初めては最悪

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初めては最悪

私はどこか違う。そう感じたのは小学生の5年生の時だと思った。母親はいつもクズだのノロマと罵るのだ。そして、お前は大きくなったら悪魔になるだろうと小さな頃から言われ続けていた。私は母親を愛?なのかわからなかったが、母親を信じていた。父親はよくゲームを買ってきた。幼い私にとってありがたい存在だったと記憶している。母親はよく、さくらんぼが食べたいと言うので、私は果樹園に忍びこんでは、大きな段ボールにさくらんぼを入れて、母親に渡した。母親は、よくやったと褒めてくれた。だが、母親は私が2年生になると、消えた。私を置いて、別の男と駆け落ちしたのだ。下に幼い兄妹がいたのだ。お腹が空いたら冷蔵庫と食料を取り出し食べた。電子レンジしか使い方がわからなかった。何でもチンした。記憶は生卵をわり、ボウルにいれて温め、それを飲む。冷蔵庫の中身が無くなったら、猫缶やペットフードを食べていたのを思い出す。私のアパートはペット禁止だが、父親はそれを無視した。様々な生き物がいた。ハムスター、イグアナ、インコ、猫、カメレオン、亀、フェレット、ワニが記憶にある。動物達に毎日エサや与えていたのは自分だけだ。私のせいなのか、よくペットが死ぬ。そしてその死体を手に取り、お墓を作っていた。棒付きアイスの棒でお墓を作っていた。私は、彼らをジワジワと殺すのが好きだ。だから、エサを与えないで、餓死させるのが好きだった。  自分は大勢の生き物を死なせてきた。死んだら、また父親がペットを買ってきた。殺すには事足りなかった。一回ハムスターを生きたま殺した。子どもを守ろうとしたのだろう。だが、自分は殺した。また生き返ると思い、そのままにした。帰ってきた父親は、ハムスターが死んでいると知り、子ども達をワニのエサにした。弟から聞いたが、子ども達の悲鳴が聞けたし、また目ん玉が飛び出し、ワニはそれを食べたと言う。自分も見たかった。自分がやれば良かったと後悔している。そこから悪夢が自分に襲いかかる。背中に小さな穴が空きそこからジワジワと穴が広がり、痛みが走る。痛みで起こされた。母親から自分のお腹めがけてキックしている。母親は笑い声を出しながら朝食を出す。お腹がイタイ。朝食はラーメンだった。これが、私を苦しませる。大人になってもそれがフラッシュバックする。それが、毎日毎日続く。蹴られるか、殴られて起こされた。それのせいか、早く目を覚ました。みんなはどう起こされたか気になる。今も思う。そして、食事を終えたら、今で言う、虐待が始まるのだ。雪の降る日に母親は、私を裸のような服装にし、玄関ドア、外に放り出す。そして、満足するまで外に放り出す。裸足なので、コンクリートはとても冷たい。今も思う。私は誰からも愛されない人間だと。そう感じた。今もだ。 幼い兄妹にも母親が虐待してきた。自分はお気に入りらしい。毎日毎日虐待する。そして、母親はいなくなったので、引っ越す事になった。そこも地獄だった。自分は、捨てられないように、態度を変えた。馴れない環境だったがあの地獄よりまともな食事が出来ていて大変嬉しかった。祖母の自宅には、漫画がいっぱいあった。ドラえもんをよく読んでいた。それと、魔太郎が来ると言う作品もよく読んでいた。友達作りは大変だった。以前の学校では特別教室送りだった。いつも1人だった。大勢の生徒達と会話出来て嬉しかった。私は普通になりたいと思っていた。だが、自分を抑えて生活することは難しい。壊したい、殺したいと言う感情が来るのだ。母親の友達つくんなと言う教えを守っていた。また母親が来ると感じたのだ。怖かった。だから、慎重に友達を作っていた。気に入らない奴は一発殴れば大人しくなった。少し落ち着いた。母親の呪縛が切れ始めた。自分は自由になったと。だが、そんな私に不幸が訪れます。 父親が知らない女を連れてきた。今日から、お母さんになる人だと言う。理解できなかった。私はまたあの地獄が始まると感じたのだ。案の定、起きた。義理母も母親と同じだ。いい学校出ているらしいが、私には、この母親と馬が合わない。憎いとしか考えられないと。だがら縁を切っている。父親も同じだ。自分は1人ボッチになった。寂しい気持ちはない。これからも1人だと。よく親ガチャと言うが、自分はこの意見には賛成だと感じた。 自分は、この世界では、1人だと。  周りを見るが、どこかみんなと違うと感じる。自衛隊に入った。海上自衛隊だ。そこは毎日大変だった。自分はまだ若い。それを知りながら、めちゃくちゃな命令が始まるのだ。海上自衛隊を3年で辞めた。配置替え頼んだが、無理ですと断わられたので、ここは、違うと感じ、辞めた。退職金200万貰えたので、遊びに浪費した。仕事もしなかった。金が無くなると地元に戻り、また遊ぶ。今までの鬱憤を晴らすように、祖母や義理母を怒鳴る。 彼らは泣いた。なぜ泣くのか理解できなかった。 そして、私は悪事を働く。盗みだ。それが楽しかった。物を盗むと前の母親は喜んでいた。そんなことをすると余計にしたくなった。自慰行為よりこっちの方がいいと感じる。私は捕まえられるように手帳に印をつけた。印はどこに盗みをしたか記入していた。読み返し興奮する。これが証拠になるだろうと思って記入した。そして、この盗みを辞めた。それは、色んなアイデアがたくさん出てきて身体がしんどいのと、自宅が私を拒否した。鍵が変わっていた。そして、私は、近くの警察署に向かう。入口から制服警官が出てきた。どうされましたか?と聞いてきたので、私は自首、自首しにきましたと答えた。制服警官が中に入ってくださいと言う。取調室に入ってみて楽しかった。そして刑事が2人来た。何をしました?と聞いてきた。盗みです。助けてくださいと頼んだ。どこに盗みをしましたかと聞かれ、地図を見てここに盗みに入りましたと言う。被害届が出ていたらしい。現場に車で向かう。ここで間違いありませんねと言う。私は、はい、と答えた。あなたを緊急逮捕しますと言いながら私の両手にわっぱ、手錠をする。場所を移動しますと言いながら車に乗る。隣町まで行った。別の警察署だった。そして、身体検査をして、警官が言う。Мなのか?と言う。自分の腕にはリストカットがいっぱいあった。だから言ってやる。死のうとしただけだと言う。自殺防止のために私が入る檻は目隠しフェンスが外された。発言も禁止になった。7部屋あり、私は4番目の檻に入る。そして、朝になる。朝食は弁当だった。食べ終えると点呼をとる。事情聴取をした。小林さんと言う刑事だった。頭が薄いけど、安心できた。そして、自分の話しをした。主に盗みだった。証拠として提出した手帳が役にたった。100件くらい盗みに入っていたことが分かりそのうち3件が被害届を出していた。県を代表した精神科の先生と話した。これが、後に助かる。 検察庁に行く。事件が多すぎて、とりあえず被害届3件をメインに話しを6回した。留置所には4ヶ月いて、しばらくしてから、拘置所に移動した。ワクワクしていた。みんなどんな犯罪をしたのだろうと期待した。そして、拘置所に移動した。拘置所は朝、忙しい。点呼をとったら朝食が始まる。麦飯がメインだ。麦アレルギーだと白米が出る 。彼らと話せる時間ができた。朝の運動だ。と言っても周り鉄格子の小さな場所だ。お前なにしたの?と聞いてくれた。盗みです。あなたは?と聞いてみた。話し相手は、俺は、ドラッグして捕まったと言った。他の人間達は銃の携帯や傷害を起こした人間達ばかりだ。私は、安堵した。彼らと会話してみて、安心感を感じた。やはり、彼らはカッコいいし、普通の人間なんかよりも楽しかった。文句が1つある、消毒液の風呂をどうにかしてほしい。鼻がきくので我慢する。みんな、私をいじってくる。楽しい時間だ。そして忘れない日、1月20日、執行猶予4年実刑3年の判決をもらう。住むところが無いため、国選の弁護士、先生に住むところを確保してもらった。持っていた2000円でバスに乗りながら、外を見る。田舎と同じだ。さっきまで騒いでたオバサン達は、私がバスに乗ると、静かになった。頭、丸坊主のおかげだと思うし、刑務所から出た人間と感じたのだろう。周りの人間達は私を見る。視線が気になり、視線を合わせてみた。女性だった。私は、軽く手を振る。彼女は視線を外した。目的地に着いた。そこで降りた。タバコが吸いたいと思っていると、目の前にタバコの自販機があり、安いタバコ、わかば、を買ってマッチをコンビニで買い、吸った。頭が痛くなり、そして、吐き気を感じ、吐いてしまった。胃液しか出てこない。一本吸って、目的地まで歩く。検察庁まで歩く。20分で着いた。弁護士、先生から地図を貰ったので助かった。中に入ってみた。少し寒い。目的地の更生機関、保護観察所に向かう。受付嬢に事情を話した。待ってくださいねと言われ、待合室で待つ。15分位してから、竹井さんと言う男性が現れた。そしてもう1人、鈴木さんと言う男性が出てきた。鈴木さんが、私を引き取ることになり、色んな説明を受ける。そして、書類にサインした。30分で終わった。そして、鈴木さんが車に乗せてくれた。雪は降っていないが、私の服装は秋の服装で寒かった。施設に向かう。街を車内から見る。田舎と全然違う。都会だなと思った。30分して、施設に着いた。私は、冬服ありますか?あるならくださいと頼んだ。鈴木さんは、ちょっと待ってと言いながら、部屋まで案内してくれた。5階建ての建物で、私は4階の部屋を与えてくれた。今日から、ここで住めると興奮した。今までの生活は地獄そのものだった。4階の班長さん、福田さんに説明を受ける。各フロアには、班長さんがいるのが分かった。福田さんは、親切に教えてくれた。今でも感謝している。夕方17時30分夕食だ。カレーだった。ご飯のみおかわり自由と聞き、2杯おかわりした。風呂は週3回で16時30分から19時00分までと説明してくれた。彼らも自分と同じだと。1人だった。けど、自分はこの生活は悪くないなと思い、お風呂から上がり、日記を書いた。これも運命だと感じた。数日して、4階のメンバーの名前を覚えた。ギャンブル好きな人が多かった。私もギャンブル好きだが、お金が無いためしなかった。私は、仕事を探していた。ハロワには、自分達を専門にした宮島さんというカバみたいな顔をした男性だ。色んな説明をするが、頭に入ってこない。とりあえず、書類にサインをし、また、特別なカードを貰った。私は、カードを貰い、さっそくパソコンをイジる許可を得た。毎日、通っていた。いい仕事先を見つけては、宮島さんに相談した。その度、この仕事はあなたには向いてないとか、執行猶予付きの人にはこの仕事は駄目ですと毎日言われた。ギャンブル好きな人達に聞いてみた。普段というか、毎日毎日ギャンブルしてますが、お仕事何してお金貰っているのですか?と。すると、仲がいい兄貴分の今野さんが、俺は生活保護を貰っているんだと教えてくれた。他のメンバーも同じだと言う。初めて聞く制度だった。私も受けたいと思い、鈴木さんに相談した。が、あなたはまだ若いし、ここに住んでる人はみな有名人ばかりだから、生活保護を受けているのだよ。と言う。要約すると、日本を震撼させた犯罪者の人間達ばかりが集まり、注目されていて、働くことが全く無い、いや、できないのだ。と分かった。確かに、前科7犯の人が多かった。中には、殺人したり、遺体を惨たらしい処理したり、麻薬中毒者がいたり、日本中の犯罪者達ばかりが多かった。後で、スマホを手に入れて彼らを検索したら、全員ではないが、名前があがっている人が数名いた。
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