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3話 恋を自覚するにはまだ青い
「先生、オレ、白星高校受ける」
冬休み前最後の進路面談で宣言したオレに先生は大きな溜息をついてノートを閉じた。
「半年くらい前の三者面談でも言ったよな。偏差値もギリギリだ」
「大体なんのために」「思いつきなら止めておけ」「お母さんだって困るぞ」
先生の口から半年前と同じ台詞が繰り返される。昨日捨てたものと同じ高校案内のパンフレットが机の上に広げられる。
オレの偏差値でも余裕で合格圏内で、自転車で通えて、地元の就職率が高い高校。先生の視点からオレの家庭環境を考えて推奨された模範解答みたいな進路。つい昨日まで第一志望に記載していた高校だ。きっと、ここで諦めて頷けば半年前と同じ気持ちになる。
それは正しいのかもしれない。でも、その正しさをオレは欲しくない。
「どうしてもここがいい」
真っ直ぐ、先生の目を見てそう言った。まるで、あの雪の日のハルみたいに。
それから、深夜まで机に向かういつもとちょっと違う年末年始を過ごしてあっという間に受験当日を迎えた。私立のハルは少し前に受験して、合格だったと田中伝えに聞いた。あの日以来、ハルとまともに会話していない。謝るタイミングを逃して、そのままだ。おめでとうすら、言えてない。
「直孝! 合格してたよ!」
高校に張り出された合格発表をオレより早く見てきた母ちゃんに起こされる。朝一に見に行こうと思っていたのに緊張でなかなか寝付けず、あろうことか朝方寝落ちした。
「まじか! って自分で確認したかったー!」
飛びついてきた母ちゃんの下で頭を抱えてじたばたと暴れる。
まずは担任の先生、それから直前まで励ましてくれた田中、あとは、と合格連絡をする人の名前を頭で挙げていく。
(……ハル)
すぐに浮かんだ顔を取り消すように大袈裟に首を振って立ち上がる。取り敢えず、自分の目で結果をみて、今日も学校にいかなければ。最近カツ丼ばかりだったから、今日の夕飯はいつも通り、メインは味噌汁。具は……さっぱり系で、紫キャベツにしよう。
合格結果を伝えると田中は朝の母ちゃんみたいに飛びついてきた。何度もおめでとうとスゲーよを繰り返して、ちょっと涙目になってた。卒業式が終わった今だって、田中はその話をしている。
「それにしてもなおが本当に合格するなんてなー。スゲーよ」
「田中が貸してくれた対策ノートのおかげだよ。お前まとめるのあんな上手かったんだな。あれなきゃダメだったってくらい助けられたもん」
「あー……あれな、あれさ、実はオレじゃねえんだ」
「え?」
田中の話を聞いて、オレは走った。田中から渡された受験対策のノートはハルがくれたものだった。自分から渡されたということは内緒にしてほしいと言って。あれがなければとても合格出来た気がしない。何度も諦めかけて、何度も救われた。校門の前で中学生最後の日を惜しむように写真を撮る群れを押しのけて探す。けど、そこにハルの姿はない。
「あ、いたいた直孝!校門の前で一緒に写真――」
「ごめん母ちゃん!」
カメラ片手に声をかけてきた母ちゃんをおいて走り去る。朝は母ちゃんとハルの父ちゃんが一緒に来ていた。今はハルの父ちゃんの姿もない。そういえば高校の寮へ引っ越しの日が卒業式の日に被っていると母ちゃんが言っていた。
「ハル……!」
昨日まで、玄関を開けて数歩と離れていない距離にいた。それなのに、何も伝えられていない。「ごめん」も「おめでとう」もなにも、言えてない。
一秒でも早く、と全力で家に向かって走った。
階段の入り口に誰かが立っているのが見える。目を擦って視界を鮮明にしたらもう見間違えない。大きく踏み込んで駆け寄った。
「なお」
久々に聞いた、オレに向けたハルの声。ハルはもう制服を脱いで普段着に着替えている。
「あの、あの日はごめん! 全然悪くないハルに謝らせてごめん!」
息も整わないうちに勢いよく頭を下げて叫んだ。
「俺、あの日なおに同じ高校行こうって誘われて、一瞬迷ったんだ。青文高校に行きたくて誰になに言われても勉強も、前の学校では部活も頑張ってきたつもりだったのに」
数秒の間が空いてハルが話し出す。
「でも、そんなの全部どうでもよくなるくらいなおと飯作ったりする時間が楽しくて、オレ、少し後悔してるんだ。なおと同じ学校にしなかったこと。俺、俺、なおのこと」
「どうでもよくねえだろ」
どんどん勢いの増すハルの声を落ち着かせるように断ち切る。どうでもいいわけがない。短い期間だったけれど、ハルが頑張ってきたこと、その結果が実ったことを知っている。
「よくねえよ。ずっと頑張ってきて漸くスタートラインに立てたんだろ」
ハルの胸をトンッと拳で叩く。
「だったら勢いでも後悔とか言うなよ」
「なお……」
「遅くなっちゃったけど、合格おめでとう、ハル」
「ありがとう。……なおも合格おめでとう」
「サンキュー」
ニシシッと鼻を指で擦り笑う。なんだか照れくさい。暫く二人で笑い合っているとハルの父ちゃんが車の中から顔を出してハルを呼んだ。
「なあ、オレたち、やりたいこと見つけてさ、そんで全部出来ちゃうようなデッケー男になろうな」
最後に、とハルを呼び止める。
「なお……背、伸びると良いな」
「身長の話じゃねえよ!」
「あのさ、なお。さっきの続き、オレがデッケー男になったら改めて言わせて」
沢山の段ボールが積まれた車に乗ったハルは窓を開けるとそれだけ言い残して「さっきのって?」と聞き返す前に行ってしまった。
ハルを乗せた車はどんどん小さくなる。今年の桜は遅咲きらしく折角の桜並木がハゲたままだ。腹が空いたので家に帰る。炊飯器から米を取り出してそのまま握る。具はなくていい。
「自分が背高いからってよー……オレのが絶対デカくなるし……」
ズッと鼻を啜る。ラップを忘れて素手で握ったから熱くて仕方ない。あちあち、と丸くなった米が手の上を行ったり来たりする。あんまり熱いもんだからちょっと涙が出てきた。押さえ込むように不格好なおにぎりを頬張る。ちょっと塩っぱい。
あのインターホンを押しても、もうハルは出てこない。授業中に窓の外をよそ見するあの腹が立つほど整った横顔を見ることも、女子から「倉本くんの連絡先教えて!」と呼び出されることもない。
オレだけが知ってる表情をみると嬉しくなって、話せない時間はもどかしくて、向けられた言葉にいつまでも浮つくようなこの気持ちがなんなのかも分からない。
(なんだよこれ、こんな気持ち知らない。ハルのこと考えると口の中甘くて、心臓痛くて、なんかこう、ぎゅうってなる)
センチメンタルになっていると見られていたのかと思うようなタイミングで「夏休みには帰る」とハルから連絡がきた。
泣いてたのか、なんてデリカシーのかけらもないハルの声は少し、震えていた。
桜舞い散る入学式当日。別々の学校の制服を着た二人が桜並木のなか、同じ空を見上げる。
そして気持ちよさそうに、まるで声を合わせたようにこう言うのだ。
「「あー、腹減った!」」
中学生編 (終)
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