或る泥棒猫の独白

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 私の名前はリリー。艶やかな赤毛に緑の瞳。物心ついた頃からずっと、周りからは綺麗だとか、気品があるだとか褒めそやされた。我ながら美しい容姿をしていると思う。  そんな私は今、生まれ育った故郷の町を出て、東の森へと続く道を歩いている。  おつかいに出かけている訳ではない。つい一昨日、長年親しんだ屋敷を追い出されたのだ。  屋敷の主人(あるじ)の後妻に嫌われていることは気付いていた。屋敷の中で出くわせば、いつも忌々しそうな目で見てくるのだ。私は自分の役目を果たしているだけなのに。  後妻は主人が私を可愛がるのも気に食わないようで、主人から私の匂いがすると難癖をつけては、私を遠ざけようとしていた。  まあ、私はそんなくだらないことは気にしていなかったけれど。だって、美しく愛らしい者を愛でるのは当たり前だし、容姿に優れた私は人の寵愛を受けるだけの価値がある。  そんな風に、後妻のことなど歯牙にもかけずに過ごしていた私だったが、ある日、主人の私室に入ったところを「この泥棒猫!」と罵倒され、文字通り叩き出された。 「泥棒猫」だなんて酷い言い草だ。手を出してなどいない、とは言わないけれど、そんなに盗られたくないのなら、鍵のかかった場所にでもしまっておけばいいのに。  でも、まあいい。私は自由だ。これから、誰に支配されることなく生きていくのだ。  ところで、私には新しくできた連れがいる。今、私の右隣を歩いている彼は、ジェイルという。大柄で立派な体躯をしていて、顔つきは優しそうだ。  どうやら由緒正しい出自らしいが、彼もまた屋敷を出てきたとのこと。長年、忠実に仕えてきたが、ある日激昂した主人に火かき棒で殴り殺されそうになって逃げ出してきたという。酷い主人もいたものだ。私たちの命など、その辺の雑草と同じだとでも思っているのだろう。  そんな縁もゆかりもなかった私たちだが、東の森へと向かう道すがら出会い、彼も私についていくと言うので、こうして並んで歩いている。  意外な組み合わせに見えるのか、すれ違う人達が不思議そうな目を向けてくるが、気にせずに歩くのみだ。  そうして歩き続けること三日。ついに私達は東の森へと着いた。  木漏れ日の射す森の入り口を突っ切り、道なき道を行き、奥深くへと入っていく。  すると、少しだけ開けた場所に古びた小屋があるのを見つけた。どうやら木こりが住んでいた場所のようだ。もう出て行ったのか死んだのか、人のいる気配はない。少し埃っぽいが、これから暮らすには、ちょうど良さそうな小屋だった。  私とジェイルは、ここを住処とすることに決めた。  ここは住むのにとてもいい場所だった。  水場に近く、様々な草木が生い茂り、食料となる小動物もいた。  ジェイルは狩りが上手で、よく山鳩や野兎を狩ってきてくれた。  私はと言えば、狩りはジェイルに任せ、森の境界辺りまで出かけて、人から食料を分けてもらうことが多かった。  村人や旅人など、私がちょっと挨拶して小首を傾げるだけで、簡単に食べ物を分けてくれるのだ。可哀想にだとか、どこから来たのだとか、色々問いかけてくるけど、答えてやる必要はない。  たまに、にやにやしながら触れてこようとする者もいたが、そういう輩はピシャリと手を払いのけて軽く睨んでやると、大抵すぐに諦めてくれた。たまにそれでも(こた)えない者もいたが、そういう時は逃げるが勝ちだ。    そんな風にジェイルとふたり、役割分担して暮らし、食べるのに困ることはなかった。  春は森の中を駆けまわって小鳥と戯れたり、夏は水辺で涼んだり。秋は落ち葉の上を散歩したり、冬は足跡一つない真っさらな雪の上ではしゃいだり。  自由気ままに過ごす私を、ジェイルは時には共に過ごしたり、時には遠くで見守ったりして側にいてくれた。元来、ひとりで過ごすのが好きな私も、ジェイルと一緒にいるのは悪い気はしなかった。  彼はとても大らかで、優しく、懐が深い。さすが、短気な主人に長年ついていただけのことはある。私だったら早々に逃げ出していたはずだ。  でも、穏やかなだけでなく、勇敢でもあった。一度、食料を狙って小屋に猪が来た時には、果敢に戦って仕留めてくれた。  私とジェイル、正反対の性格をしたふたりだったが、なぜだかお互いに居心地がよく、喧嘩の一つもすることなく、良き友人として寄り添っていた。  そんな日々をいくつも、いくつも繰り返し、気がつけば私もジェイルも、随分と歳を取っていた。  美貌だけが自慢だった私は、こんな老いぼれは嫌でしょうとジェイルに言うと、彼は私の見た目ではなく、匂いが好きなのだと言った。何故だか温かい気持ちになった。  そんな出来事から何度目かの秋。  もう昔のように元気に動き回る気力もなくなり、日がな小屋の中で過ごしがちになっていた。  食料を得るのにも苦労し、水だけの日が数日続くこともあった。    少しずつ、少しずつ体が弱っていき、先に限界を迎えたのはジェイルだった。  声を出すのも億劫なようで、寝台の上でずっと目を瞑ったまま、静かに呼吸するだけだった。  そしてある日、大きく一つ息を吐くと、そのまま呼吸を止めて動かなくなった。  私はひとりぼっちになった。  それから数日。  ジェイルに墓を作ってあげたかったが、私には無理だったので、今も彼は寝台に横たわったままだ。  私ももう体が動かない。  何とか手足を動かして、ジェイルの亡骸の側に寝そべった。  すっかり冷たくなってしまったジェイルに寄り添い、語りかける。  私と一緒にいてくれて、ありがとう。  友達になってくれて、ありがとう。  私の一生は、なかなか素敵なものだったわ。  あなたもそうだったらいいのだけど。  もう、瞼が開けられない。そろそろ終わりのようだ。  私は最後の力を振り絞り、ジェイルの毛むくじゃらの頬をペロリと舐める。  か細い声で、にゃあ、と一声鳴いた後、私は永遠の眠りについた。  瞼の裏に、尻尾を振って待つ優しい友達の姿を思い描きながら。
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