9人が本棚に入れています
本棚に追加
4話 あれから4年、これからゆっくり赤くなる、たぶん
初恋は実らない。
これって恋って呼んでいいか分からないし、できればそうじゃなかったって思いたい。だって友情は大切にしたいし。
ハルとオレは別々の高校に進学してからも、仲はいいほうだった。
お互い学校やバイト先で友達ができたけれど、夏休みや冬休みはハルが地元に帰ってきて、中学の頃みたいに一緒に飯食って遊んだりした。
ハルはかなりモテるみたいで、他校の女子からも告白されているらしい、となぜか本人じゃなくて田中から聞いた。
高校生活は本当に楽しくて、あっという間だった。
あっという間に四年が過ぎて、オレは十九歳になった。
ハルは、日本に住んでいれば知らない人はいない有名国立大学の経済学部に進学した。
田中は警察官を目指して専門学校に進学。オレは高校時代によく通っていた食堂をひょんなことから継ぐことになり、新米二代目として日々修行中。
じりじり、窓越しにも照りつける日差し。
肩に掛けたタオルで汗を拭いて、包丁を握る。フライパンはおっちゃんがあの細い腕で振っていたとは思えないほど重くて、最初は苦戦した。
「いらっしゃい!……ってまーたお前らか」
フライパンから生姜焼きを皿に移しながら口を尖らせたオレに、カウンターに座ったハルと田中は「こらー! 客だぞー!」と笑っている。
「おっちゃんお待たせー」
常連のおっちゃんに生姜焼き定食をだして、ハルと田中に注文をとる。
「オレいつもの! からあげ定食!」
「オレもサバの塩焼き定食」
「お前さんたちいつも来てるねえ」
常連のおっちゃんが微笑ましそうに話しかけると田中がその肩を抱いて「おっちゃんもな!」ってなぜか得意げにしている。
そう、ハルと田中は休みの日になると必ずこの店に食べに来る。
ハルなんて、一人暮らし用に借りている部屋からは随分遠いのに、わざわざ昼飯だけ食いに電車に乗ってくるから驚いた。
「なお、なかなか様になってきたな」
「そうか? 嬉しいよーな、そうでもないよーな」
なおの言葉を素直に受け止められなくて頭を掻いた。
この店は、オレが通っていた白星高校の近くで、おっちゃんが一人でやっている店だった。
常連として通っているとき、店主のおっさんが腰を悪くして店をたたむという話を聞いた。その頃オレは、調理師免許を取得できたものの就職先に迷っていて、あっという間におっちゃんと常連たちに言いくるめられ、この店を継ぐことになった。
まいったな、とは思ったものの、嫌じゃなかった。この店が、あの味がなくなってしまうほうが、ずっと嫌だった。
似てもにつかない不完全なおレの料理の味に文句をいいつつ、応援しているよと通ってくれる常連たちに支えられる日々。
忙しない日々に会いに来てくれるハルと田中の存在に支えられていた。
中学生の頃と同じで、二人に支えられてばかりなのが少し悔しい。
いや、変わったことが一つだけ。
「オレなおの作る飯好きだ」
「それ毎回言ってくれるな」
大事そうにサバの塩焼きを食べるハルをカウンター越しに眺める。
珍しく客が途切れて、田中は彼女から電話が来たといって店出た。
今、店内にはハルと二人きりだ。
――まずい。田中、早く戻ってきてくれ。
「ごちそうさま」
「おー、お粗末様」
よかった。今日はなにもおこらない。
「なおの作る飯だからうまいと思う」
ハルに真っ直ぐ見つめられて、目を逸らしてしまう。
自分の顔が熱くなって、心臓が飛び出るんじゃないかってくらいうるさい。
田中や他の友達になら「とーぜん!」なんてふざけて返せるのに。
最近いつもこうだ。ハルはオレと二人きりになるとやたら見つめてきたり「なおだから」を連呼する。まるでオレを特別みたいに。
「なあ、なお」
「な、なに」
なに動揺してんだ、オレ。しっかりしろ。
ハルがなにかを言いかけたタイミングで田中が「お待たせー!」とデカい声で戻ってきた。ナイス、と内心ガッツポーズだ。これ以上何か言われたら本当に変なことを聞きそうになる。
「ハルって、もしかしてオレのこと好きなの?」
なんてあり得ないことを口にしそうになる。高校時代も羨ましいくらいモテモテでだったこのハルに。
今度はハルが電話だと店をでる。彼女かな、なんて不意に想像してしまって、勝手に凹んだ。あれ?なんで凹んでんだ。
「そういえばさー、倉本がなんで経済学部進んだか知ってる?」
冷えた唐揚げを頬張りながら田中が言う。オレはお茶を出して「聞いたことないかも」と答えた。
「オレもこの前なんとなーく聞いたんだけどさ、アイツ、なおがいつか店を持ってそれをでかくしたいとか、なおがなにかやりたいことがあったときに、なおに必要とされたいからって言ってたんだよ」
え、なにそれ。
「バイト先の倉本と同じ学校だったってヤツからめちゃくちゃモテてたって聞いたのにさ、本人はなおのために生きてるって感じだもんなー。まあオレも彼女のために生きてるみたいなところあるけど?」
ばくばく、心臓の音がうるさい。田中の声が遠くに感じる。
思わず、肩にかけたタオルで顔を隠した。恥ずかしい。どうすればいいかわからない。
「その反応って……お前ら付き合ってたりすんの?」
田中の悪気のない声が少し戸惑う。
「そんなわけないだろ! 変なこというなよ!」
慌てて否定する。自分の大きな声に自分が一番驚いた。
あのハルがと自分が付き合うとか、そんなことあるはずない。ハルは友情に熱いタイプで、それを勝手にオレが勘違いしているだけだ。
「俺は付き合いたいと思ってるよ」
その声にハッとした。扉の前にはハルが立っている。
「なおが好きだよ。俺の恋人になってほしい」
まるで子供が駄々をこねるような口調だ。
うそ、うそ、うそ。ちょっとまって。
「今日はもう店じまいだから、悪いけど二人とも、また今度な」
ハルと田中がなにか言っている気がした。けど、もう頭がいっぱいいっぱいで、どうすればいいかわからない。二人を無理矢理追い出して、漸く一人になった。
誰もいない店の中、頭の中でハルの声だけが響いていて、また胸が苦しくなった。
次の日、どしゃぶりの雨が降っていて開店したものの、客はじいさん一人こない。
それなのに、びしょ濡れのハルがきた。
「なんでこの雨で傘ささないんだよー」
「……まさかこんなに降ってくるとは思わなくて」
誰もいないのをいいことに、椅子に座らせたハルをタオルで拭く。
風邪を引くからとTシャツを脱がした。羨ましいくらい胸板も肩幅も厚い。そういえば百七十センチを超えたあたりから伸び悩んだオレと違い、百八十センチ超えだと前に聞いた。がっちりとした体型も手伝って、まるで黒い大型犬の水浴び後みたいだ。
「……ごめん。嘘。本当はこの状態ならなおに追い返されないと思った」
打算です。とハルが濡れた髪の奥で、目を伏せる。
その仕草にさえオレの心臓はうるさく反応する。
「……ハル、あのさ、昨日はごめん」
「これ、フラれてる?」
「フってない! というか、あれ本当……? 本気?」
「本当で本気。俺はなおが好き。中学の頃からずっと」
頬にハルの手が触れる。雨に濡れていたのに、その指は熱いくらいだ。
「田中から聞いたんだけど、経済学部に入ったのって……その……」
目の前のハルの顔がむっと不機嫌な顔に変わる。少し間が空いて、溜息混じりに「全部がそうじゃないけど」と呟いて続ける。
「まあ、全部が全部じゃなくても、殆どそうだよ。なおにとって、必要なやつになりたくて」
よくみると、ハルの耳たぶが赤くなっている。ハルも恥ずかしいんだ、とそこで初めて気付いた。
「……なお、俺、デッケー男になるよ。たぶんまだ成長期だし」
「だから身長の話じゃねえって」
「覚えててくれたんだ」
ふっと嬉しそうに微笑んだハルの顔がなんか可愛くて――その顔があまりに近くて思わず後ずさる。息がかかりそうなほど近い。けど、ハルの腕が腰に回されて逆に、抱き寄せられるみたいに近づいてしまった。ハルの膝の間で、取り敢えず客が来ないことを祈る。
「なお」
名前を呼ばれて、頬に手が伸びてくる。引き寄せられ掛けて、堪えるみたいにぎゅっと目を瞑った。
「逃げないんだ。嬉しい」
なにも起こらないから、薄目をあけるとハルが至近距離でくつくつ笑っていた。
「おまえなー!」
頭から湯気が出そうだ。別になにか期待してたわけじゃないけど。
「答えは今すぐじゃなくていいから」
ハルがまた、真剣な声になる。真剣だけど、優しい声。
「なおに好きになってもらえるよう頑張る」
「す、すぐじゃなくていいって言う割に……そういうこと」
ハルにそんなこと言われて、嫌なやつなんているのかよ。
じりじり、人懐っこい犬みたいに距離を詰めてくるのも、嫌じゃない、ただ恥ずかしいだけ。
「あ、あのさ、ちゅーしそうな距離、じゃん、それはだめだって」
口がくっつきそうだったから思いっきり顔をそらしら、ちゅっと頬に柔らかいものが当たった。それがキスをされたのだと気がつくのに少し時間がかかって、じわじわ熱くなった頬を押さえて「だから! だめ!」と叫んだ。
ほっぺだって、キスはキスだ。そんなの、恋人じゃないのに。
……オレが「うん」って言えば、恋人になれるんだ。
「あーっ! もう!」
オレが急に顔を覆って叫んだから、ハルがびっくりして、それからオロオロする。
「ご、ごめん」
「違うよ! 嫌じゃない! むしろ嬉しいの! オレもハルが好きだから!」
「え……? なおが俺のこと……?」
信じられないみたいな顔をするハルになんかもう恥ずかしくて頭突きしてやる。ああ、もう。ああ、もう。
「なお……あの、キス、していいですか」
「お、お手柔らかに」
涙目のハルが可愛くて、絆されて身を屈めた。
触れ合った唇がいつまでも甘くて、恥ずかしくて、しばらく二人で壁に向かって噛みしめる始末。
初恋って、実るんだ。こんな奇跡みたいなこと、起こるんだ。
パーティーグッズを全身につけた田中から「二人が付き合っていたらお祝いしてないじゃんって思って、思わず戸惑ってしまった」と聞いたのはそれからすぐのことだった。
(終)
最初のコメントを投稿しよう!