第1話 魔法仕掛けのクリスマスケーキ

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第1話 魔法仕掛けのクリスマスケーキ

 12月の夜は気が早い。定時でオフィスを出たのに、すっかり暗い街には浮足立った雰囲気が満ちている。  背中を丸め、襟もとのマフラーに顎先を埋めながら、イルミネーションに彩られた並木を上目で見る。  冷たい風のせいで涙が滲んだ瞳には、無数のシャンパンゴールドの光が、ますますきらめいて見えた。  子どもの頃からクリスマスが大好きだった。  毎日毎日「クリスマスまであと何日?」と母親に聞き、サンタさんにお願いするプレゼントを一生懸命考えて、わくわくしながら手紙を書いた。  クレヨンで、サンタさんの似顔絵も描いたっけ。大事なときにしか使わないって決めて、ずっと大切にしてきたキラキラのシールまで貼って。  なんのお祝いなのかなんてわかっていなかったけれど、クリスマスソングをかけて家族みんなで歌って、三角のパーティー帽子を被って、クラッカーを鳴らして。  その上、ごちそうを食べた翌朝には枕もとにプレゼントが届いているんだから、間違いなく人生で一番幸せな日だ。  誕生日だってうれしかったけど、サンタさんという不思議な白ひげのおじいさんが、トナカイに引かれたソリで空からやってくるだなんて、想像するだけでときめきで胸が苦しくなってしまう。  あの頃、世界は魔法で溢れていた。サンタも、妖精も、魔法少女も、プリンセスも、天使も悪魔も、幽霊だって、ちゃんと私の世界に実在していたのだ。   魔法には優しいからくりがあること、それを支えるのは大人の善意と労働であることを身をもって知ってしまってからも、クリスマスは魔法を信じていた頃の気持ちが蘇る特別な日だった。  でも、今日はイルミネーションも、その光を瞳に映した恋人たちも、つきんと胸を痛くさせる。  私はおもむろに立ち止まった。くるりと(きびす)を返し、華やかなけやきの大通りに背を向け、暗い小道に入る。駅に行くには遠回りになるけれど、なるべくクリスマスっぽい雰囲気から逃れたい。  個人の小さなお店を過ぎるうちに、ふと西洋風のガーデンアーチが目に留まった。生け垣に囲まれた細いアイアンにはつる植物が絡まっており、小さなボードが吊るされている。 『ティーサロン・フォスフォレッセンス』  奥には、小さいけれど瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気の洋館があった。今までにもこの道を通ったことは何度かあったけど、こんなお店があっただろうか。  子どもの頃夢に見たお姫様のお城——とまではいかないけれど、秘密の隠れ家くらいには言えそうだ。  貴族が夜な夜な繰り広げる秘密のティーパーティー、そんなイメージがふわりと胸に広がって年甲斐もなく頬が緩んでしまう。  窓には明かりが灯っているが、たっぷりしたカーテンが束ねられているせいで奥までは見晴らせない。  ティーサロンってことは、お茶を飲めるんだろうけど、一体どんなお店なんだろう。メニューも出てないし、価格帯もわからない。すごく興味はあるけど、万が一ドレスコードなんてあったらきっと恥をかいちゃうな。  さんざん迷った挙げ句、見送ろうとしたところで私は息を止めた。急に洋館の扉が開いて、ひとりの紳士が出てきたのだ。  燕尾服(えんびふく)というのか、後ろが長くなった黒いジャケットを着ていて、胸に手を当てながら穏やかに微笑んでいる。  月下に淡く輝く白い髪、そして口ひげから、老齢であることは疑いようがないが、その凛とした佇まいは目を見張るほど美しかった。 「ようこそいらっしゃいました、北条(ほうじょう)鈴菜(りんな)様。お待ちしておりました」  名前? 今、私の名前を呼んだ? とさらに目を見開く。驚きすぎて声も出ない。そんなことおかまいないしに、紳士は「さあ」とその手を屋敷の中へと延べた。 「いえ、あの、何かの間違いだと思います。私、予約なんてしてないし」 「私どもに間違いはございません。そして、あなた様にもです。今宵、『ティーサロン・フォスフォレッセンス』にお越しいただき、誠にありがとうございます。  北条様のためだけに作られた極上のスイーツと温かいお茶で、芯からおくつろぎいただけるひと時をお約束いたします」
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