記憶の欠片を探して

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記憶の欠片を探して

  流れる人波を押し分けて、前へ進もうとする。しかし、進んでも進んでも戻されて、私は前へ進むことが出来なかった。  よくある駅の構内。真新しい建物の中は多すぎるほどの人に溢れていた。  ようやくそこ(・・)へ着いたとき、もうそこに電車はいなかった。絶望。その二文字が頭に浮かんだ。  早く──に会いに行かなきゃ。  そこでようやく(あや)は飛び起きた。  目の前に広がるのはいつもと変わらない自分の部屋だった。白い壁に木製の床。あの駅のような冷たいコンクリートタイルはない。  どうやら全て夢だったようだ。だが、彩は思い出そうとした。自分がどこへ向かおうとしていたのか。 「私は……誰を追ってるの?」    * * * 「おはよう、彩。学校の時間大丈夫?」 「おはよう。大丈夫。今日は朝練ないから」  台所へ行くと彩の母が目玉焼きの乗ったお皿を差し出した。彩はそれを受け取って、自分の席につく。目の前にはお昼用のお弁当も置かれていた。  彩の父はもうすでに仕事へ出ていったらしく、部屋にいるのは母、彩、弟の三人だけだった。部屋にはグリーグの『朝』が流れている。組曲『ペール・ギュント』の中の一曲で、彩の家で流れているのは、彩の部活での楽器でもあるフルートによる演奏だった。 「姉ちゃん。シャー芯頂戴」  地べたで新聞を読んでいた(あきら)が言った。 「机の二段目の引き出し」 「ありがとう」  そう言うと彼は、リビングを出ていった。  二つ下の弟は、今年中学三年生で受験を控えている。弟が受験生を終えると、今度は彩が受験生になる。一年後の自分の姿を想像して、彩は頭を振った。   (私の方こそ頑張らなきゃ。だって──と)    そこまで考えて彩はご飯を食べる手を止めた。自分は今何を考えたのか、と。確かに勉強は頑張らねばなるまい。今志望している大学は少し偏差値が上だからだ。  しかし気になったのはその後。自分が、誰の名を思い浮かべたのか、はたまた、何を考えていたのかさえ分からなくなっていく。考えれば考えるほどその人の名は遠ざかっていく。   「彩?本当に時間大丈夫?」    母の声に彩は現実に引き戻される。確かに時計を見ると、もう家をでなければならない時間だった。   「大丈夫じゃない」    慌てて食べ、食器を運び、準備をする。家を出る頃には彩は自分が何を考えていたかすら、忘れていた。
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