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「うわ〜ん!なんでこんな目に……」
崩れ落ちる千歳を尻目に、誠司は
「恭平、失敗は成功のもとだ。初めて作ったから味で勝負だ」
と、息子にラーメンを食べるよう声かけをするが、その後の記憶は千歳にはない。
誠司いわく、細い注ぎ口に一生懸命話しかけ、食器用泡洗剤をシュッシュと吹きかける妻を気の毒に思ったそうだ。誠司は
「俺も 『腹減った』って言ったけど無視された」
と後に語るが、能天気な一言は妻の怒りに火をつける。
危なかった。聞こえなくて良かった
離婚とは小さな気持ちのすれ違いが重なり、ある日爆発するのだ。子どもがいると育児の方針のズレは決定打となりえる。
しかし、千歳は次の日、誠司に台所に立つよう言った。口で言うより夫が台所に立つ姿を見れば、息子も真似するはずだ。諦めてはならない。
育児は、はてしない線路を歩むようなものだ。
脱線したら戻ればいい。
料理ができるようになる道はいくらでもある。
都市部の線路をごらんよ!行き先は選び放題だ!
今を戦えないものに未来を語る資格はない。
頑張り時は、今、ここ
千歳は有名なサッカー選手ロベルトの言葉を胸に、
己に言い聞かせる。
信じるのよ!我が子を、夫を!
「家に人参とじゃがいもと玉ねぎがあるから
シチューを作ってね」
千歳は1000円を息子に握らせて、その日の晩ご飯の買い出しを男2人に任せた。
牛乳と鶏肉かウインナーさえ買えばどうにかなるだろう。淡い期待を抱き待つこと数時間、千歳のわずかな希望はシャボン玉のように弾けた。
いつもの白いホワイトシチューの箱ではなく、
なぜか ビーフシチューのもとを買ってきた。
『牛肉300g、マッシュルーム6個(生)』
を取り出しながら恭平が耳を疑うセリフを吐いた。
「お母さんがくれたお金、全然足りなかったから、お父さんが出してくれたよ。 3000円ちょうだい」
「仕方がない。お母さんケチだからな。うまいモノ作っちゃうから待ってろよ」
誠司の的外れな発言に対して、千歳は堪忍袋の方が切れた。
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