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買い出しから戻って料理をほとんど作り終えても、門馬さんは帰ってこない。
さっきショートメールで、もう一件仕事が入ったと丁重に謝罪が送られてきた。
私はむしろ恐縮で、忙しい毎日にもかかわらず、自己肯定感アップに付き合ってくれていることに対して申し訳なさが募った。
私と住んでも、私の自己肯定感が上がっても、ハッキリ言って彼にメリットなんか一つもない。
それなのにこうも必死になってくれる彼の真心が嬉しくもあり、罪悪感も感じた。
それにしても、儀式ってなんだろう。
私はただ、節分の豆まきでも一緒にできたら充分なんだけど。
「すまん! 遅くなった!」
彼が帰宅したのはもう夕方。
それはそれで、夕ご飯を一緒にゆっくり食べられるから良い。
「大丈夫ですよ。そんなに慌てなくて」
息を切らし、髪を振り乱して帰ってきた彼に口元が緩む。
「夕食の支度できてます。お風呂も沸いてるので、先に入ってきたらどうですか? お仕事お疲れさまです」
「………………」
彼は顔を赤らめて、しばらく固まる。
「どうしたんですか?」
「いや、なんつーか。良いな。すごく。お前の顔を見るだけで疲れが吹っ飛ぶ」
彼の笑顔に勢いよく弾む胸と上昇する体温を、慌てて宥める。
落ち着け。これは自己肯定感アップの作戦だ。
「じゃあ、早速始めるか」
彼はそう言って、戸棚からあるものを取り出した。
赤い鬼のお面だ。
何食わぬ顔で自身に装着する門馬さんに、呆然とする。
「……まさか」
「なんだ?」
……本当に豆まきだったとは。
「お前はこの豆をまけ」
渡された豆の小袋を見て固まる。
「あの……これは」
「自己肯定感アップの儀式だ」
赤鬼の門馬さんが誇らしげに言った。
「どうして豆まきが……」
「お前の内にある邪念を全て払い落とす為だ」
仁王立ちする門馬さん。
「邪念、ですか?」
「そうだ。聞け。お前は我慢しすぎている。もっと外に出していい。嫌なことは嫌だと、ムカつくことはムカつくと言葉にしていいんだ」
「門馬さん……」
ハッとした。
一番向き合いたくなかった自分だ。
何を言われてもヘラヘラと笑って聞き流し、「わかった」と頷き続けていた自分。
本当はすごく嫌だった。
人の顔色を伺い続けて自分の気持ちを誤魔化してしまう自分が。
「お前は今日、その思いの丈を俺にぶつけろ」
「門馬さんに!?」
門馬さんは両手を腰に当て、胸を張って言った。
「俺に向けて豆をまけ。そして、自分の気持ちを叫ぶんだ」
自分の気持ちを……?
「自己肯定感アップの一番の秘訣は、自分を受け入れることだ。負の感情も全て」
「負の感情……」
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