6人が本棚に入れています
本棚に追加
復帰戦
意識をトバした真琴が、背を向けて眠っていた。
後ろから、妊娠後期になったお腹をナデナデして、肩にキスするのが常だったからだ。
あー可愛い奥さんもらっちゃたなあ。
あ、でも、このベッドに寝てる、別の女の背中が。
あああ。迂闊に漏らすと、あいつ死ぬな。まあいいかあんな奴。
その時俺は、俺を訪ねてきた馬鹿と、向かい合って座ったことを思い出していた。それから、そのあと出会った馬鹿のことも。
ここ1ヶ月、トキが来たあとだ。ひたすら家の中を歩いていた。勘解由小路はそう言った。
「前に会った時は、車椅子で立つことすら出来んかったが、今はほれ、杖があれば普通に歩けるんだ」
不敵な顔で、勘解由小路はふんぞり返っていた。
麻痺した左腕が、不器用そうに垂れ下がり、左手の指は、常に軽く握られている。
右手は、普通にシャワルマなどを掴んで食っている。
「お前はあれだ、シャケ弁食うか?それか白弁黒弁和田弁」
「食う訳あるまいに!だが、そうか、もうここまで馬鹿が言えるのか」
馬鹿なのにお前は。島原は、少しホロッときていた。
「気味の悪い奴だな」
勘解由小路は、若干引いていた。
「そういえば、入院中に話したろう。この状態では、ほぼ警察業務が出来んが、それでも、辞めるつもりはないのか?」
「怪奇課こそが俺の城だと言っただろうが。俺が怪奇で、怪奇が俺だ」
何のこっちゃだ。とは思った。
「二階堂の穴埋めは、どうする?」
「あんな奴は本気で要らん。どっかにいるだろう。馬鹿野郎がきっと」
そんな馬鹿が見付かればいいが。
「そうか。復帰戦だな。復帰戦かそうか。ところで島原、連続犯罪者焼死事件て知ってるか?」
いつもとは、違っていた。いつもは、島原の方が事件の相談をしていたのに。
「所轄の方では、何かあったようだが。犯人逮捕には及ばない状況だ」
「ない。ほぼないんだそんな事件は。というのが警察サイドの意見だ。焼死体を発見したら、何故か池袋の殺人事件の犯人だったとか、東金の暴行致死事件の犯人だったとか、そういうのだろう?何1つないぞ動きは。警察は、自らの無能を喧伝して回っている。それを解決してやろう。手当たり次第に犯罪者を保護してやろう。何か出せ情報を」
「そう言われて軽々しく出せるか。最近だと、白銀台の不審な飛び降り自殺だ」
「それでいいぞ?まだ帳場も立ってはいまい。財務官僚がどうすれば、いきなり飛び降りるんだ?要するに殺されたんだ。生き別れた妹を、少女買春の商品にされてな。殺ったのは、組織的な売春組織の元締めだ。住所は――へえ、代官山だとさ。パパ活業者に毛が生えたチンピラの分際で」
ちょっと待て。島原は呆気にとられていた。
幾ら何でも早すぎるだろう。
前も、見てきたように他人の過去を語るような奴だったが、ここまで見境なく情報を得るような奴では。
立ち上がり、いきなり転んだので飛び上がりそうになった。
「おおすまんすまん。いきなりなることがあるんだ。高次脳機能障害らしくてな?」
やはり、お前は、そうなのだな?
何があっても、こいつは守ってやらねば。島原は、決意していた。
で、これは、何だ?島原は、掠れた声を出した。
「あん?覆面をポンコツ扱いするトキが、大衆車用意したんで乗れって、くれた。多分モンゴル製だと思うぞ?」
それはテムジンだ馬鹿め。
キャデラックワン・ビーストだろうに。
前にアメリカの大統領が来た時、警備の応援で呼ばれて、散々見た覚えがあった。
「運転手はこいつだ。轟さんだ。前にブライトンビーチで、ポーンと飛んでったお前を、飛ばしたのがこいつな?」
そんな紹介があるか。こちらもやりづらいだろうに。まあ思いっきり殴りかかったのは事実なんだが。
しかも、特に面が。能の小面が。
礼服を着た能の小面って、どこまでホラーなんだ?
座席は、思った以上にラグジュアリーで、ファンシーでもあった。
「思った以上に乗り心地がいいな。この車は」
「おう。シャンパン飲み放題だ。それでおっさんを轢いて湖に捨てると、あとで酷い目に遭う。そういう車だ。だからまあ、中古の事故車だこれは」
ラストサマーか。
「一応、被疑者は川藤隆だ。所轄が追っているはずだ」
「じゃあ行こう轟さん。代官山だってさ。島原、うむ、行こう。おい、行こうはどうした?そういうことにならんだろうが」
言うと思ったのか。
よく解らないが、すぐに車は代官山に到着していた。
最初のコメントを投稿しよう!