こぐまのようなこどもを大人の服ですっぽり包んで

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こぐまのようなこどもを大人の服ですっぽり包んで

 絵が好きで、ほんの時折、個展へ行く。  先日、大桃洋祐さんの個展が催されるというので、蔵前のFrobergueという素敵な洋書屋さんへ行ってきた。  地下鉄の田原町駅からぐーんと地上にのぼってきて、出てすぐ目の前の地図を眺めていると、同じく、ぐーんと地上にのぼってきたご婦人3人がとなりに並んだ。エレガントな魔女のようないでたちの3人をチラリと見て、ひょっとすると同じ行き先かしらんとライバル意識を燃やしながらしばらく並んで歩いていたら、ご婦人がたの目的は菓子屋シノノメさんの喫茶だった。菓子屋シノノメさんを知らなかった私は、行列用のロープが張ってあるのを見て、今日は平日だから空いているけれど、きっと休日なら思いつきで買えないような店にちがいないとすけべ心を出し、マドレーヌひとつとパウンドケーキ2種をひとつずつ買った。  目的地に着き、洋書の挿絵に出てきそうなまるいドアノブをしっかり握って右に回すと、誰かの心の中にうっかりと足を踏み入れてしまった。  本を好きなひとの心の中。本という佇まいにうっとりしてしまうひとの心の中。  さいきん図書館が充実している場所に越してきて、ふたたび本の世界に没頭し始めたものの、それまで数十年、自分をよろこばせる活字本からはなれていた。その前は、何よりも本を読むことが好きな子どもだった。その子どものころの心に似た、ちいさなお店だった。  大桃さんの絵を見て、本棚の絵を見て、すべてを何度もただただ眺めて、そうして1時間以上そこにいた。  それから手に取ったのが、大桃さんの絵本『ぼくらのまちにおいでよ』と片山令子さんの『惑星』だった。『惑星』は、お店でいちばんよく見えるところに積んであった。手に取ったのは、熱烈なポップがきっかけだったけれど、ペラリペラリとめくるうちに、「ここを知っているぞ」と思った。  文体が連れて行ってくれるところ。初めてそこへ行ったのは、串田孫一さんの文体に触れたときだった。そこのことをもっと知りたかったけれど、その時住んでいた地域の図書館に、串田さんの本はなかった。その文体が、串田さんのほかの本にあるかどうか確かめるのもなんとなくこわくて、本を購入する手前で立ち止まっていた。  やわらかくて、繊細で、ふうっと吹き飛ばされてしまいそうな、ぬくもりにみちみちたところ。そこから伸びる道の先にも、行ってみたいと思っていた。  活字本を買うのは、何年かぶりだった。家に帰って、おそるおそる、読み始めた。  私は、片山さんのことを知らなかった。詩を書くひとか、と読み始め、じきに、絵本も書いたひとらしい、ことがわかって、その文体のゆえんがひとつわかった。自分が物語のにおいがする文体を好むことは知っていた。  『惑星』はいろいろな性質の文章が集まった本だった。はじめのほうは詩のような散文がすこしむずかしく、我が子が幼かったころの文章が出てくるあたりで、文体がやわらかくなってくる。  ああ、これはたしかに、つながっている。と、確信して、串田さんの文体を思い起こした。  それは、実家の押し入れの片隅で埃をかぶっていた、『レイモン・ペイネ 〈ふたり〉のほん』(みすず書房、昭和40・7)の解説文だった。いつからあったかわからない本は、父親の不確かな記憶によると、両親が結婚した際にお祝いとして贈られたものらしい。けれど彼らは興味を持たず、4冊あるうちの1冊はカバーがない状態で、全体はボロボロになっていた。4人いる兄弟のうち、興味を持ったのも私ひとりだけで、「ほしい」と言うだけで簡単に手に入った。  4冊の解説の中でも、とくに好きなのは「〈ふたり〉のおくりもの」の解説だ。そこに串田さんは「リボンをかけて…」という解説を寄せている。解説というよりもむしろ随想に近いそれは、贈り物についてゆっくりとたゆたうように書かれている。  「駅を出てから、」という言葉で始まる文章を読んでいると、メアリー・ポピンズの魔法にかかったように、私はそこへ入っていく。そこには、きれいな色のパンジーがいっぱい咲いている。胸の真ん中に置かれた、木をくり抜いて作ったまるいボウルに、あたたかなスープがゆっくりと注がれていくような心もちになっていく。  『惑星』を読んでいたら、「さあ、残っているのは楽しいことだけ」という文章で、そのボウルから、スープがそうっとあふれた。  ペイネが描く恋人たちのように、目をつむった。  机にすわり、贈られたものをぐるりと見渡しながら思いを馳せる沈黙。病床の父の傍らで絵本を読む声。子どものぬいぐるみを作るために布を買いに行った帰りのバスの、一番後ろの席。そのままにしておけばすぐに霧散してしまうぬくもりを集めて、ぎゅっと抱きしめて、独り占めせずに、気前よく届けてくれることについて、なんと思えばいいかわからない。コンテンツではない。文体なのだと思う。言葉を紡ぐ、そのはじめの糸口に宿った魔法が世界を織りなして、それが私をすっぽりと包む。そのぬくもりを知っている、いつも思えばそこにいる、それなのにいつでも、また会いたいと思うのは、どうしてだろうと思う。尽きることがない。欲望というほど熱々としていない、空の向こうのようにきっぱりとした願い。  そこは、とてもあかるい。脆そうに見えるのに、わりと頑固だ。つついてもつついても、嫌な顔ひとつしない。パンジーが咲き、リボンがゆれる。      
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