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「この家の一番の宝物は、すごいものなんだよ」
語りかける忠蔵に、京香と竜延が目を向ける。
何処からか、セミの声が聞こえていた。床に幾つもの棚が据え置かれ、そこに様々な物珍しい品々が納められている。
視線を上げると、所々に染みのついた白塗りの壁。天井に据え付けられた蛍光灯が、淡い光を放っている。
そう。それに、あの香り。この時もまた、あの妖しい匂いが周囲の空気の中に漂っていた。
十年以上も前の思い出。京香にとって、忘れられない夏の記憶。
そこは祖父の屋敷の奥座敷。不思議な香りが漂い、多彩な品が納められた、幾つもの棚が設置された部屋。
その場にいたのは、京香と祖父の忠蔵。それに京香の五歳年上の兄、竜延。
竜延は無表情に、携帯型のゲーム機を操作していて、京香は祖父の書斎にある本棚から、勝手に抜き取った一冊の本、美しいサンゴ礁の島々の写真集を眺めている最中だった。
「この町で――いや、三陸地方で一番の宝物かもしれない」
「その宝物って何?」
疑わしげな目つきで尋ねる竜延に、忠蔵が悪戯っぽく笑いかけた。
「何だと思う? 当ててごらん」
京香は立ち上がり、祖父の背中に抱きついた。
「ねえ、それって高いの。何万円もするの?」
「何百万円するか分からないよ。それだけの価値がある物なんだ」
「すごぉい」
「それ、どこにあるの?」
竜延が、尚も問いただす。
「この家の中の何処かにあるんだよ」
祖父の背に貼り付いたまま、京香は周囲の棚を見渡してみる。
海産物、漁具、自然石、大工道具、農具。この古い屋敷の奥の間は、大小様々な珍しい品々が、整理される事なく置かれていて――つまりは、物置として使われている。
それらの品々の大半は、あるいはガラクタだったのかもしれない。でも、当時の京香の目には、普段は目にする機会のないそれらの風変わりな品々は、どれも意味ありげで魅惑的なものに映っていた。
「その宝物が何なのか、お祖母ちゃんも、お父さんも、誰も知らないんだ。知っているのは、お祖父ちゃんだけなんだよ」
そう言って、忠蔵は自分の胸に手を当ててみせる。
「だからさ、竜延、京香、その宝物を探してみないか」
「うん。探す」
京香は即座に答えた。
「一番の宝物ねぇ」
竜延が、馬鹿にしたような口調で話す。まあ、でも、それも当然だったのかもしれない。
父の実家――端坂家は、この地方の旧家。明治から戦前まで、随分と羽振りの良かった時期もあったらしい。
だが現在では、とりたてて裕福という程でもない、ごく普通の家庭なのだ。忠蔵が言うような、高価な宝物が本当にあるのかどうか。
それでも、京香は声を張り上げた。
「お兄。一緒に探そうよ。面白そうだよ」
竜延は、この集落や屋敷を気に入っておらず、連れて来られた時は自分の不満を隠そうともしなかった。その様子を見かねて、祖父は二人の孫が楽しめる『宝探し』を持ち掛けた――おそらくは、そういう事だったのだろう。
ところが肝心の竜延は提案に乗らず、むしろ京香の方がこの『宝探し』に夢中になった。
年に三度、夏休みと冬休みと春休み――屋敷を訪れた際、一番価値があると思われる品を選び出し、それを祖父に見てもらう。申し合わせた訳でもないのに、初めから、そんなルールが出来ていた。
その年、『宝探し』を持ち掛けられた最初の夏、京香は一つの大きな貝殻を選びだした。
三〇㎝はある綺麗な巻貝だ。これこそが、一番の宝物ではないかと聞いたのだが、忠蔵は、笑いながら首を横に振った。
冬休みに来た時は、木箱に収められた薄桃色の半透明の石を祖父に示した。
光り輝くそれが、とても貴重な品に見えたからだ。祖父は、それが『バラ輝石』という鉱物なのだと教えてくれた。三陸海岸の一部で採掘される、珍しい逸品。けれど、これもまた忠蔵の言う一番の宝ではないという。
春休みには、二階に置かれている父の蔵書の一冊を選んだ。
美しい帆船の図が多数載せられている英語の本。その内容は全く読めなかったが、昔の船舶や航海に関する専門書のようだった。でも、これも不正解。忠蔵は京香の頭を撫でながら「これも違う」と、嬉しそうに告げた。
二年目の夏、京香は知恵を絞り『このお屋敷、そのものが宝物』ではないかと祖父に言ってみた。ちょっとした発想の転換。でも、これも違った。
確かにこの屋敷は、価値のある建物だけども――そう言いながら、祖父はこの考えをやはり否定した。
次の冬、京香はクジラの歯を祖父に示した。
それは海外の古い民芸品だったのだろう。差し渡しニ〇㎝はある長い歯に、帆船を模った彫刻が彫られている品だ。忠蔵は「目の付け所は良い」と褒めてはくれた。だが、これもやはり不正解。
二年間で五度の失敗が繰り返された後、三年目を迎える事無く『宝探し』は終わりとなった。
二〇一一年の三月、あの震災が起こったからだ。
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