ってるよ。隆太が言ってた。大樹はいつもクリスマス必ず休むって。ここだけは譲れないって言って、みんなからブーイングだったとかって、笑ってた。でも大樹君って普段の頑張りが凄いから、そこは毎年願いが叶ってお休み確保してたって」 愛子が笑いながら、まるで懐かしい話のように話す。 僕の中では思い出話ではなく、現在進行形。ずっと彼が好き、この想いが色あせることがない。彼のことを想い出になんて、できない。そして、毎年想うことがある。もしも雪なら、僕は彼の元に行こうと。二年、雪は降らなかったけれど、ついに今年は願いが叶う。それだけを楽しみに今を生きている。 もしも雪なら、彼のことを諦めないって。
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