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3話 一ノ瀬!大好きだ!キスしよう!!
暑い。教室は蒸し風呂状態で、さらに四限目の自習中。
昼休みまであと十分をきっている。自習用のプリントも終わり、開いた大学受験用の参考書は明日の分まで解いてしまった。超絶に暇で仕方ない、早く一ノ瀬に会いたいと窓の外に目をやると、丁度教室のすぐ真下で男子生徒ふたりの影がみえた。
その影は、まるで抱き合うように重なって、キスをしているようにも見える。
俺はガタッと椅子を弾いて立ち上がった。
その影に見覚えがある。間違えるはずがない。一ノ瀬だ。
なぜ影だけで断定できるのかわからない。もう一つの影でわかることは俺ではない誰かだということだ。
「水戸部!」
窓に足をかけて飛び出した時、クラスメイトの誰かが俺の名前を呼んだ。
教室の二階の窓から飛び降りて、両脚で着地する。
「せ、先輩? え、上から?」
俺が真っ先に捉えたのは珍しく動揺している一ノ瀬だ。それからその目の前に立つ、昨日昼休みに屋上で会った山口。ふたりして目を見張ってこちらをみている。
「ふたりともなにしてるんだ?」
顔は笑っているのに声は静かだ。自分でも分かる。不安で飛び出して、相手が友達だと判明した今もよからぬ妄想で頭の中はいっぱいだ。昨日友達がモテるのを分かる気がすると褒めていたし、なにかあったとして一ノ瀬も満更じゃない……なんてこともあるのかもしれない。絶対に嫌だ。
無意識に拳をぎゅっと握っていた。改めて一ノ瀬と山口をみやる。
その光景に唖然としたのは俺だった。
真下は丁度保健室だ。山口はドア前の椅子に座って、擦りむけた肘を一ノ瀬に向けている。
一ノ瀬と誰かがキスをしているのではないか。それは勘違いなのだと状況を見れば明らかだ。飛び降りてきたものの、それ以上続ける言葉がなく固まっている俺を見かねたのか、一ノ瀬は山口の肘に絆創膏を貼ると身を翻しこちらを向く。
「一年と三年の合同体育だったんです。そこで山口先輩がケガをしてしまって……保険の先生がいなかったので僕が手当していたんです」
うんうん、と山口が頷く。一ノ瀬が山口の横からゆっくりこちらに近づく。
手を伸ばさなくても触れられる距離まで詰められてしまう。
「先輩こそなんで上から降りてきたんですか。ケガでもしたらどうするんですか」
微かに鋭くなった一ノ瀬の目つき。声は静かだが怒っているのだ。
「一ノ瀬と誰かの影がみえて……それで、その……キスしてるように見えたからいても立ってもいられなくなって」
しどろもどろになる俺を、一ノ瀬が上から下まで注視する。そして、ほっと息を吐いた。
「まあ、ケガがなさそうでよかったです……先輩以外とそんなことするわけないじゃないですか」
至近距離で伏せられた瞼で長い睫毛が揺れる。その悲しげな顔に思わず頭を下げた。
「ごめん……! 俺、一ノ瀬のことで頭いっぱいで……でも、今更だけどなんで一ノ瀬が俺と付き合ってくれてるのか分からなくなって……不安で」
顎が首につきそうなほど頭を項垂れる。自分で聞いておきながら答えを聞くのが怖くなっている。
「先輩こそ、僕のどこが好きで付き合ってるんですか。不安になるほど僕が好きだっていうのに、全然信頼してくれないんですね。言いたいことがありそうな顔をするくせに、聞いてもなにもいってくれない」
呆れたような、諦観したような声色だった。一ノ瀬の声に、なんだかもう泣きそうな気持ちで顔を上げる。そして叫ぶように続けた。
「疑って本当にごめん! 俺は、ただ一ノ瀬とキスがしたいんだ! 頭の中、ずーっとそればっかりでおかしくなりそうなんだよ!」
一ノ瀬は俺の叫ぶような告白をただ黙って聞いている。告白したあの春の日と同じように。もう止まる気もなかった。
「一ノ瀬を好きな気持ちは全人類の誰にも負ける気がしない。これからも俺が側にいたい。一ノ瀬をもっと知りたい!」
一気に箍が外れて叫んだ。オブラートにすら包めない丸裸の本音だ。先輩らしさも、余裕もない。欲張りで、恥ずかしくて仕方ない。
「僕は、水戸部先輩のそういう真っ直ぐなところが好きです。短いツンツンした髪も薄ら焼けた肌も好きです。同情心のないその優しい目が凄く好きです」
一ノ瀬の柔らかい声がそっと撫でるように返される。
「意地悪言ってごめんなさい。先輩のしたいこと、いっぱいしてくれますか?」
「一ノ瀬……」
一ノ瀬の肩に触れる。引き寄せるように力を込めると、一ノ瀬の背後から「はいちょっとストップー」と声がした。
両手を上に上げて肩を竦めた山口が「俺もいるんだけど。邪魔者は退散退散」と俺の横をすり抜ける。すれ違いざまに山口が俺に耳打ちした。
「いやー。水戸部分かるよ、分かる。実はオレも一ノ瀬ちゃん可愛いなあって思ってて。さっき目のゴミ取って貰ってたときはちょっと魔が差しそうだったわ」
「オイちょっと待て山口……オイ……!」
山口がもの凄いスピードでその場を去る。完全な言い逃げだ。やっぱり飛び降りて正解だったのかも知れない。
一ノ瀬とふたりきり。まわりに人がいないことを改めて確認する。今更だけど。
改めて一ノ瀬の肩においた手に力を込める。そのまま引き寄せて互いの顔を近づける。
息が絡む気配。息は止めるのか、それともしていていいのか。近いようで中々触れられない距離に心臓が割れそうだ。意を決して少し顔を突き出すと、唇にふにゅっと柔らかいものが触れた。昨日頬に触れた一ノ瀬の唇だ。
軽く触れるだけのキスに感激して、そっと唇を離したら至近距離で一ノ瀬が目を細める。
「先輩顔真っ赤」
一ノ瀬の言うとおりだ。顔が熱い。嬉しいのに飄々としている一ノ瀬を前にすると余計恥ずかしくなる。
ふと一ノ瀬の足下に視線を落とす。一ノ瀬が背伸びをしているわけでもない。至近距離で立ったまま向き合うことは少なかったから気がつかなかった。俺だって背は高い方なのに目線がほとんど同じ高さだ。
「一ノ瀬、背こんなに高かったか?」
「あー……僕、ここ最近で三センチ伸びたんです。背の高い僕は嫌ですか?」
ちらっと子猫がこちらを伺うような表情になる。嫌なわけがない。
「嫌なわけない! どんな一ノ瀬でも俺は大好きだ!」
宣言した俺に一ノ瀬がにんまり笑う。
「よかった。僕、歳の離れた兄がいるって言ったじゃないですか。兄の身長も一九〇近くあるんです。僕ももっと伸びると思います。……楽しみにしていてくださいね」
言い終わると同時に二度目のキスをされた。今度は一ノ瀬からで、離れ際に唇を微かに舐められる。綺麗な目が口をパクパクしながら真っ赤になった俺を映し出して、弧を描く。
儚げな雰囲気の裏に捕食者のような表情を垣間見た気さえする。
頭がくらくらするのに、もっと触れたいと思う。
一ノ瀬のことを食べてしまいたいと思ったことがあるけれど、今になってみると食われるのは俺かも知れないなんて思う。
「一ノ瀬、大好きだ」
はじめてのキスは遠回りで甘くて欲張りで、俺にはちょっと刺激が強くて。
目前になった高校生活最後の夏休みが待ち遠しくて仕方ない。そんな青い味だった。
――完――
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