とくんとした胸

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自転車を避けるために抱き寄せられ、僕の顔の前にある柊宇の胸にとくんとした。 「あ、ありがとう…… 」 助けてもらってお礼を言いながら、柊宇の胸から離れる。 ── 真伏は明らかそうだろう いやだなぁ、そんな言葉がまた頭をよぎって動揺してしまう。 「大丈夫か? 全くな、自転車が偉そうに歩道を走っちゃいけないの知らないのかね? 」 「…… 偉そうにって…… 偉そうじゃなきゃいいの? 」 普通にしなきゃ、普通に…… って思えば思うほど、ぎこちなくなってしまった。 「面白いこと言うね、唯生。でさ、夏休み、どこ行く? 」 夏休みのことで頭がいっぱいのような柊宇は、僕のぎこちなさに気づかなかったようで助かる。 「だから、僕はお金がないから…… 日帰りでどこか行こうよ」 「だからぁっ、それじゃあ今までと変わらないじゃん、って言ってるじゃん」 ぶーっと柊宇の頬が膨らんだ。 お金、おばあちゃんたちから貰った、使ってないお年玉がまだあったな…… って、そんなことを思ってしまって、なんだよ、僕、柊宇と旅行がしたいんじゃん、少し頬が赤くなってしまった。 「えっと…… うんと安い民宿とか、ペンションとかあったら…… 海、とか…… どうかな? 」 ギュインッと、柊宇が僕にものすごい勢いで顔を向けた。 「本当かっ!ああっ!探すよっ!やっすいとこ!海? 海かー!いいなー!まじで楽しみだよっ!唯生とクラス違っても俺、耐えられる!」 今度は鼻の穴を膨らませて、柊宇がそれは嬉しそうに言って僕の肩を揺らした。 揺らされながら、僕もまんざらでもなく楽しみに感じている胸に、ほんの少し戸惑った。 佐々木くんにあんなことを言われなかったら、どうだっただろう、普通に「お金ないよ」ってあっさり断っていたような気がする。 その方が良かったかもしれないのに、変に意識してしまっているような自分を軌道修正したい。 僕たちは、ただの幼なじみなんだから。 「海に行くならお盆前じゃなきゃ駄目だな」 って、柊宇が八月の頭に宿が取れたからと僕に弾んだ声で話す。 「どこ? 宿は? 民宿? ペンション? 」 「場所は千葉の南房総、宿は着いてからのお楽しみ」 とか言って、宿を教えてくれない。 「ネットで予約済みだから、一泊二食付きの宿代五千円頂戴」 いくら安いところと言ったとはいえ、夏休みに海の宿で五千円はありえないと思った。 「そんなに安いところ見つけたの? 」 「俺を誰だと思ってんの? 」 めちゃくちゃに浮かれていて、嬉しそうに威張る柊宇。絶対に五千円は嘘だと思った。 電車代とか食事代とか出せばいいかな、って思って、それでも柊宇と二人して話す旅行のあれこれは楽しかった。 学期末試験も勿論トップの柊宇。 僕はといえば学年280人中140位と、平均を絵に描いたような順位。せめて100位以内には入りたいな、頑張らないと、なんて僕にしては珍しくやる気が出てたりする。 二度の定期試験がダントツのトップ成績の柊宇と一緒にいることが、少し恥ずかしくなってきたんだ。 運動だって誰よりも秀でていて、色々な運動部から誘いを受けていた。 「ねぇ、真伏くん、バスケ部においでよ」 二年生の先輩からの声かけにも、 「唯生、バスケやる? 」 「え? 僕は無理だよ…… 」 運動はさっぱり苦手な僕だもん、入るとしたって文化部だよ、僕は。 「すみません、お断りします」 「えー、見に来るだけでいいからさ、一度おいでよ」 「いえ、すみません」 「………… 」 二年生の先輩が僕の顔を見る、またも気まずいし、いたたまれない。 こんなことが頻繁だった入学当初。 一学期も終わりに近づく頃にはそれも落ち着いてきてくれて、僕だって落ち着いた。 「もう少しで夏休みだなぁ〜」 「そうだね」 「旅行の日、カレンダーにマル付けててさ、毎日終わるとバツ付けて、あと何日だ〜って指折り数えてんだぜ」 「そんなに? 」 そんなに楽しみにしているだと思って、少しおかしくなった。 「唯生は楽しみじゃないの? 」 「…… 楽しみだよ」 うん、楽しみ…… 少し胸がとくん、とする。 でも、柊宇みたいにあからさまに表現できないのは、きっと周りの声を気にしてしまっているからだと思った。 ── 真伏は明らかそうだろう だめだめ、気にしちゃ…… 。
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