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穢れなき真珠
鮮見の死から数日後、学校は再開された。だが、そこに真珠の姿は無かった。
生徒会室で真久部と高木はポッカリ空いた席をただ眺めている。
「あの魔女、このまま辞めちまうわけじゃないよな…?」
「一時的に収まってくれれば良いけど…」
高木はパソコンを起動し、画面が切り替わっているのを待っている。真久部は大きい欠伸を一つした。
「來の字もサボりやがって。全く、俺ら二人を路頭に迷わせる気か」
「箕田君も鏡さんと一心同体の関係だったと思うから。多分もがいているんじゃないかって思う」
「ケッ、あのラブラブカップル擬きがよぉ。何をするにも一緒じゃねぇかよ」
真久部は呆れ気味に机を強く叩く。高木もそんな真久部の姿をやり切れないような悲しい目で見つめていた。
箕田はボクシングジムにてサンドバッグをひたすらに打ち続けていた。しかしその表情はどこか冴えず、溜息ばかりをついている。やがて大の字になり倒れこんだ。
「クソッタレ…!」
恨み節を呟いた箕田の目には涙が零れていた。そして真珠の言葉を思い出している。
『皆が私を守ってくれるって信じてるから』
その頃、真珠の住む家にはある親子がやって来ていた。名前は楠一石と言い、鮮見の夫である。横にいるのは娘の蘭菜であり、少し大人びた印象を受ける。二人とも鋭い目つきで伝次を見ている。蘭菜はDNA鑑定書を伝次に差し出す。
「どういう事なのか、説明頂けますか」
「それは…」
伝次は何も言えず黙っている。一石は激しく追及した。
「友里子の死は残念に思っている、それは本心だ。しかし、これとそれは別だ。鏡真珠はお前の子供ではない。何が言いたいのかわかっているな?」
「真珠を渡せって事ですか」
その言葉に一石はフッと笑う。何か企みを見せる感じだ。
「ほぉ、察しが良いな。流石は元検事。ならば話が早い。娘を渡してもらおうか」
馬鹿にする一石の姿勢に伝次は静かに怒りだす。
「ふざけるな…!18年間育てた娘を簡単にお前達に渡す訳がないだろう!」
「威勢だけは褒めてあげよう。だがお前と真珠は血の繋がりの無い赤の他人。所詮はそういう事だ。そこに居るんだろう?」
「真珠はあの事件のショックを受けて休学中だ。無理矢理外に出すなんてそんなことはさせない」
一石は伝次の視線が泳いだことに気が付いたが、あえて知らない振りをした。蘭菜は一石の所にやって来て「時間だよ」と告げる。
「あまりここのアパートで騒ぎすぎたら迷惑になりますから。まぁ考えておいてくださいよ。数日猶予を上げますのでね」
一石は嫌らしい口調を帯びてその場を去っていく。蘭菜は伝次を睨みつけている。やがてドアが閉まると同時に大きな息を吐く。伝次は蘭菜から渡された鑑定書をずっと眺めていた。
円田は購買部で頬杖ついていちごミルクを眺めながら溜息ばかりついていた。
まるで楽しかった思い出を想い出すかのように――
「真珠ちゃん…」
その表情はいつも明るい感じではなく、陰鬱している。そこに勝端がやって来た。
「勝端さん…」
「怪我は治ったようね。でも心の傷はどうかしら?」
勝端の問いに円田は首を横に振る。勝端は円田の横に座ろうとするが、円田は避けるようにその場を離れようとする。
「何しに来たんですか…?私を嗤いに来たんですか…!」
「心配してやって来てるのに失礼な女ね。本当に素直じゃないんだから。いつものチャランポランな貴方はどこ行ったのよ」
勝端はシガレットを一本取り出して箱を円田に差し出す。円田も一本取り出して口につける。やがて話を切り出した。
「だったらどうしてチャランポランな私を助けたんですか」
円田は疑問を投げかける。すぐに勝端は答えた。
「確かに私はアンタの事は大嫌い。でも助けたのは、根っこの部分は腐っていないと思ったからよ。その証拠に自らの危険を顧みず真珠ちゃん達の危機を救った。やり方がどうであっても真珠ちゃんを思う気持ちは一緒だから」
「…」
円田は何も言うことなく黙っている。勝端は円田にいちごミルクを渡すように目配せをする。円田はいちごミルクを差し出した。
「賞味期限迫ってたから、内緒よ」
「ありがとう」
勝端は一気に飲み干す。円田は尚も溜息をつき続けている。見かねた勝端が檄を飛ばす。
「いつまでも落ち込んでいないで、私の大嫌いなアンタでいなさい。そうじゃないと私が困るから」
「え…?」
「今のアンタはインクの入ってないボールペンみたいな感じ。その姿を真珠ちゃんが見たら悲しむと思うわ」
勝端はそう言い残し、購買部を後にする。
出水は木春菊でつまんなそうに瓶コーラを片手にスマートフォンを弄っていた。天井を見上げて大きく息を吐く。そこに来客を告げるベルが鳴った。出水は慌てて座り直し応対する。やって来たのは伝次だった。
「伝次さん…?」
「出水君、久しぶりだな」
出水はシガレットを伝次に差し出す。
「あれからどうですか。真珠ちゃんの様子は」
「引きこもったまんまだよ。目の前で母親を殺されたとなればショックの方は大きいからな」
出水は何も言わずただ聞いている。伝次はさらに続けた。
「そこにかこつけて、今度は真珠の実の父親がやってきたんだ。名前は楠一石だった。鮮見さんの旦那さんらしい」
「マジっすか…」
出水はどこかで聞いたことのあるリアクションを取る。何やら知っている素振りだ。
「出水君は何か知っているのか」
「はい。警察内では結構有名な人間ですよ。あの人は犯人を捕まえるためにはどんな手を使いますし、違法捜査も厭わない人です。鮮見さんとは正反対の警察官。一体どういう事なんだ…」
「当人同士にしか分かり合えない感情があるのかもな。それよりも特に最近は娘の方が毎日のようにやって来て精神的に参ったよ。確か名前は蘭菜だと言っていたな」
「聞いたことがありますよ。律子からそこそこ優秀な医者だって。何か秘密を探っているかもしれないです」
出水は伝次の顔色が少し良くない事に気づき声をかける。
「伝次さん、顔色大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫だ。心配は無用だ」
翌日、真久部と高木は生徒会室にいた。2人は特に何をするわけでもなくボーっとしている。そこにドアが開いて箕田がやって来た。どこか疲れた顔をしており覇気がない。真久部が話しかける。
「來の字、まだ続けるのか。魔女はやってこないだろ」
「…」
箕田は何も言わず黙っている。真久部はさらに続ける。
「これ以上はもうやめておけ。粘っても魔女は来ないぞ。いい加減諦めろよ」
「俺は諦めるつもりはない。何としてでも引き摺り出す」
両者の間に緊張が走る。真久部はさらに追撃する。
「これ以上、あの魔女に関わったらお前は不幸になるぞ。もう赤の他人だからな」
「何だと…!」
箕田の頭の中で何かが弾けた気がした。突如として真久部の胸倉を掴む。真久部はそれでも下卑た笑みを浮かべている。それが箕田の癇に障った。
「何を笑ってんだ、テメェ…!」
「あの魔女が絡むと一気に冷静さを失うな。來の字、セックスでもしたのか?」
「この野郎!」
箕田は真久部の顔面にパンチを浴びせる。その反動で真久部の体は派手に吹っ飛んだ。尚も笑っている真久部を見て箕田の怒りは収まらないようだ。
「図星かよ。魔女に惚れ込んでいるのは嘘じゃなかったんだな」
「それ以上冷やかしやがったら、殺すぞ!」
二人の諍いはヒートアップしており、止まる事がない。高木が真久部の体を取り押さえて止めた。それでも真久部は暴れている。
「空気読めよ。相棒」
「止めてって!こんな事をしている場合じゃないでしょ!」
「おい!」
高木の掴む力はいつも以上だ。ほとぼりが冷めたか、真久部は舌打ちし椅子に座り直す。
「もうお前等の力なんて借りない。俺自身で真珠を説得する」
「勝手にしろよ、このナルシスト。どうなっても俺は知らないからな!」
箕田はドアを蹴り上げて生徒会室を去って行く。部屋には重たい空気が充満している。
その後、箕田がやって来た先は保健室だった。勝端は呆れながら箕田の治療を行っている。
「本当に馬鹿ね。真珠ちゃんがいないと」
「すいません…」
箕田は痛みに耐えながら治療を受けている。勝端は話しかけた。
「全くどうして真珠ちゃんにお熱なのかしらね?言わないからその秘密を言ってごらん」
「俺と真珠は一心同体。それ以上です。俺は過去に真珠に救われた。そのおかげで今の俺がある。そういう事です」
勝端は手を動かしながら話を聞いている。
「確かに抱いている感情はそれ以上って事ね。アンタが放っておけない理由も分かる気がするわ」
「…」
箕田は黙り込んだ。勝端はさらに続ける。
「やり方を全否定するつもりはない。でもやり方を一つ間違えれば一気に傷つく。現に私は真珠ちゃんを傷つけてしまった。大事なことを隠し通そうとしたせいでね。私はすごく後悔している」
勝端は真珠が泣き腫らしながら詰め寄ってきた出来事を思い出している。
「大事なのは貴方が何をしてあげられるか、それだけよ。真珠ちゃんを本気で闇の中なら救い出したいなら、覚悟を決めなさい」
勝端はメスを箕田に突き付けながら厳しい口調で言い放った。
その頃、生徒会室に来た円田が見たのは驚きの光景だった。無残にも椅子がひっくり返っている様子を見て呆れているようだ。
「派手にやってくれたわね。本当にズッコケ三人組は真珠ちゃんがいないとどうしようもないわ」
「僕は関係ないじゃないですか…」
高木が反論するが、円田は負けずと言い返した。
「相棒がこんなにして、止められない恭ちゃんにも責任があるわよ」
「うっ…」
高木は言い返すことができず、二の句が継げない。真久部が代弁する。
「別にただの喧嘩ですよ」
「そうには見えないわよ。私の目はごまかせないわ。どうせ真珠ちゃんを巡って何かやったんでしょ」
その指摘に2人は黙り込んだ。
「ほら見なさい。やっぱりそうなんだから」
円田は溜息をつく。
「不器用な真珠ちゃん、周りが見えない來ちゃん、力でしか解決できない狩ちゃん、臆病でヘタレな恭ちゃん、アンタ達よくそれで学校の風紀を守るとか言えたわね」
「僕たちを馬鹿にするんですか…!」
「よせ」
高木が円田に詰め寄ろうとするが、真久部が止めた。
「正論を言ったまでだから。何が『E4』よ。今のアンタ達は無個性の残骸の集まり。これじゃ何かあった時、救えないわよ」
円田は嫌らしい笑みを見せて生徒会室を後にする。高木は悔しがっているが、真久部は至って冷静だ。
「何で言い返さなかったんだよ」
「言い返した所で反論される。そんな事はわかるだろ。俺だって馬鹿じゃねぇ」
真久部は落ちていた写真を取り、それを目にしている。
翌日の放課後、箕田は真珠の自宅の目の前にいた。一歩進んだ先で声がして呼び止められる。振り向くとそこに真久部と高木がいた。
「何でいるんだよ…」
「お前が暴走しないか、心配して見に来てやったんだろうが」
「ちょっと、その言い方――」
真久部は高木の腹に肘討ちをして話を遮った。高木は痛みに蹲る。
「俺に構う暇があったら、自分の事だけ心配してろよ」
「一端な口を言いやがって。その言葉そっくり返してやる」
「言ってろ」
箕田と真久部は互いに軽口を叩きあう。その様子を見て高木はホッとしている。
「とにかくもう喧嘩は無しだからね」
「分かったよ、相棒」
「ああ」
高木の念押しに二人は一先ず矛を収める。箕田は意を決してベルを鳴らす。一回で伝次が出てきたが、その表情はどこか冴えない。
「君達…」
「勝手に押しかけてすみません。あの、真珠は…?」
「実はそれが…」
伝次は何か言いにくそうなリアクションをしている。その様子を見て真久部が声をかける。
「まさか、ここにいないんですか…?」
「真久部君――」
ストレートに切り込んだ真久部を高木が注意する。だが、伝次は嫌な顔せず、穏やかな口調で答えた。
「そうなんだよ。朝起きたらこの置手紙を残して出て行ってしまったんだ。申し訳ない。俺がしっかり見ていれば…」
伝次の顔に悔恨が滲む。少し苦しそうな表情を見せ、足元がふらつく。箕田が声をかける。
「大丈夫ですか…?顔色がよくないですよ…?」
「いや、平気だ。ただの胃痛だから心配しなくて大丈夫さ」
伝次は気丈に振舞うが、3人の心配は尽きない。高木が声をかける。
「鏡さんが行きそうな場所って、どこか心当たりありませんか?」
「思い浮かばないんだ。力になれずにごめん。そして君たちに頼みたい事がある」
伝次はかしこまってお願いをする。そして頭を下げた。
「どうか真珠の事を見捨てないでくれ。これは絶対に頼む」
「見捨てる訳が無いじゃないですか。俺達は仲間ですから」
伝次の顔が明るくなったのを見て。3人は家を後にする。伝次は汗を拭い、大きく息を吐く。
家を後にした3人の目の前に立ちはだかったのは一石と蘭菜だった。険悪な雰囲気が流れる中、一石が口火を切る。
「鏡真珠はどこにいる」
「誰が教えるか。そもそもアンタ等は誰なんだ」
お互いに一歩も引かない。そこに蘭菜が入ってくる。
「私は楠蘭菜。横にいるのは父の一石です。その制服は吉菜高校ですか?」
「何で知ってるの…?」
高木が動揺する中、一石が冷静に答える。
「鮮見友里子は私の妻だ。18年前のあの出来事から別居していたが、まさかこんな形で会うとはな」
「一体何が目的なんですか」
真久部は警戒している。一石はまるで病気を宣告するかのように言い放った。
「私の娘である真珠を連れ戻しに来た。さぁ居場所を吐け」
「いきなりベラベラと話す訳がねぇだろ!そもそも家出中で何処にいるか俺だって知らねぇよ」
蘭菜が話に割って入る。
「嘘じゃないんですね?」
「ああ。仲間を売るほど俺たちは愚かじゃねぇ」
箕田はその手紙を蘭菜に渡す。蘭菜は手紙を見た後、ポケットにしまう。
「どうやら本当のようですね」
「これで分かっただろ。二度と真珠に関わるな」
箕田は2人に堂々と言い放つ。すると一石が前に出て来る。
「子供が大人の世界に首を突っ込まない方が身の為だぞ、坊ちゃん。君に真珠は救えない」
「最初から決めつけてんじゃねぇよ。俺たちが真珠の心を取り戻して見せる」
「言ったな。出来なければ私が真珠を引き取る。異論はないな」
「当たり前だろ。俺に二言はない」
一石と蘭菜は振り向いて去って行く。箕田は何か怖い顔で笑みを浮かべていた。その姿に真久部と高木は恐怖を感じている。
その日の夜、真珠は見つかった。出水からの電話に伝次が出る。
『本当か?』
「ええ。円田さんが見つけてくれたそうです。何やら憔悴しきったような顔をしてるんで、今日は店内で一泊させます。明日戻るようには伝えてますんで」
『そうか、悪いな』
「じゃあ、切りますね」
出水は電話を切る。スマホを操作して何か考えていた。そこに勝端がやって来る。
「圭ちゃん、真珠ちゃんは…」
「心配ないさ、俺の部屋でよく眠っている。明日には帰るように伝えたさ」
「良かった…」
勝端は安堵している。すると出水はスマホを差しだした。そこには蘭菜が自宅にて伝次と何やら話している様子が映し出されていた。
「どういう事…」
「後輩の教育くらいしっかりしておけよ。見た感じ、良い話じゃなさそうだがな」
勝端は絶句している。
「わかったわ。真珠ちゃんの負担にならないよう監視しておくから」
翌日、真珠は自宅の前に佇んでいた。意を決して鍵を差してドアを開ける。しかし静かであり真珠は不安に駆られる。一歩ずつ先を進めていくとそこには何と伝次が床に倒れていた…!
「お父さん!しっかりして!」
真珠は駆け寄るも伝次は意識を失ったまま目を覚まさない。スマホを取り出して連絡しようとした瞬間、ドアが開いて蘭菜がやって来た。真珠の血の気が引いている。蘭菜は舌打ち一つして伝次に駆け寄る。
「だからあれほど病院受診するように言ったのに…!」
「え…?」
真珠は何のことだかわからずポカンとしている。今にも泣きそうな真珠に説明する。
「私は医者なの。脅かしてごめんね。貴方の家にずっと来ていたのも伝次さんに病院に行ってもらうためだった」
真珠は肩で呼吸をして何も話が入ってこないようだ。蘭菜はスマホを取り出して連絡を取る。真珠は蘭菜の目を見てお願いする。
「お父さんを助けて下さい…」
「大丈夫よ…」
しばらくして勝端から連絡が来た。何やら電話越しでも言い方はきつそうだ。
『楠さん、一体何やってるんですか?鏡さんと接触してませんか?』
「それが今、伝次さんが倒れているから救急車を1台出して貰えませんか?」
『何ですって…!』
勝端の声は急にヒステリックになる。蘭菜はスマホを耳から離す。
「至急お願いします。とにかく早くです」
『わかったわ。お説教は後よ』
電話が切れた後、蘭菜は簡易的に診察を始める。伝次はみぞおちや脇腹周辺を押さえている。蘭菜は額を触った後に顔を顰めた。
「まずいわ…かなり進行している…」
そう呟いたとき、ドアが開いて出水がやって来た。よく見るといつものラフな格好ではなく、きちんとした格好だ。
「律子の野郎、人をこき使いやがって」
「出水さん…」
「楠さん、病状はどんな感じですか?」
「急性虫垂炎です。かなり症状が進行しているかと思います」
出水は伝次の背後に回って両腕を取り搬送していく。そんな中真珠が尋ねる。
「出水さん、どうしてここに…?」
「病院の運転手も兼用で働いているんだ。駄菓子屋だけじゃ生活はままならないからな。ハイエースで搬送するぞ」
出水は背負う形で搬送していく。蘭菜と真珠もそれに続いた。
そして伝次が搬送されたことは勝端を介して箕田の所に伝わる事になった。箕田は骨伝導ホンで走りながら聞いている。
「伝次さんが…?」
『今、出水が搬送して病院に向かっている。真珠ちゃんも一緒にいるわ。そしてあのお姉ちゃんも一緒にね』
「どういう事ですか…?」
足を止めた箕田は勝端に尋ねる。
『あの子、私の所で働いているのよ。でも安心して。手術後はしっかりお説教しておくから』
「そうですか…」
『私は準備があるから切るわよ。早く来ないと後悔に後悔を重ねる事になるわ』
電話を切った箕田はチャットアプリを出し、真久部と高木にメッセージを送る。そして覚悟を決めてまた走り出した。
揺れる車内では悲しんでいる真珠を尻目に蘭菜が一人物思いにふけっていた。伝次の苦しそうな顔を見ながらあの日の出来事を思い出している。
数日前――
真珠の家では伝次と蘭菜が激しく言い争いを続けていた。伝次の顔は少し青ざめている。
「いい加減にしてくれないか。これ以上せがんでも真珠は渡さないと言っただろう」
「私が言いたいのは貴方の娘さんの事ではなく、貴方自身のことです。具合の方は良くないんですよね」
「君に心配される筋合いはない。帰ってくれ。もうここには来ないでくれ」
そう啖呵を切った伝次だが、咳が止まらないようだ。
「貴方に病院行って貰うまで何度だって来ますよ。自分自身の事をもっと大事にしてくれませんか」
「そうやって真珠を引き剝がそうとしてるんだろう!」
声を荒げた伝次を見て糠に釘だと判断したか、蘭菜は溜息をつき舌打ちをする。
「どうなっても知りませんから。もう勝手にして下さい」
蘭菜は捨て台詞を吐いて去って行く。ドアを閉める音が室内には響いていた。
現在――
出水はスマホホルダーを使い、運転しながら勝端との連絡を取っていた。
『圭ちゃん、こっちの用意は出来てるわ』
「了解。今から飛ばせば何とか間に合う筈だ」
『真珠ちゃんはどんな感じ?』
「正直、かなり落ち込んでいるよ。俺達が話してみて何とかなるもんじゃない。心を開いてくれる人間がいればな…」
『わかったわ。心当たりがある人物はいるからそれに賭けてみる』
勝端の連絡はそこで切れた。出水は集中し気合を入れて再びアクセルを踏み始めた。
病院の待合室では真珠は一人寂しく待っていた。今にも泣きだしそうな顔を浮かべている。そこにやって来たのは箕田と真久部と高木だった。真珠は唖然としている。
「どうして…?」
「どうしてじゃねぇだろ。俺達の心配を知らないで、伝次さんが倒れたって聞いて勝端さんから聞かされて、お前が一番メンタルやられてんだろ。心配してやって来たのにお前という奴は――」
その刹那、真珠は箕田を突き飛ばすような形で病院から出ていく。
「おい!」
箕田はカチンと切れたか怒りだし真珠を追いかける。真久部と高木もそれに続く。
病院近くの公園までやって来た真珠は逃げるように走るも、男女の差は埋めることが出来ずに箕田があっという間に追いついた。
「構わないでって言ってるでしょ!」
「またそうやって殻に閉じこもるつもりか。どこまでも卑怯な女だな!いつものお前はどこ行ったんだよ!」
去ろうとする真珠の腕を箕田は捩り上げた。真珠の悲し気な顔がさらに箕田を苛立たせたか、箕田は真珠を突き飛ばした。真珠は尻餅をついて箕田を見上げる。
「もっと偉そうにしてれば良かったんだよ!ちょっとの事で泣きやがって、お前の泣き顔は見たくもねぇ。見てるとイライラするんだ!」
「ちょっとの事…?アンタに私の母を殺された気持ちがわからないでしょ!」
「ああ、わかんねぇよ!お前とは生き方が全然違うからな。いつまでも落ち込んでいるお前の気持ちなんか全然わかんねぇよ!」
箕田は背を向けて歩き出し、吐き捨てる。
「お前なんかより俺が生徒会長を務めたほうがよっぽどマシだ。今のお前なんか魔法の解けたシンデレラそのものだ」
煽る口調で話す箕田にキレたか今度は真珠が立ち上がり、箕田を突き飛ばした。
「偉いのは生徒会長であるこの私よ…!アンタは副生徒会長。私と同列にしないで!」
声を荒げた真珠に箕田は笑顔を見せた。
「目を覚ますのが遅ぇよ。そんな事は誰でも知っている」
「だったら二度とその言葉は使わないで」
真珠は箕田の手を取り体を起こす。するとそこに一石がやってきた。真珠は咄嗟に箕田の後ろに隠れる。
「何だ…?真珠はお前なんかに渡さないぞ…!」
「フン。お父さんが入院したそうじゃないか。これで分かっただろう。頼りないあの人では任せられない」
一石の表情は何か企みを見せている。真珠は何か怯えている。やがてその場にへたり込んだ。
「親が親なら子も子だな。さぁ、私と共に来るんだ。君も離れなさい」
一石の横暴な言動に遂に頭の中でプチンと弾ける音がした。すると突如として一石の顔面を殴り飛ばした。急に重い一撃を食らった一石は鼻から血を流し、呆然とする。
「何なんだよ…!さっきから何なんだよ!」
声を荒げて箕田は一石の目を捉える。それは憎悪に近い感情だ。一石は驚いている。
「確かに真珠は大馬鹿野郎だ。誰にも言わないで一人で抱え込んで、悲劇のヒロインぶって、全てコイツが悪い。けどな、これは俺達の問題だ。見ず知らずの大人が勝手に踏み入っていい領域じゃねぇんだよ!」
箕田はもう一撃を一石の顎にヒットさせた。そして一石の胸倉を掴み激高した。
「アンタみたいな大人の勝手な都合でな、伝次さんは無理したんじゃねぇのかよ!」
箕田はさらに力を強める。やがて真久部と高木が二人を離した。一石は咳払いしている。
「血の繋がりがなんだ、頼りないからなんだ、そんなものは人それぞれだろうが。ここにいるのはな、楠真珠でも鮮見真珠でもねえ、鏡真珠なんだよ!」
その言葉に真珠は目に光が宿ったかのように意識を戻す。箕田が真珠に手を差し伸べる。真珠はその手を掴み立ち上がる。そして一石の前に立つ。
「私の名前は鏡真珠です」
その言葉に一石はへたり込んだ。箕田がさらに追い打ちをかける。
「これでわかったか。下心を持って真珠に近づいてみろ。今度こそ容赦しないからな。覚えておけよ!」
箕田は足早にその場を去って行く。真久部と高木は追おうとするが、「待て」と一石に止められる。
「君達にとって真珠はどんな存在だ…?」
真久部と高木は一石を見下ろしながら答える。
「俺達は魔女、いや鏡がいなければ組織として成り立たない。重要な存在です」
「僕達は4人で一つのチーム。そのリーダーとして鏡さんは必要なんです」
答えた後、真久部と高木は去って行く。真珠は一石とすれ違うように病院の方向に向かって行く。一石がただ残された外には大雨が降り始めていた。
病院内では勝端が蘭菜を叱責していた。
「全く貴方という人は…」
「すみません…」
蘭菜は小さく項垂れている。勝端は呆れが止まらないようだ。
「鮮見さんのようになって欲しくなかったから、強引に入院させようとしたんでしょ。貴方のやり方は根本的に間違っている。独りぼっちになる真珠ちゃんの気持ちを少しは考えなさいよ」
「…」
よく見ると真珠がその話を聞いている。真珠が視界に入ったのを見て勝端は話を切り上げた。
「とにかく報告書と始末書は私が誤魔化しておくから。しっかり謝っておきなさいよ。医者としてではなく、真珠ちゃんの姉としてね」
勝端はその場を去って行く。そこに真珠がやってきた。蘭菜は後ろを振り返る。そして真珠に謝罪した。
「ごめんなさい…」
蘭菜はしゃがみ真珠を抱き締める。そして涙を流した。
「貴方のお父さんは無事だから、心配しないで」
「ありがとうございます…」
真珠は小声でお礼を言う。そこに勝端と一石がやって来た。一石は雨にうたれたのと顔面を殴られたことでボロボロになっている。蘭菜は駆け寄った。
「お父さん、どうしたの…?」
「何でもない…」
一石は少しいつもの覇気がない。勝端が補足する。
「ちょっと喧嘩しただけよ。まぁこれで懲りたんじゃないかしら?」
「あの、私のクラスメイトがすみませんでした」
謝る真珠に一石は笑顔を見せる。
「いや、私の方こそ悪かった。君が気にする事はない。蘭菜、今日は真珠を泊めていけ」
「え…?」
思わぬ言葉に真珠と蘭菜は戸惑っている。
「私は伝次君と共に話し合ってくる。蘭菜、よろしく頼む」
一石は勝端に付き添う形で伝次がいる病室に向かっていく。
伝次は意識を取り戻していた。よく見ると病室であることに気が付く。そこに病室のドアがノックされて一石がやって来た。伝次は傷だらけの一石に驚いている。
「お体の具合は…」
「私は大丈夫ですが、そういう一石さんこそ何があったんですか…?」
すると一石は突如として伝次に謝った。
「済まなかった。私の無責任な言動で真珠や君を苦しめてしまった事を――」
「お互いもう水に流しましょう」
伝次の優しい言葉に一石は毒気を抜かれる。伝次は一石に尋ねる。
「その傷、何かありましたか」
「真珠のクラスメイトが、いいや、もうこれ以上言うのは止めておく。悪いのは私だからな」
「…」
伝次は何も言うことなく黙っている。
「一人だと思っていたが、実際は違った。伝次君、君の娘さんは良い仲間を持ったな」
「ありがとうございます」
一石と伝次はお互いに穏やかな表情を見せる。病室のドアがノックされて、勝端がやって来た。
「時間だから、私は帰るぞ。退院したらゆっくり一杯やるか」
「ええ」
一石は病室を去っていく。
一方、蘭菜の部屋にいる真珠はまるで囚われたプリンセスのように大人しかった。蘭菜はマーガレットの指輪を真珠に手渡した。指輪をはめた指を見て蘭菜は真珠に笑顔を見せる。
「これは?」
「お守りよ。貴方のお母さんがもしもの時に何かあったらって託されたの」
「そうですか…」
その指輪を見ながら真珠は涙を流している。蘭菜は心配している。
「どうしたの?」
「何で死にたいなんて思っちゃったんだろうって、怖かったんです。これ以上何もかも失うのが、好機の目で見られてずっと怖かった。お母さんが殺された時、一緒に死のうなんて考えて…」
泣きじゃくる真珠を蘭菜は慰める。
「医者の目の前で死のうなんて言葉は使わないの。それに貴方は一人じゃない。だって仲間がいるじゃない。きっと帰ってくるのを待ってるわよ」
その言葉に決壊したダムのように真珠は泣き続ける。蘭菜はそんな真珠をずっと抱き締めていた。
時が過ぎて、真珠以外の3人は生徒会室にやって来ていた。ポッカリと空いた席を3人は眺めている。
「来るよな…?」
真久部が疑問を投げかけるが、箕田はあっさりと答える。
「来るよ。もう吹っ切れているはずだからな」
その言葉と同時に真珠がやって来た。
「来るのが遅いんだよ。数日も待たせやがって」
「ごめん」
真珠は神妙な顔で謝罪する。その後ろからなんと一石がやって来た。だがその表情は敵意を感じず、丸くなった様子だ。箕田は一歩前に出る。
「すいませんでした」
「申し訳なかった」
ほぼ同時に謝った2人はお互いに顔を見合わせる。先に箕田が話す。
「感情的になって傷付けてすいませんでした。先に手を出した俺が悪いです」
「いや、私の方こそ悪かった。大人の勝手な都合で真珠から仲間を奪おうとしていた。目を覚ましてくれて寧ろ感謝している。この事は手打ちとしようじゃやないか」
一石は手を差し出す。箕田も手を差し出して和解した。
「今日からこの学校の校長を一先ず務める事になったからな。ああ、勘違いしないでくれ。これは友里子からの伝言なんだ」
「鮮見さんからって事ですか…?」
「そうだ。もし何かあったら私に頼むように言われていたんだ」
一石は真珠に目線を向ける。
「真珠、お前はいい仲間を持ったな」
「はい」
一石は笑顔を見せて生徒会室を去って行く。沈黙の後、箕田が真珠に声をかける。
「仲間だってよ。相棒」
「何が相棒よ。私の方がいつも立場が上だって言ってるでしょ」
「あーはいはい。そうですか」
真珠と箕田はお決まりの台詞を言いながら言い合っている。そんな二人を見て真久部と高木は笑顔がこぼれている。
「ふぅ。やっぱりこれだよな」
「みんなの事信じて良かった。僕達『E4』は4人で1つの集合体だからね」
高木の言葉に皆は笑っていた。それは心からの笑顔だった。
その会話を一石は扉越しで聞いていた。一石はスマホを取り出して電話を掛ける。留守番電話サービスに接続した後、話しかける。
「友里子か。お前の娘は元気に学校生活を送っている。何、心配するな。仲間に支えられて楽しく過ごしているさ。だからもうゆっくり空で見守っていてくれ。じゃあな」
一石は電話を切った後、ゆっくりと歩き出す。歩き出す方向には希望の光となる太陽が射し込んでいた。
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